Verse 3-2
胸にある懐中時計が刻一刻と時を刻む。一人でウェストミンスター寺院の身廊にいるレイにはその秒針の音は心地良かった。士官学校主席卒業者が元帥から贈られるその特別な懐中時計を、レイは肌身離さず持っている。ふいに、鼻につく臭いを嗅いでレイは顔を上げた。
「おい、潮の臭いがする。」
無線機にノイズが入って通信が途絶える。レイはベンチから立ち上がって中央に立った。アプシス部分に海水の渦巻きが湧き上がり始める。
「罰当たりめ!」
基礎の書の回収を皇帝から一任されて初めてROZENが知った事は、書は自衛をするという事である。古今東西数多の悪魔を扱って、書は自らを持ち去ろうとする人々を退けるという事だ。そして、それを確実に封じ込める事が出来るのは皇族に仕える神官のみである。
「なんで分家の時は働かないんだこの悪魔共……。」
レイは床を蹴ってアプシスの頂上まで跳躍した。渦の真ん中に抜き放ったロングソードを突き立てようとする。しかし海水は、ごう、と音を立てて、レイを剣ごと包みこんだ。口の中に押し寄せてきた海水でレイは一気に息が詰まる。
「へぇ、その剣どこで手に入れたの? ま、そんな事聞いても仕方ないだろうけど。」
渦の向こうに声の主はいた。近世ヨーロッパの海軍提督のような豪華な軍服を着た少年である。声が澄んでいる事から、海水の主がその少年である事がレイには分かった。しかし意識に靄がかかり始め、手から剣が抜け落ちる。あの少年を仕留めれば一発なのに、とレイは歯軋りした。
「案外弱いなぁ。渦を止めたかったら、僕に命令してみたら?」
寺院の中に喉で笑う声が木霊した。泡のように少年の姿は跡形もなく消え去る。
(溺死させるつもりか……!)
どうにか渦中から抜け出そうとレイは腕を伸ばした。一瞬、渦の向こう側に出た指先から黒い火花が散る。空気の泡が口から昇っていく様子を眺めながら、レイは捻り出した言葉を発した。
「蒸発しろ!」
掌から音を立てて、黒い炎が燃え上がり始めた。
黒い蝙蝠がけたたましい鳴き声を響かせた。上頬から滴り落ちる生暖かい血を振り払うと、リチャードは展示室の壁を駆け上がる。
「エド、背後から行け!」
サーベルを目標の頭上に振りかざしてリチャードは叫んだ。蝙蝠の群れの向こう側から姿を現したエドワードは大きく前に踏み込む。雪のような白い肌がエドワードの目に飛び込んできた。
「あら嫌だ、女を後ろから攻めるなんて軍人がする事じゃないわよ?」
槍先を華麗に避けて、橙にかなり近い金のツインテールを揺らしながら彼女はエドワードへ振り返る。リチャードが振り下ろした軍刀を片手で払いのけ、女はゆっくりと唇を歪ませた。
「私を捕まえるなんて三百年くらい早いわ。」
槍の長い持ち手に腕を回して、彼女は上目遣いでエドワードを覗き見る。そのまま槍を抜き去ろうとするエドワードに一度ウィンクをすると、彼女はサーベルを基盤に遥か高く跳躍した。小さくなったその姿は蝙蝠の影に掻き消される。リチャードとエドワードは互いに背中を合わせた。
「蝙蝠をどうにかすれば書も出るよね?」
「だろうな。」
一度長くため息をついて、エドワードは慣れた手つきで槍を手の中で回す。最後の一振りが終わった時、その穂先が微弱に金色の光を帯びた。エドワードは気付かずに呟く。
「神よ。俺を見放していなければ、今一度貴方の加護をお与えください。」
途端、外に漏れ出すほど強い光が室内を覆い尽くす。蝙蝠のその黒い姿と影は、光に押し潰されて跡形もなく消え去った。
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