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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第四巻『血を流し死で洗い 命枯らすまで 荊棘たれ。』(CoSH Exc.2)

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Example 2-34

 同室の友人が乗り込んだ寝台列車を、雪景色の向こうに消えるまで見送った。一足早くにアウロラ本家からクリスマスカードが届いた。夫人が編んだマフラーとミトン、耳あて付きのニット帽子はバスカヴィルにぴったりだった。バスカヴィルが来ない事を事前に知ったドロシーも、プレゼントはなかったが小さなクリスマスカードを送ってきた。


(さて、本当に一人か。)


 ガウェインも帰省して、クラヴェーリは夏に仲良くなった店で冬の間働くと言う。バスカヴィルはホームから降りようと振り返ると、見覚えのある男が一人、彼もまた汽車を見送っていた。


「……ロベルト?」


 鼻がそろそろ赤くなりそうだったが、思わず声をかけた。相変わらず煙草を吸っているこの筆頭家の影は、一音も漏らさずバスカヴィルの声を聞いたようだ。


「見送りか?」


「別に。」


 実に面倒臭そうな表情だった。その顔は、バスカヴィルに声をかけられるよりも前から凍てついていた。


「お前はリヴィングストンの世話にならないのか。」


「今年は一人で過ごすよ。」


 あの事件以来、初めての会話だった。すんなりとお互いに喋っていた。まるであの夜の事などなかったかのように。


「ところで本当に何故ここに?」


 目を細めて、ロベルトはまだ幾分背の低いバスカヴィルを見下げた。落ち着いて話している、妙な萎縮もない。大人になった、というよりは、最初からあった大人の部分を隠していたのがついに剥がれたといった感じだった。


「……ヴィステンバッハとロッセルの小僧が見送れとうるさいから取り巻きに加わってやっただけだ。」


「お前はあの二人が嫌いなのか? 同じ五大筆頭家なのに。」


 またロベルトは鼻で笑った。その世界を嘲るような笑い方をやめたらいいのに、とバスカヴィルはつくづく思う。


「あんなのと一緒にするな。」


「お前は反皇帝派なのか?」


 ホームを降りて、徒歩で二人は近くの小さな馬小屋へ赴いた。士官学校から乗ってきた馬が二頭、暖かい外套を背負って藁を食んでいる。


「別に。だれか俺が信じた人間が、そうなれと言うならそうする。」


「ノンポリなのか……。」


 二人は鞍に跨った。厩舎の脇からすぐに、学校の敷地へと繋がる山道が始まった。


「ノンポリ? ……そうかもしれないな。政治的な主張は持ち合わせていない。」


「では筆頭家の中では生きづらいだろう。」


 口元を歪めて、ロベルトは目を細めた。


「まさか筆頭家の俺を懐柔するつもりか? 豪胆な男だな。」


 目を丸くしてバスカヴィルは道の先を見た。そういえばこの男に近付いたのはそういう意図だったのではなかっただろうか。


「あの夜、俺に抱かれて散々喚いていただけあるな。」


「っ……!」


 背筋が怖気だった。冬の風も太刀打ち出来ないほどに顔が赤くなる。


「恥ずかしがるな、褒めているつもりだ。」


「それが褒めているというのか!? 私は屈辱的だったんだぞ!」


 怒るバスカヴィルに、ロベルトは笑ったままだった。


「そうやって売り文句に買い文句が出来るならその内どうでもよくなる。」


「お前こそああ言えばこう言うその思考は一体どこから……。」


 そうやって言葉で殴り合っている間にすっかり敷地内に到着してしまった。寒い中厚着と儀仗的なプレートで武装した衛兵が馬の手綱を預かった。下馬してとっとと歩き出してしまったロベルトの背中に、バスカヴィルは声をかける。


「ロベルト! お前、どうして家に帰らない!」


 年末年始に帰省しない士官生は、大体外部生ばかりだ。帰る家を失った者が殆どで、そんな人間でも友人の世話になる事のほうが多い。ロベルトはまた聞いているのに言葉を返さず、背中を向けたまま手をひらひらと振った。


(帰りたく、ないのか。)


 親がいる家に帰らない。ロベルトの行動は五大筆頭家の嫡男としてあまりに逸脱した物だと、バスカヴィルの瞳には写った。


 * * *


 人員は減るが、士官学校で休暇を過ごす生徒達の為にも食堂や図書館という必要最低限の施設は運営されていた。バスカヴィルは日が出ていない時間にトレーニングをして食堂に入り、昼は図書館で本を読み耽っていた。時々お互い帰る家のない士官生が友達になって雪合戦をしているのを見かける。そして、本当によくよくロベルトの姿を見るようになった。


(声がかけづらい……。)


 五大筆頭家という事もあろうだろうか、それ以上に彼の雰囲気は近寄りがたかった。食堂でも図書館でも、彼はいつも一人でいた。夜の散策で、バスカヴィルはふとユニコーン寮の戸口に手をかけて立ち止まる。


(ヘルハウンド寮のほうは本当に行った事がないな。)


 寮の建物は三十と存在する。バスカヴィルはすっかり雪の被った立て看板の地図を見た。寮棟群の建物は全部で五列。一列ごとに六つが扇状に建っていて、大体列毎に同期が入っていた。ユニコーン寮から始まり、バスカヴィルと同年に入学した士官生達は、セイレーン、ミノタウルス、スフィンクス、マーマン、ヘルハウンドのいずれかの寮に所属する。


(そういえば次の列は……。グリフィン、ウェアウルフ、バジリスク、ガーゴイル、ケンタウロス、サラマンダー、か。)


 ユニコーン寮に背中を向けて、バスカヴィルは一番離れたヘルハウンド寮を目指した。人っ子一人いない真夜中の士官学校を歩くのはこれが初めてだった。黙々と歩いて十数分、マーマン寮の裏に差し掛かったあたりから、ピアノの音色が聞こえてくる。


(……談話室のグランドピアノか。)


 ヘルハウンド寮に近付くにつれ、その音色は段々と大きくなる。寮棟にはだれでも入れたから、バスカヴィルも音色に誘われるようにしてヘルハウンドの門戸を開けた。


(ショパン……夜想曲一番。)


 静かな音に、僅かに混ざる甘い旋律。その感情の込め方がロベルトのものだと、すっかり耳の肥えてしまったバスカヴィルにはすぐに分かった。オルガンよりも出やすい調子に唾を飲んだ。しんしんと降る雪に音色が溶ける。月明かりが潤んで震えるような気持ちになった。そう長い曲ではない筈だが続けざまに第二番に指が走った。


(なんて軽い旋律なんだ。)


 階段を上がって、最上階の再奥にある談話室へ向かった。グランドピアノが、開いた扉から見える。蓋はすっかり開放され、冬の寒い空気が開け放たれた窓から入り込んできた。一体彼は、この旋律をどんな表情で、どんな気持ちで弾いているのだろう。談話室に足を踏み入れ、バスカヴィルは月明かりが照るグランドピアノの前に立った。人が入ってきたのにも気付かず、第三番が続く。ロベルトはじっと鍵盤を見ていた。その眼差しは普段からは想像がつかないほど柔らかい。鍵盤の上を指が軽やかに踊る。叩かれた弦からは、そのハンマーからは想像がつかないほど柔らかな音色が上がった。まるで、外にとつとつと降る雪の粒が、弦に当たって音色が出ているようだ。やがて連なる音符が短調へ変貌を遂げる。バスカヴィルは息が詰まった。ロベルトの短調はあまりに苦しい。聞く人に考える間も与えず、息を継ぐ暇もなく喉を絞めつける。


「……っ止めてくれ!」


 重圧に耐えられずにバスカヴィルは声を上げた。ロベルトは本当に人が入った事に気付いていなかったようで、その声に驚いて指を止めた。


「なぜお前がヘルハウンドにいる。」


 バスカヴィルは肩で息をしていた。瞳孔が開き切っていたおかげで焦点が定まらない。ふらふらと近くにあった椅子に馬乗りになって、バスカヴィルは背もたれに腕をかけて額をつけた。


「大丈夫か。」


「静かにしていれば治る……。」


 周囲を見渡して、ロベルトは机の上にあった開いたワインボトルを見つけた。ピアノを弾く前、食堂で余り物を貰ったので少し口にしたのだ。談話室に備え付けられているグラスを新しく持ってきて、ロベルトはそれをバスカヴィルに渡した。


「で、何故ここに?」


「こちらに来た事がなかったから興味本位で。ユニコーン寮は真反対だし、一度見てみても損はしないだろうと思ってね。」


 差し出されたワインを一気に飲み干して、バスカヴィルは椅子にきちんとした向きで座り直した。


「ピアノとオルガンはどちらが好きなんだい?」


 なぜそんな事を、と思ったが、もう質問するのも疲れてロベルトは素直に答えた。


「冷静になる為ならオルガンが適している。ただただ感情をぶつける為ならピアノだ。」


 ワインが思いのほか美味しかったのか、バスカヴィルはワインボトルを引き寄せてもう一杯グラスに注いだ。


「聞いてるのか?」


「聞いてるとも。」


 ロベルトは少し自分にうんざりした。話したくないならここから今すぐ立ち去ればいいだけだ。だが、彼の容姿や行動の一つ一つに目が釘付けになる、洗練された所作は実に美しい。絵画で言うならばフランソワ・ブーシェの描く繊細かつ政治的な婦人と言ったところだろうか。しかし、最近彼に体格は随分と大きくなった。今までも引き締まってはいたが、細身で少々中性的だったのが最近では、顔を見ても一瞬で男だと思えるくらいになった。


「……夜も遅い、帰れ。」


 彼の変容がロベルトには面白かった。果たしてきっかけがあの夜だったのかはともかく、この一年で既に目覚ましい成長を遂げたバスカヴィルは、今自分がついているふてぶてしい無精者の権力者よりも遥かに良物件だった。


 * * *

毎日夜0時に次話更新です。

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