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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

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Verse 4-15

ガーデンテーブルに座って目を閉じていると、ハーブの鮮やかな香りが鼻をくすぐった。ゆっくりとジークフリートが目を覚ますと、いつの間にかランスロットが目の前で冷たいハーブティーを注いでいる。


「体にいいらしいよ、ハーブティーは。」


 レイが禁書庫に篭っている間、二人は互いに、自らの知るレイについて思い出話をしていた。いつの間にか口調は砕け、二人の間は親しくなっていた。


「幼い殿下は、夏は好んでこのハーブティーを飲んで……冷たい方が好きだから冬は飲まなかった。」


 どうやらランスロットは仕事に一息ついたようで、たまたま見つけたジークフリートと一緒に茶を嗜みたいだけのようである。ジークフリートも、丁度暇を持て余していた。差し出されたグラスを受け取って、彼は乾いた喉にハーブティーを流し込む。


「美味いな……。」


「私が作ったんではなくて、同僚の女神官が作ったんだ。だからなんのハーブなのかは全く見当はつかないのだが。」


 くすり、と笑ってランスロットもまたグラスに口をつけた。暫く沈黙が流れた後に、ジークフリートはふと、ランスロットに対してぼやく。


「お前達は、皇太子が男に抱かれてようが気にならないんだな。」


 ハーブティーを飲み干して、ランスロットは肘をついた。普段は清楚な身のこなしをしているが、いざ心を許す者の前になると少々がさつさが目立つ。


「気にならない、というよりは、愛には多くの形があると知っているだけだ。男が男を愛すからと言って、その愛を奪う権利は誰にもないだろう?殿下も、嫌がっているというよりむしろ……幸せそうだ。」


 ジークフリートは安らいだため息をついた。世界は、彼が思っている以上に、彼に優しかったのである。




 羊皮紙から目を離すと、そこにはレイモンドが立っていた。レイは思わず椅子から腰を浮かせて一歩引いたが、レイモンドはそこに立っているだけで、ただレイの前に散らばっている書物に目を落としている。


「お前、なんの用だ。」


「殿下はなにをお探しですか。」


 机の上に散らかる本の表紙を撫でながら、レイモンドはただそう聞いた。


「お前に関係ない。」


「分家についてはいか程ご存知ですか。」


 口の達者なレイモンドは間髪入れずにそう返す。口をへの字に曲げて、レイは書物に落とそうとした視線を再び上げた。表紙から手をどけて、レイモンドは続ける。


「世には奇跡と呼ばれるものが幾星霜を渡って確認されてきました。科学に基づいても解釈のしようがない超自然的な能力、清き者が神に授かった聖なる力。ですが、その中には決して、神に授かった物でない力があるのです。人間の欲望によって作り出された堕落した——」


「分家の発端……?」


 そう、とレイモンドはかすかに頷く。


「この世界の[人間]に前世の記憶がある時点で、世界が二つある事は確実。記憶と容姿がそのまま継続されるここで、その力が継続されてもおかしくはない。」


「分家の発端となった人物のあの、瞳ではないと言われた異端の力は……つまり、前世では奇跡として確認されている可能性がある、という事か?」


 にたり、とレイモンドの唇が歪められた。


「殿下は頭が切れるお方ですなぁ。そこまで分かれば、もう自力で求める答えを見つけ出せるでしょう。」


 するりと落ちていったフードの先にあったギラギラとした青白い瞳は、レイの印象に強く残っていた。しかし、その持ち主が果たしてだれであったのかまでは全く思い出せない。まじまじとその瞳に見惚れていると、いつの間にかレイモンドの姿は塵も残さずなくなっていた。




 出勤したロベルトは、その右頬にテープを張り巡らせていた。


「補佐官、その傷は?」


 徹夜明けのニコライは珍しく足取りが重い。丁度鉢合わせたロベルトを見上げると、珍しい怪我に対してそう問うた。


「別に。」


 形式上の文句を返し、ロベルトは持っていた書類を渡した。皇太子の公式戴冠式に参加する為の注意事項である。皇族の戴冠式には、各国の元帥の参加は必須であった。


「そう、やるの。」


 ヴィルは、とニコライは書類から視線を離す。ロベルトの手にはもう一枚しか握られていない。恐らく、バスカヴィルに提出するのを渋っているのだろう。


「怒り心頭だろう。」


 予想通りの言葉が返され、ニコライは静かにため息をついた。彼としては、レイにはそのまま皇太子を続けて欲しかった。要するに、身の安全の為に。仕方がない、とロベルトは首を振る。今のバスカヴィルが戴冠式を欠席しては、多くの人間が不信感を募らせる事は間違いなかった。


 * * *


 とある日の昼。レイは窓を開け放ってジークフリートを誘った。


「ジーク、ここから飛び降りるぞ。」


 ヴァイオリンを片付けていたジークフリートは思わず松脂を落としかける。なんだって、と彼は眉を吊り上げた。


「いいから早く。」


 袖を引っ張られ、ジークフリートはヴァイオリンを一式片付け終えると窓から下を見た。レイの部屋は三階である。軍人であれば、余裕で飛び降りる事が出来るだろう。だが、万が一の事もあった。戴冠式を控えた皇太子になにかあっては、全世界から非難されるのはジークフリートである。


「危険過ぎる。」


 そう囁いたが、懇願するレイの子猫のような目には抗えなかった。ジークフリートは一度首を振って、レイに言いつけるように言う。


「分かった。だけどまず僕が飛び降りる。その後、お前が降りてくるのを受け止める。それでいいな?」


 部屋のベッドに長いマントを脱ぎ捨てて、レイは勢いよく頷いた。参った、とばかりにジークフリートは窓枠に足を放り出す。勢いをつけて外に飛び出し、無事に着地を決めた。上を見ると、既にレイが足を出している。


(あいつ! なんの為に僕が先に飛び降りたと思ってるんだ!)


 ジークフリートが合図する前に、レイは窓から飛び降りた。慌てて体勢を立て直したジークフリートは、レイが落ちてくる場所に両腕を差し出す。瞬間、普段は軽いレイの体が重力を伴ってずっしりと腕にのしかかってきた。ジークフリートの首を捉えて、レイは嬉しそうにはしゃぐ。


「この事は、だれにも秘密だからな。」


 どうやらだれにも悟られずに城から抜け出すつもりのようである。ジークフリートは、ヴァイオリンを片付け始めてから何度目かのため息を吐き出した。




 門を潜り抜けて、二人は一般人の服で市場を歩いていた。夕方の市場は賑やかで、多くの人が果物や野菜を持って歩いている。


「まるで今までの事が夢みたいだ。お前は最初から皇太子で、僕は少将で。お忍びの皇太子とその愛人の少将なんて、どこかの御伽話みたいだな。」


 多くの民衆に顔が知られているとはいえ、平服姿の二人ではこの人でごった返した道で声をかけられる事はない。途中で立派な葡萄を一房買って、ジークフリートはレイの隣に並んで未だ知れない目的地へと足を運ぶ。歩きながら葡萄を顔の上まで上げて、彼はその一番下にある実を口だけでもぎ取った。皮ごと咀嚼していると、レイがじっとジークフリートの顔を見つめている。


「欲しいか?」


 差し出すと、レイは粒を取るのではなくて一房まるまる受け取った。空になった手をハンカチで拭いていると、レイは先程のジークフリートと同じように、顔を上げて一番下にある葡萄の実を口に運んだ。目を丸くしてジークフリートはその様子をただ見ている。


(あぁ、そういう事か。)


 レイは別に葡萄が欲しかったのではなくて、ジークフリートの食べ方を見ていたのであった。




 目的地である中央教会に着くと、レイは祭司長を呼ぶわけでもなく教会の祭壇の間に入っていく。キリスト教的に作られたその場所は仄暗かったが、屋根は所々ガラス張りでさんさんと陽の光が差し込んでいた。そこにはだれもいない。祭壇に一番近いベンチに座って、レイとジークフリートはただ虚空を眺める。


「ジーク。」


 指を絡めて繋いでいた手に力を込めて、レイはそう隣の男の名前を呼んだ。ジークフリートはなにも言わない。


「もう俺は結婚してるし、父さんもいる。だから、盛大に式とか挙げられないけど……でも、もしジークフリートが今の俺でも愛してくれてるなら。」


 背けていた顔をジークフリートの方に向けると、ジークフリートはいつになく真剣な顔でレイを見ていた。


「もしじゃない。」


 愛しい人の頬に手を添えて、ジークフリートはただ静かにそう囁く。繋いでいた手を離して、ジークフリートはその残った片手もレイの頬に添えた。


(父さん、俺は——)


 近付いてくる顔に、レイは目を瞑る。


(俺は、あんたより愛してくれる人を見つけたよ。)


 天から降り注ぐ白い光に祝福されて、二人はだれにも知れず永遠の愛を誓い合った。

毎日夜0時に次話更新です。

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