Verse 1-4
レイが驚いた事といえば、ジャンが本当にその日の翌日に、しかもヨハンを連れ立って屋敷にやってきた事である。階下からバスカヴィルに呼ばれて玄関口に立ってみれば、そこには元気に挨拶をするジャンと、その日の勉学を未だ終えられずに本を必死に読んでいるヨハンの姿があった。
「ジャンはどこにすんでるんだ……?」
レイの素朴な疑問である。ジャンは頑張って暗記したのであろうよく分からない通りと番地を挙げ、ヨハンはすぐ近くの屋敷を指差した。ヨハンはそもそも一家が軍人であったため、元帥であるバスカヴィルの家の近くに住んでいた事はそこまで不思議ではない。
「きょうはなにする? おにごっこするか?」
「とりあえずおれのふくしゅうをおわらせてくれ。」
軽く弾みながら言うジャンに、ヨハンは苦情を申し立てた。
軍人の家に生まれ、軍人として育てられるヨハンは毎日規律正しい日々を送っている。門限は厳守、朝食後から昼食後一時間までは勉学に励んだ。あらゆる言語、宗教、地理、数学、軍事、剣術、外交、更には社交辞令に至るまで、彼は徹底的に叩き込まれた。勉学の時間が終わっても、その復習で夕食まで時間を使う事もそう珍しくはない。
「おまえさー、ほんとべんきょーすきだよな?」
レイの部屋で菓子を摘みながら永遠と分厚い本を読んでいるヨハンに、ジャンは半眼でぼやく。隣でヨハンの本を覗き込んでいるレイに、ジャンは面白そうに言った。
「おれがいえにあそびにいくと、たいてーほんもってでてくるんだぜ!」
「そ、そうなのか。」
眉間に皺を寄せたヨハンを横目に、レイは恐る恐るそう答える。やっと復習の範囲が終わったのか、ヨハンは思い切り本を閉じて大きく息を吐いた。
「レイはどんな本をよむんだ?」
紅茶を啜るヨハンは、面白そうに表紙の字面を眺めるレイにそう聞いた。レイは少しだけ考えた後、枕元に置いてあった文庫本をヨハンの元へ持っていく。恐らく屋敷の書庫に置いてあったのだろう。紙はすっかり黄ばんでいたが、表紙はそこまでヤケておらず、美しい状態で保たれている。
「アーサー王伝せつか。」
「おもしろい。」
ヨハンの言葉にレイは頷いた。
「おれもよんだことあるぞ! ランスロットがふりんするんだろ!!」
意気揚々と知識を自慢するジャンに、どこで覚えたんだその言葉、とヨハンは吐き捨てるように言う。
「ガウェインが好きだ。」
「おれもだ。」
紙をペラペラと捲るヨハンは、やがてレイに本を返した。すっかり空になったポットを置いて、ジャンは最後のクッキーを急いで口に入れる。どうやら余程遊びたいようであった。
「そとでようよ、いっしょにはなかんむりとかつくろう! こないだいもうとにおしえてもらったんだ!」
椅子から転げ下りて、ジャンは二人の袖口をひっぱる。ヨハンとレイは暫く困り果てた顔をしていたが、やがてジャンの根性に折れて屋敷の庭へ出て行った。
「ほらーできたぞ!」
「不かっこうだな……。」
庭に出てジャンは先程言ったように花冠を作ってみせたが、形はだいぶ崩れており花もすっかり萎れていた。あまりの出来の悪さにしかめ面をしたヨハンには目もくれず、ジャンは背を向けていたレイの頭にその花冠を乗せる。
「レイにもはなかんむりのつくりかたおしえてやるよ!」
「はなかんむりくらい作れる。」
レイはジャンに自分が作った花冠を渡した。ジャンの花冠とは見違えるほど立派なものである。色とりどりの小さな花はまるで宝石のようであった。目を丸くしてジャンはその花冠を受け取る。
「すげー! だれにおそわったんだ?」
見事な花冠をジャンから手渡され、ヨハンはそれをしげしげと見つめながら聞いた。
「まえにははうえからおしえてもらった。もう……ここにはいないけど。」
レイはきつく目を瞑る。
貴族階級は軍人より一つ下の階級であり、ジャンもまたその一人である。多くの貴族が軍人を嫌い、また軍人も貴族を嫌っていた。ジャンとヨハンの家もお互いその例に漏れない。二人が会ったのは数年前の皇帝主催のパーティーでの事。それから二人は親の目を盗んでは外に出て遊んでいた。門限を過ぎて親から叱られる事もあったし、ヨハンに至っては家訓故に鞭打たれ、食事を抜きにされる事も多々あった。そんなヨハンの目に余る不品行に対して、実際には罰を受けてすっかり疲れ果てた弟を見るストレスに耐えかねて、バスカヴィルに解決策を求めたのは他でもないロベルトであった。
当時バスカヴィルは、軍人と貴族の間に出来た溝を、というよりは多くの階級の間にできた溝を、どうにか埋められはしないか、と試行錯誤している時であった。バスカヴィルは好都合とばかりに二人に遊び場所として自らの屋敷を快く提供した。帝國の軍政を一手に担う元帥の目下とあっては、この二人の少年も下手な事はできないだろう、と彼らの親は渋々了解したのである。
「帰る時間だヨハン。」
すっかり遊び呆けていた三人の耳に、束の間の別れを告げるベルの音が届いた。玄関口では、仕事帰りであるロベルトがヨハンを迎えに来ている。
「お茶でも飲んでいけばいいのに。」
「ヨハンには門限がありますので。」
寂しそうな顔でロベルトの横に立ったヨハンは、バスカヴィルの両側に立つレイとジャンを見上げた。そろそろジャンの親も迎えに来るのであろう。ロベルトは辺りを気にしながら少し落ち着きのない様子である。
「明日もまた来るといよヨハン君。」
「おじゃまでなければ。」
笑顔で軽く手を振るバスカヴィルに、ヨハンは小さく会釈をした。それでは、とロベルトはヨハンの片手を握る。屋敷を出ていく二人の背中は、やがて夕焼けの向こうへと消えていった。
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