Example 3-16
昼食を終えてバスカヴィル達が戻ってきた頃には、先のように全員が休めの姿勢で綺麗に整列していた。心なしか隙が少し減った気がする。
「閣下、先程の答えを皆で考えました!」
「よろしい、聞かせてもらおうか。」
部下はハラハラして後ろで腹を押さえていた。恐らく彼らの中で最も軍位の高い兵士がバスカヴィルに歩み寄ってくる。
「閣下、我々がROZENに足りないのは、屈強たる指導者と考えます!」
しん、とその場を静寂が過ぎ去った。先程まではらはらと落ち着きのなかった部下が、思わず口を開く。
「き、貴様! 元帥閣下に対して面と向かってなにを……!」
「まあ待ちたまえ。つまり諸君は私の武芸の手腕を疑っているのだね?」
怒りでわなわなと震える部下に対して、あくまで落ち着いているバスカヴィル。対極的な上司と部下を見てロベルトはますます面白くなってきたと顎を撫でた。
「元帥閣下は見目も麗しく弁舌も達者でいらっしゃいますが、我々は一度も閣下が武具を振るっているところを見た事がありません!」
「成程。では言の葉を並べていないで腕に覚えのあるものはかかってきなさい。今日の午後はそれに時間を使うとしよう。」
また群衆がざわざわと揺れ動き始めた。指導たった一日目で、元帥が彼らの為に訓練用の剣を握ると言い始めたのだから驚きを禁じ得ない。バスカヴィルはロベルトがあらかじめ持っていた刃を潰した剣を受け取った。
「ほら中央を空けたまえ。だれからでも、どこから来ても構わないよ。」
兵士達は訓練用の武具を備えているとはいえ、バスカヴィルはいつもの官僚軍服姿だった。防具は、という部下の言葉も聞かずに歩み出たバスカヴィルに対して、お前も言ってただろ、押し出された兵士が一人すごすごと前に出る。
「よろしい。」
バスカヴィルはただそこに剣も抜かずに立っている。相手が腰を落とし、剣を縦に構える。バスカヴィルは僅かに目を細めた。兵士が地を蹴った途端に観衆と化した兵士達が唾を飲み込んだ。畏怖感を潰そうとするような大きな雄叫びに、バスカヴィルは少しだけ肩を震わせた。
「確かに、筋はいい。」
ほんの一瞬の出来事だった。キーン、と言う耳によく馴染んだ音が一回訓練場に響いたかと思えば、一振りの剣が宙高くを舞い上がって、窓の外からさんさんと差し込む日光に反射して煌めいた。
(抜いた!? あの一瞬で!)
「すまないが医療部門をだれか呼んでくれたまえ。私が少々手加減を忘れたようだ。」
バスカヴィルの剣が兵士の攻撃を受け止めると同時に剣を跳ね上げたのである。兵士が必死に手を抑えているので、恐らく剣と剣がぶつかり合った時の振動をまともに食らったのだろう。
「す、すぐに!」
「そこのへっぴり腰に任せてるからそういう事になるんだ、俺がやってやる!」
「いくらでもどうぞ。」
強面の兵士がずんずんと槍を持ってやってきてもバスカヴィルはにこにこ微笑んだままだった。ルプレヒトよりも体躯のある男である。
「閣下。顔が綺麗で生まれも育ちも良いからって調子乗ってたら痛い目見るって事を覚えておきな、王宮育ちのお嬢さん!」
「顔の綺麗さは朝夜の習慣で保っているものだしで生まれは最早関係ないし、育ちに関しては日々勉学に励まなければ一瞬で落ちるので、調子に乗った事はないね。」
槍が振り上げられて、バスカヴィルは左足だけ引いて鼻先すれすれでそれをかわした。
「畜生ッ……!」
「おや、渾身の一撃だったかね。ところで槍は振り下ろすより突いたほうが効果的だ。君は剣のほうが良いかもしれないね。」
一瞬で剣を逆手に持ち変えて、バスカヴィルは自分の体に影を投げるその巨躯の脇腹に回し蹴りを叩き込むと同時に首筋を剣で殴打した。巨躯が倒れると、バスカヴィルはまた満足そうに腰の前で剣を収めて見せた。
「さ、まだ納得行かない者がいたら来なさい。」
唖然と呆然が入り混じる群衆に、バスカヴィルは汗ひとつない額を拭ってにこやかに振り向いた。滝のように流れる黒髪の一糸に至るまで目を奪われた。先程まで緩慢なく武人の働きをしたというのに、試合が終われば文官の柔らかな顔に戻る。
「げ、元帥閣下……!」
「なんてお人だ……。」
どよめく群衆からもはやバスカヴィルに食ってかかろうという者はいなかった。目の前に立つマルスは、兜を脱げば男女を性差なくほだすアポロンの微笑みで立っている。一瞬の戦闘とその合間に見せた元帥のなんたる雄々しさ、なんたる慈愛。たった二戦交えただけで、バスカヴィルは一瞬で兵士達を虜にしてしまった。
「げ、元帥閣下! 不躾なのはわかっているのですが自分にも剣を……!」
「あっ馬鹿! 俺が言おうと思ってたのに!」
逸る兵士達を手で制して、バスカヴィルはその前に、と訓練用の剣を部下に預けた。
「君達は屈強な指導者が足りない、と言った。私はそれに応えられたかね?」
先にバスカヴィルの前に進み出た兵士はぐるりと周囲を見渡した。だれもバスカヴィルがROZENを率いる事になんの異論もない、そんな晴れ渡った顔ばかりだ。
「勿論であります閣下! 我々は、今後も指揮官達を通して、この剣や槍を、閣下の為に振るってまいります!」
* * *
隣がやけに賑やかだから、とフェルディナントは部下を連れて自らがいつも使っている訓練場を後にした。
「確かに……賑やかですね。歩兵部隊から今までこんな楽しげな声聞いた事ないですよ。」
「むむ、一体なにをしているやら。」
フェルディナントは元帥が受け持つからと言って元帥が訓練場に足を運ぶとは考えていなかった。つまり、この賑やかなのはバスカヴィルの代わりに指導する指揮官がなんからかの不労を働いているのではないかと鑑みたのである。
「明るいところに怒鳴り込むのも気が引けるな……。」
「覗くだけ覗いてみましょうか。」
整えた髭を更に整えて、フェルディナントは控えめに、うむ、と頷いた。僅かに歩兵訓練場の扉を開け、中を覗く。
(……あれは!)
あり得ないと思っていたバスカヴィルの姿がそこにはあった。フェルディナントは思わず身を竦めた。兵士達は二人で訓練をしているが、他にバスカヴィルの元で指導を聞いている者も僅かに見受けられた。皆真面目に取り組んでいるが、取り組みつつ歓談にも励んでいる。
(な、成程。兵士達のペースで自由に休憩も取らせつつ……先進的……。)
フェルディナントが受け持つ儀仗騎馬部隊も、他の部隊と比べて自由度は高かったが朝から昼まではほぼ決まった時間での休憩しか取らせていなかった。
「うちもあれをするか。」
「えっどれです?」
言うや否や、フェルディナントはすたこらさっさと歩兵訓練場を後にした。いかに兵士とはいえ、戦争のない平常時にまできちきち休みを取る事はない。そうと決まれば実行に移すだけだ。
* * *
活気に満ち溢れた第二塔に面を食らいながら、ゲラシム・ファラレーエフは苦虫を潰したような顔をする同胞に会いに来た。軍事将軍に執務室の扉を開ければ、カミルとギャブリエルはそんなウルリヒの顔も素知らぬ顔で紅茶を飲んでいる。
「なにを悠長に茶なんぞ飲んでる場合か!」
「あらゲラシム閣下、よろしければ茶菓子でもいただいていってくださいな。」
ウルリヒの前に置いてあるティーカップは手がつけられていないのか、すっかり冷めた紅茶が揺れている。
「策は打ってるんだろうな……!?」
「勿論ですとも。ただ……、まあやはりあれだけではどうにもなりますまい。」
ティーカップをソーサーに置いて、カミルは咳払いをした。せかせかと焦燥感を感じさせる歩みでウルリヒの隣に立つと、ゲラシムは乱雑な素振りで残りのティーカップに紅茶を注いだ。
「なんにせ、向こうにはリヴィングストン家がついていますからね。それで、ファラレーエフ閣下。少しご協力いただけないかしら。」
「無論おしまんとも。」
その返答を聞いたウルリヒが片手をあげると、扉のすぐ横で気配を決して立っていた部下の一人が、本棚の隠し戸を開けた。そこから出てきた男と見覚えのある色の青紫のマントを纏った少女に、ゲラシムは思わず身を乗り出した。
「なん……ウルリヒ!? どうするつもりだ!」
「用意してほしいのは銃一つでいい。ロシア製のきちんとした奴だ。」
仰々しく古風な挨拶をしたマントの少女は、にっこりと笑いかけた。
「五大筆頭家の面々の惜しみない援助によって、取り敢えず一つの答えには漕ぎ着きました。あの男を殺すんでございましょう?」
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