Verse 4-4
『——ます。現在、ROZENはテロの可能性を——』
ボリュームのつまみを右に回しながら、ジークフリートはレイの唇を懸命に追う。正午のニュースが終わると、二人の体が離れた。昨夜の爆発はテロとして片付きそうな情況である。爆破された階は関係者以外は立ち入り禁止になり、ROZEN本部ではいつもより厳しい手荷物検査が行われるようになった。
「テロなんて、生まれてこのかた一度も起きなかったのにな……。」
僅かに肌蹴たジークフリートの胸に手を這わせ、レイはゆっくりと目を瞑る。ラジオのスイッチが切られる乾いた音が部屋に響くと、レイの頭にそっと手が乗った。
「レイ。」
名前を呼ばれたレイはゆっくりと顔を上げる。艶やかな黒い髪を撫でて、ジークフリートはその顔を愛しそうに見つめた。その表情に気を取られて、レイはほんの小さな声で囁く。
「皇族復帰したら、もっとお前と一緒に居られるか?」
目を丸くしてジークフリートはその顔を見つめた。眉を寄せてレイはその胸に抱きつく。ジークフリートの背中の軍服を握りしめ、その表情を隠した。
「今のは……忘れてくれ。」
震える声はそのまま胸へ吸い込まれていく。ジークフリートは手袋を嵌めたまま、レイの頭を撫で続ける事しかできなかった。
いつもの如く少将の鍵を勝手に拝借して、アーサーは書庫室への階段を降りていた。目の前に現れる膨大な本の内容は、既にアーサーの頭の中に残り始めている。
「……いやまぁね、疑ってるわけじゃねぇんだよ?」
迷わずに紫色の本を手に取り、彼はパラパラとページを捲る。石造りの冷たい床にどっしりと腰を据える。そして彼は、長々とため息を吐いた。
(俺達でも触れられないような国家機密だってか?)
ついこの間、アーサーは軍人のデーターを洗いざらい調べていた。というのもそれは彼の仕事の一環であり、軍に不審な人物が入り込んでいないか調べる為である。ROZENに所属する軍人の基本データは全て元帥補佐の管理下にあり、アーサー以外にも多くの人間がそのデータを自由に閲覧できた。
「前世が空欄ってぇ、どういう事ですかぁ!」
基本データは、軍人になる為には全て記入する必要があった。身長、体重、出身地、獲得した軍位、そして自らの前世である。
「何の事だ?」
堪らず叫んだ声が聞こえたのか、上を見上げたアーサーの顔をジークフリートが覗き込んでいた。本を閉じて、アーサーは身を翻しながら立ち上がる。
「おっとぉ、いつお戻りですか少将閣下。将軍閣下とム——」
険しい顔で口を掴み上げて、ジークフリートは辺りを見回した。肩をすくめたアーサーを見て、彼は手を離す。
「だれもいやしねぇよこんな埃っぽい所。」
「前世が空欄とは?」
華麗にアーサーの言葉を無視し、ジークフリートは本を取り上げた。やれやれ、と言わんばかりにアーサーは再び肩を竦める。
「お耳が早い事で。」
「お前から直に今聞いたんだがな。」
本を棚に戻して、彼は腰に手を当てる。
「レイの時みたいに協力してくれんだったら言ってもいいぜ?」
おちゃらけたように眉を上げるアーサーに、考えてやらない事もない、とジークフリートは腕を組んだ。一度手を打って、アーサーは続ける。
「この間、定期スパイ探しやってて、久し振りに軍高官の書類に目を通してた俺は、妙な事に気が付いた。つまり……あー、バスカヴィル元帥の基本データが一部空欄なんだ。」
ジークフリートの片眉が上がった。
「それはつまり? 皇族というのを隠す為の、という事か?」
「違う。……前世の欄だ。」
珍しく煙草の煙を燻らせていると、軽快なノック音が聞こえた。
「入れ。」
ロベルトはまだ長い煙草を灰皿に押し付けると軍服を直して立ち上がる。現れたのはジークフリートであった。書類を数枚振りながら、彼は執務机に近付く。
「お前の管轄の書類が数枚挟まってた。」
直に書類を受け取り、ロベルトは書類を流し見た。意気揚々とやってきたジークフリートに、彼はいつもの鉄面皮で答える。
「アーサー中佐か? この書類は今朝、既に俺の机の上にあったが。」
ご明察、とばかりにジークフリートは首を振った。元帥補佐に会う口実としてアーサーが書類を盗み出したのだが、ロベルトには既にお見通しだったようである。
「それで、こんな事までして俺に何の用だ?」
書類を机に仕舞いながら、ロベルトは着席する。一服を台無しにされたお陰で少々仕草が荒い。
「基本データに前世の記入なしで軍に入れる事は?」
「ない。」
ペンを手にとって、ロベルトは書類の続きを書き始めた。
「仮にそれがもし元帥なら?」
動いていた手が止まる。なにが言いたい、とばかりに彼はペンのキャップをしめた。先ほどと同じ引き出しを開け、ロベルトはバスカヴィルの基本データが記入された紙のコピーを取り出す。まっさらな前世の空欄を見て、彼は訝しげに眉を寄せた。
「そもそも、この世界に前世がない奴っているのか?」
「いない。」
珍しく戸惑った表情でロベルトは顎に手を当てる。どうやら、彼もきちんと目を通した事はなかったらしい。いや、元帥の身の上について話す事や見聞を広める事ですら、ROZEN内部ではタブー化されていたのだ。
「そう断言するけどなロベルト、じゃあこれはどういう事だ?」
白紙を人差し指でとんとんと叩かれ、ロベルトはため息を吐く。
「逆に俺が聞きたい。」
「元帥の正体は?」
「知らない。」
書類を放り出し、ロベルトは椅子にふんぞり返る。まだ居座るつもりなのか、動こうとしないジークフリートに吐き捨てた。
「帰れ。」
「汚職か? 賄賂か?どっちにせよ、お前の同期だろ。」
ロベルトはジークフリートをこれほどになく睨みつける。そしてもう一度、珍しく感情的に声を張り上げた。
「帰れ!!」
怒鳴り声でジークフリートの体が思わず跳ねる。彼はまじまじとロベルトを見つめると、そのまま普段と変わらない足取りで元帥補佐執務室を後にした。
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