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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第四巻『血を流し死で洗い 命枯らすまで 荊棘たれ。』(CoSH Exc.2)

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Example 2-27

 一人で講義に赴くというのは、バスカヴィルにとっては入学以来初めての試みだった。大抵クラヴェーリが一緒で、時々ガウェインの姿が見えた。ニコライとはガウェイン以上に被らなかった。


(緊張するな、一人でいると言うのは。)


 息を僅かに吐いて、バスカヴィルは扉を開けた。年齢の隔たりなく、士官生達が大勢座っていた。軍人の基本、そんな講義がここまで人気を博しているとは思っていなかった。


(……空いていない。)


 ちらほらと空いている席はあるが、今にも座ろうとしている士官生達もまばらにいる。バスカヴィルは首を巡らせて、端の端の席に目を凝らした。だれも狙っていないし、だれも座ってはいないが、その理由はどうやら荷物が置かれているからだった。


(全く、こんなに満席だというのに人の気持ちになってみろ。)


 ズカズカと階段を降りて、バスカヴィルはその荷物の主を見て固まった。赤褐色の髪だ。よく覚えている。


(……。)


 後ろの席の青年はちらちらと心配そうにバスカヴィルを見ていた。青年は、皇太子が座るくらいなら一層自分が座った方が穏便に済ませられると言い聞かせたが、どうしてもその一歩が踏み出せない。


「……隣に座っても?」


 頬杖をついていた青年の手はバスカヴィルの前に出される事はなかった。代わりに赤褐色の、青年と言うには少々老け込んで見える士官生が手を動かした。どうぞ、とも言わず無愛想に荷物を手繰り寄せた。


(なんという無礼者……。)


 皇太子に対して礼節がなっていないどころか、人間に対しての礼節がなかった。バスカヴィルは眉間を寄せながら少々乱雑に、どか、と席に座った。と、同時に前の扉から入ってきた教官がギョッとした顔でその二人の列を見た。元皇太子とヴァイゼンブルク家の嫡子が隣に座る。一触即発の緊張状態が、教室全体とは行かずとも周囲に漂っていた。


「……えと、ガイダンス講義を始めます。軍人の基本ですが、間違いないですか。」


 教官は何度もちらちらと二人の列を見た。お願いだからどちらか間違っていてくれ、と思っていたが動く気配を見せない。もうやるしかないのである。下腹で教官は拳を握る。


「え~、ではこの講義の説明だが。軍人の基本という事で、選択講座になる。軍人とはどのようにあるべきなのか、立ち振る舞いなどを歴史的観点から流動的に見ていく。ROZEN内部というよりは世界での様々な事例を広く取り扱っていく講義になる。」


 教官の話はきちんと聞いていたが、バスカヴィルはそれ以上にやはりロベルトという男が気になって仕方がなかった。


『懐に入って直接接触すると言うなら、あるいは。』


 そんなニコライの言葉を頭で反芻したが、だからと言って行動出来るかといえばそれは違った。隣に座るだけでも接触したと言えるが、気さくに話しかけるでもなし。どう口を開けばいいかさえ分からない。


「では、なにか質問がある物は……。あ、はい君……いやえっと、貴方。」


「君で構いませんよ。様々な事例を広くと最初に仰っていましたが、古代あたりから扱うという前提でよろしいでしょうか。」


 それでも欠かさず質問はしなくてはならない。バスカヴィルはノートに書いた質問をそのまま教官にぶつけた。


「まあそんなところだ。具体的には古代ギリシアを少し、その後きちんと古代ローマから入って、歴史の潮流を作り出したフランスとイギリスあたりを広く扱っていく予定だ。」


 ありがとうございます、とバスカヴィルは着席したが、それと同時に、隣から手が挙がった。


「え、あ。はい……。隣の君。」


 しどろもどろの教官など意に介さず、


「フランスとイギリスを扱うと言いましたが軍の規律は多くの国がドイツをモデルにしています。」


「勿論ドイツも扱う。が、ドイツは近年の資料ばかりになるのでフランスとイギリスほど大きくは取り扱えないだろう。」


 素直に着席したのを目で追っていたバスカヴィルは、ロベルトとついに目が合ってしまった。別に意識して見たのではなく、どうやら視線が気になっただけのようだった。鋭い男の瞳は、意識していなくてもその場にいる人間の多くを萎縮させる事の出来る威圧感があった。体格はよく、バスカヴィルくらいならばすぐに捻じ伏せられるようなガタイの良さだった。


「他に質問はあるか? なければこれで終了!」


 ガイダンスは思いのほか早く終わって、多くの士官生は緊張が解けたように、次の講義までの時間の潰し方を友人と話し合っていた。


「あ、あの!」


 話題など知ったものか、とバスカヴィルは机の上を片付け始めたロベルトに声をかけた。じろり、と狼のように髪と同じ赤い瞳がバスカヴィルを見た。


「……。」


「何だ?」


 黙りこくってしまったバスカヴィルにロベルトは先を続けるよう強要した。


「あー……何て言うんですか? お名前。」


 必死にひねり出した質問の後、数秒間を置いてロベルトは突然声を上げて笑い出した。腹を抱えて悶絶して、バスカヴィルは心外だとばかりに拳を握る。ひとしきり笑い終えたところで、ロベルトは漸くバスカヴィルに向き直る。


「俺の名前をお前が知らないわけがない。話しかけるならもっとマシな質問にしたらどうだ。」


 とんだ道化だな、とロベルトは吐き捨てる、


「っ私だって、お前とお喋りをするつもりで隣に座ったわけでは……!」


「だったら話しかけずにとっとと教室を出たらどうだ。さぞかし不快だろう、ヴァイゼンブルク家の隣にいるのは。」


 すくっと立ち上がってロベルトは足早に教室を出てしまったが、バスカヴィルは自分の目標に噛り付いて離さない蛇のようにしぶとくその背中を追った。鞄にしまえなかった本や筆記用具を全て抱えて階段を駆け下りる。


「待て! まだ話は終わってない!!」


 もうロベルトは廊下の大分先を歩いていたが、バスカヴィルのその怒声は廊下にいた士官生全員を振り向かせるに等しい大きさだった。しかし当のロベルトと言えば聞こえているにも関わらず、まるで追ってこいとばかりに、振り返りもせず片手を挙げてひらひらと振るだけだった。


(あの独活の大木っ……!)


 そう思って追いかけようとしたが、教室からガイダンスを終えた士官生達が出てきたおかげで、建物から出た時にはもうロベルトの姿は人混みのどこかへ掻き消えていた。


「くそっ……。」


 次にまた同じ講義に出てくるとは限らない。行き場をなくした悔しさと怒りが壁に叩きつけられた。


 * * *

毎日夜0時に次話更新です。

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