Verse 2-1
士官学校の教育は次の通りである。まず一、二年生で基礎を叩き込まれる。これは元々軍人の家に生まれたものには非常に退屈な年となるが、今までの学習を振り返るには良い機会であった。士官学校では一年生から落第制度がある。だれもが必死に机に噛り付いて勉強していた。しかし、この年度はまだまだ序盤である。軍人になる為の試練は、その次の三年生からである。この時期から、士官生は寮生活に入る。スイス地域の山中にある施設に三年間、夏と冬の長期休暇以外は出る事も許されずに、軍人になる為の全てを身に付けるのである。
* * *
三年の始業式を終えて、レイは大きなトランクを引き摺りながら雪解け水に濡れる石畳の道を歩いて行った。渡された紙に書かれた宿舎の名前と寮室の番号を何度も見返しながら、同じように自らの寮室を探す士官生達の間を縫って歩いていく。
「おっ、レーイ!」
後ろから陽気な声が聞こえた。振り向くと、ジャンが紙を持った手を振っている。答えるようにしてレイも手を振った。ジャンが駆け寄ってくると、持っていた紙を見せる。
「レイもユニコーン寮なんだな! 俺と一緒だ。」
「ヨハンは?」
辺りを見回したが、彼の姿は一向に見えない。ジャンは肩を竦める。
「あいつはグリフィン寮だってさ。」
そうか、とレイは肩を落とした。どうせなら全員一緒の宿舎に入れてくれればいいのに、とぶつくさ文句を言いながら二人は宿舎に向かって歩き出す。フェラーリする一角獣が彫られている吊り看板を見つけて、レイとジャンはその扉を押し開けた。
「名簿の左にチェック……と。レイは五階だったよな。」
「ジャンは一階だろ?ここでお別れだな。」
入ってすぐ目の前にある旧式のエレベーターを指差してレイは言う。
「まぁな! どうせ同じ宿舎なんだからまた一緒に遊ぼうぜ。なんなら、いつでも俺の部屋来いよ。」
自分の部屋があるであろう方向を指差しながら、ジャンは朗らかに笑った。手を振ってジャンの背中を見送ると、やっと下がってきたエレベーターに乗り込む。寮室は二人一部屋で、シャワールームは階共同のものであった。不便なものだ、とため息をつきながら、レイは同室の士官生がどんな人間かを当てもなく想像した。やがてエレベーターが最上階に辿り着くと、レイは重いトランクを持ち上げて自らの寮室の扉の前に立つ。事前に貰っていた鍵を鍵穴に差し込んで、慎重に回した。音が鳴ったのを確認してレイは鍵を抜き取る。
「待って! まだ入らないで!!」
時、既に遅し。レイがドアを開けた瞬間、ドアのすぐ前に積まれていたであろう本が一気に床へ崩れ落ちていく音が次々と聞こえた。レイはドアノブを掴んだまま部屋に踏み込めず固まる。やがて中から足音がやってきて、ドアを慎重に開いた。
「ごめんごめん、僕がそんな所に医学書山積みにしてたのが悪かったよ……。足の踏み場は確保してるから、トランク持つよ。重いよね?」
手の中からトランクをもぎ取って、レイより幾分背の高いメガネの青年はその長い足で本の間を軽快に歩いていく。レイもその後に続いた。
「僕の名前はアルフレッドだよ。ベッドどっちがいい?」
トランクを床に置いて、アルフレッドと名乗った同室の士官生は二つあるベッドを指差す。
「俺はレイだ。ベッドは……窓側じゃないほうを使おう。」
先程アルフレッドが置いたトランクをベッドに放り投げて、レイは早速その中に入っている衣類をハンガーに掛け始めた。長い事沈黙が流れていたが、アルフレッドが医学書を全て本棚に詰めたところで口を開く。
「そういえば、君って入学式で祝辞スピーチしてた人だよね?首席で入学した?」
「あぁ、そうだ。」
感嘆の声を上げるアルフレッドに、レイは少し気恥ずかしくなって鼻の下を擦った。
「僕は軍医になる為に……つまり中将になりたくて来たんだけど。レイはなにになりたいとか、もう決まってる……よね、きっと。」
レイは背筋を伸ばす。
「……正直な話、俺はまだそういうの決めてないんだ。でも、まぁ外交はやりたいし……将軍かな?」
曖昧な返事に、アルフレッドは一度目を丸くした後、突然口から笑みをこぼした。レイは背を向けて気付かなかったが、次に聞こえてきた声で振り返る。
「なんだ、首席を取った人だからなんか凄い子だと思ってたけど、案外普通の人なんだね。」
二人は荷物を片付け終えると、部屋に置いてあった紅茶を淹れて一息ついた。アルフレッドは机越しに片手を差し出し、そしてもう一度改めて自己紹介する。
「僕の名前はアルフレッド。一応、中将志望の士官生だよ。」
「俺の名前はレイだ。まだ志望は決まってないが、一応将軍になりたい。」
二人は握手を交わした。
トラブル体質といえばトラブル体質なのかもしれないが、今回のトラブルは彼にとって非常に深刻なものであった。扉を開けて部屋を見渡せる位置に立って、ジャンの手からトランクが滑り落ちる。その音で青年はやっと気付いたのか、その突き刺すようなアイスブルーの瞳をゆっくりと音のした方へやった。そうして視界に入った人影に、青年は口端を吊り上げる。
「はー、運命なこった。これはこれは白百合の聖女様、こんな場所まで俺を地獄へ堕としにでもやってきたのか?」
その手元にはぎらりと光るナイフがあった。ジャンは口を薄く開いたまま何事も言わない。
「だんまりかよ、つまんねぇな。」
手入れでもしていたのだろう。彼は再びナイフに目を落として、綺麗に布で磨き始めた。床に足の裏を縫い付けられたように立ち止まっていたジャンは、再びゆっくりと歩き出して同室者の占領していないベッドにトランクを置く。
「俺に構うなよフィリップ……。」
好青年なジャンにしては珍しく、地響きを起こすような低音だった。しかし臆する事もなく、フィリップは呆れたようにため息を吐いた。手を止め、顔は下に向けたまま瞳だけをジャンにやる。
「誰が、いつ、お前に構うって言った?自意識過剰も程々にしな聖女様。もうお前に構う奴、救いを求める奴なんていねぇんだよ。」
吐き捨てるように言ったフィリップに、ジャンは背を向けた。下唇を噛み、ゆっくりとトランクの鍵を開ける。
「あと、俺の物に触んじゃねぇぞ。触ったらマジで殺す。」
ジャンは黙々と荷物を整理し始めた。
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