Example 2-24
案内されたのはオーウェンの寝室だった。質素だが柄物のベッドシートはソファーが並べられている。決してうるさい部屋ではないが、少々重々しい雰囲気があった。
「母はアウロラ家令嬢で長女でした。次女は別の貴族家に嫁いでそこで暮らしています。父と出会ったのは、父が本部官僚少佐として直轄領に着任した時の事で。当時リヴィングストン家は本部にポストを持っていなかったので、父は積極的に様々な社交界に顔を出していました。パーシヴァル将軍閣下は父の先輩に当たる方で、当時は既に本部将軍だったのでそこから貴族の社交界に入っていった具合です。」
使用人が紅茶を持ってくると、二人が座ったソファーの前には一気に葡萄の香りが漂い始めた。
「アウロラ家は当時、軍部にまだ交流を持っておらず、貴族と軍人の交流はジャルディーノ本家のみが行なっていました。ファルケ家は派手に動く事が出来ない手前、情報伝達のみをしていたので……。ジャルディーノ本家の取り計らいにより両親は出会いました。つまり父と母は殆ど政略結婚と言うのが相応しいでしょう。」
茶菓子として送られたチョコレートはアウロラ家が手土産として持ってきてくれたものだった。
「アウロラ家の長女とリヴィングストン家の長男、ですか……。」
「祖父母は大喜びだったそうです。すぐにアウロラとリヴィングストン家の関係は良好になり、その結婚式も華々しく新聞で取り扱われました。今まで両社会層の関係に陰湿なイメージがあっただけに、初めての大物貴族と、本部に籍を置く軍人の結婚はROZENに光を当てた。」
ソファーから立ち上がって、オーウェンは小さなライティングテーブルにしまってあったスクラップブックを取り出した。広げられたページには、当時の新聞が几帳面に貼ってある。
「士官学校の図書館に蓄積してある新聞から複写を貰ったものです。」
題字には、貴族と軍人の終戦、とか、開かれた和解の道、とか希望に溢れた言葉が並べ立てられている。
「一部の軍人、特に高官はこれを良く思わなかった。それでも、大衆の声はやはり大きくてヴィステンバッハの家名はイメージが悪くなるばかり。元帥職も追われて、ついに私の父アンソニーが今の元帥として就任したわけです。」
「……では、母君がなくなったのは逆恨みという事ですか。」
苦笑いをしてオーウェンはファイルを閉じた。
「殆ど実行犯であったヴァイゼンブルク家がなにを考えているのか分かりませんが、指示したのはヴィステンバッハ現当主、本部軍事将軍のウルリヒ・ヴィステンバッハで間違いなかった。」
紅茶ではあるが、仄かにワインのような味がした。バスカヴィルはフレーバーティーが好きではないが、この葡萄の紅茶は少し落ち着く事が出来た。
「ハワード先輩が手を上げたのはそのせいですか。」
「いや、弟は母が死んだ理由を知りませんから違うでしょう。ですが今はまだそっとしておいてあげていただきたい。落ち着かない年頃なので。」
あの気さくな青年が、母の死の真相を知ればどういう事になるだろう。下期が始まってすぐにヴィステンバッハの嫡男を殴りに行くのは容易に想像出来た。
「……父は、報復措置を取りました。ヴィステンバッハがしたように、ロマノフスキー家を使って前代の当主を暗殺した。だが、ただそれだけで母の仇を取った事にした。」
「アウロラ家も納得はしました。彼らは血をそれ以上見たくなかったでしょう。気持ちは分かる。だが最愛の母を失った僕の心はそんなものでは晴れなかった! 僕は——」
はっとオーウェンは扉の方に視線を置いた。バスカヴィルも振り返る。ドロシーが、扉を開けて深々と一礼していた。
「こちらにいらっしゃると聞いてノックをしたのですがお返事がなかったので。」
「何か彼に用事が?」
言葉を飲み込んで、オーウェンはもう遅いと思いつつも平静を装った。
「カルロ様が二人で庭を散策したいと。」
視線を戻して立ち上がったオーウェンの顔を仰ぐと、オーウェンは一度頷いた。
「分かった、そちらに行こう。」
「承知致しました。……失礼致しましたオーウェン様。」
疲れたようにオーウェンは手を払った。心配そうな顔で立ち上がったバスカヴィルに、やはり疲れた顔で微笑む。声が僅かに掠れた。
「ご心配せずとも、後二十年くらいは感情を抑えて生きていけますよ。」
いやどうだろう、とオーウェンは自問した。一度発散しようとした感情を再び押し込んで生きていけるかと問われると、自信がなかった。
庭に出ると、カルロがステッキに少しもたれてテラスチェアに座っていた。
「お待たせして申し訳ない。」
「いえいえ、つい今さっき支度が終わりましたよ。」
よっこいしょ、と掛け声と共に立ち上がったカルロだったが、年の割にまだまだ健脚の持ち主だった。皇太子の頃の記憶に頼れば、彼は貴族界ではきってのアウトドア系だった。庶民から貴族のスポーツまでなんでもやった。サッカー、テニス、ゴルフ、登山、ランニング、サイクリング、彼がやっていないスポーツなど恐らく両手で足りるくらいだろう。
「士官学校での生活はどうですか。ご不便は?」
「無償の奨学金と学費免除があるのでそう苦しくはないよ。食堂の料理も美味しいしね。」
カルロは好々爺のようににっこりと微笑んで、安心したように、そうですか、と呟いた。
「殿下がいなくなってから貴族の社交界はまるで見る華を失ったように衰えていきました。現皇帝陛下はあまりメディアに露出しようとしないし舞踏会もなく、外交も我々に任せきりで……。お仕事はきちんとしておられるのですが、幅が狭いと言いますか。」
「凡愚と言いたいのかね?」
カルロは頷いた。
「やはり殿下は鬼才でした。皇太子の頃からあれほど外交に尽力し、貴族のみならず軍人の社交界にまで顔をお出しになるなど並大抵では出来ないでしょう。」
寂しげにバスカヴィルは微笑む。そう褒められても、今はなにも出来なかった。
「……そうだカルロ。私がまだ皇太子の頃、貴方のカンパニーが軍人に服を売らなくなった事があっただろう。あの事の仔細は何だったのだ?」
少し日照りが強く、カルロは汗の垂れる額をハンカチで拭いながら返答した。
「あれは……ヴィステンバッハ夫人に洋服を仕立てたのですよ。まあ最初注文が入った時は店のトップがびっくりしましてね、私の所まで采配を仰いできました。私も驚きましたが、作らない理由が政治的になってしまうのでお作りしました。が、お届けした後日に夫妻から理不尽なクレームを頂いて、仕立て人と店のトップが怒り狂ったのですよ。言葉の応戦となっている所に不買運動と来まして。」
眉間にしわを寄せて、バスカヴィルは少し前のめりになった。
「殿下、アウロラ家は五大財閥の売上のトップを走っているだけでなく、リヴィングストンと繋がっている所でもヴィステンバッハの目の敵になっているだけです。貴方様がそのような顔をする事はないのです。どうか今はまだ御身をお案じください。貴族と軍人と帝室という三つが紡いでしまった蜘蛛の巣に足を取られるのは、軍に入ってからでも遅くはありません。」
「カルロ……。」
やはり疲れたようにカルロは微笑んだ。彼らは本当にこの諍いで疲れていた。果たしてこれからも疲れ続けて、燃え尽きてしまうのだろうか。
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