Example 2-23
それからパーティが近付くにつれハワードも忙しくなり、バスカヴィルの一日は犬との運動と書庫での資料漁りが殆どになった。
(成程、アウロラ家とリヴィングストン家はここ数年随分と懇意なのか……。)
言われてみれば、アウロラ本家も決して急進的な家ではなかった。五大財閥でROZENを特に忌み嫌っているのはイディール本家とデジレ本家の二つで、他で急進的なのは主に分家だった。バスカヴィルがその日辿ったのはリヴィングストンで開かれた過去のパーティの、詳細な招待名簿だった。アウロラ家の当主は殆ど参加していた。参加していない年もあるが、バスカヴィルの記憶が正しければその年は同じ日に皇帝が舞踏会を開いている筈だ。更に宿泊者名簿を開けば、ほぼ毎年アウロラ本家の当主とその直系の子息子女はパーティの日から数えて一週間はリヴィングストン私邸に泊まって夏を過ごしている。隣接する棚にはリヴィングストン家のアルバムがずらりと並んでいた。リヴィングストン夫妻の結婚は一七五六年の春だった。その年のアルバムを開けると、幸せそうなごく普通の家庭が見て取れる。
(美しい人だ。)
ブロンドの髪はまるで澄んだ川底で洗われた砂金のような細かな輝きを放っている。大きな宝石のような瞳とミルクのような白い肌は、確かに弟のハワードに譲られたものだ。翌々年の夏頃に、当時のリヴィングストン家当主が亡くなりアンソニーがこの家の家督を相続した。秋頃になると、オーウェンが赤ん坊の姿で写真に写るようになる。更に翌々年にはハワードの幼い姿が加わって更に賑やかになった。アンソニーは少し老いたように見えるが、夫人のほうはまだまだ美しい。
「おっと。」
翌年のアルバムを開いたところで、ひらりと一枚の写真が抜けて落ちていってしまった。書庫の扉のすぐ手前にあったおかげで、殆ど入り口のほうへ舞っていく。その流れを目で追っていくと、写真は一揃えの革靴の前に落ちていった。バスカヴィルより幾分背の高い青年が、片膝を折ってその写真を拾う。
「すみません。」
「構いませんよ。」
一仕事を終えたらしいオーウェンが、少し乱れた髪で書庫の扉の前に立っていた。
「我が家のアルバムを見ていたんですか?」
「ええ、少し気になって。」
写真はアンソニーの元帥就任に際して行われた就任パレードだった。オープンカーに乗る二人が、群衆に手を振っている。
「お美しい母君ですね。ハワード様にそっくりで。」
手渡そうとしたオーウェンの手がびくりと震えて、バスカヴィルは写真を掴み損ねた。
「……ハワードは、母の忘れ形見のようなものです。」
沈鬱な声だった。今までの凛々しさなど影を潜めて、書庫に光が差さないとはいえ、その表情は周囲よりも暗く思える。
「父が元帥に就任した一七六一年の就任パレードの日。母は丁度この写真のすぐ後、凶弾から父を庇ってこの世を去りました。」
瞳と唇が震えた。
「まだ、二十五歳だった……!」
青白い頬に、まるで陶磁器の上を流れるようにするりと涙が伝っていった。
* * *
それから、バスカヴィルはハワードの顔をよく見る事が出来なかった。ハワードはあまり気にしていなかったようだが、オーウェンはそれに気付いてバスカヴィルと屋敷で出会うと申し訳なさそうに会釈をするようになってしまった。
(貴方に、人生の全てを失う覚悟はおありか、か……。)
その言葉がバスカヴィルの胸にこだますると同時に、その返答もまた自分の体の中で渦巻いた。
(私に、失う事の出来る人の道などあるのだろうか。)
妻を娶る自分の姿さえ想像がつかなかった。子を育てる自分も理解が出来ない。
(私に、幸せな家庭を築く価値などあるのか?)
アンソニーが元帥になるより早く、アンソニーが妻を失うよりももっとはるか若い年齢で、バスカヴィルは既に、その意思と口で持ってして人知れずに人を殺したのである。その罪の意識はなくとも、その重い過去が突然肩にのしかかった。突然背中が薄ら寒くなった。軍人になったら、元帥になったら、結婚とか子供とか家庭とかそんなものより、一体これから人をいくら殺すのだろうという未来ばかりが見えた。ぼんやりと出窓のベンチの前で座っていると、ドロシーがスカートの裾を持ち上げて足早にバスカヴィルの所へやってきた。
「ドロシー、どうかしたのかい?」
「お昼にいらっしゃったアウロラ家のご当主が是非お会いしたという事で、ご主人様が客間に案内するようにと。」
パーティの当日、アウロラ本家の家族は一足早くのランチタイム前にリヴィングストン私邸に到着していた。これから一週間、いつもの通りリヴィングストン家に滞在すると言う。
「分かった、行こう。」
ドレスを見せてくれたあの日から、ドロシーはまた少しだけ口数が多くなり、バスカヴィルと喋る事も多くなって漸く敬語を外して話せるようになった。ドロシーは一礼すると、こちらです、とバスカヴィルを先導した。
通された客間はバスカヴィルが初めてオーウェンとハワードに出会った所だった。バスカヴィルの姿を見とめるや否や、アウロラ本家当主カルロ・アウロラが一礼すると共に夫人と子息子女も一礼した。
「やめてください、私はもう皇太子ではないのに。」
「いいえ。貴方が退位召された後も、貴方様は私達貴族にとっては皇太子殿下のままでございます。よくぞここまでご成長なさいました……。退位なさって隠居した時は本当にどうしようかと。」
アンソニーとオーウェンが一つソファーの隙間を開けたので、バスカヴィルはそこに座る事にした。
「リヴィングストンとジャルディーノには感謝してもしたりない。二家の尽力あってこその今、殿下がここにいられる。」
「勿体無いお言葉です、義父上。」
記憶と写真の中の通り、勿論もっと老いてはいるが、カルロは他の貴族のように恰幅が良いほうではなかった。すらりとした長身で、アンソニーよりも細身だった。カルロは敬うような眼差しでバスカヴィルを暫く見た後、咳払いをして落ち着きがなさそうに指を動かし始めた。
「パーティが始まるより先に殿下とお会いしようと思ったのは、現在の貴族の中での噂話を、殿下の耳に早急に入れなければと思ったのです。殿下さえよろしければ、お話ししてもよろしいでしょうか。」
「構いませんよ。」
ありがとうございます、と禿げかけた頭髪を見せて、カルロはもう一度咳払いをした。
「実は急進的な貴族の動きが現在不穏なのです。殿下がROZENの士官学校入学で、貴方をスパイだと思うような輩が出てきました。所謂裏切り行為の思われているのです。ジャルディーノ分家伯爵を筆頭に、今貴族界が真っ二つに割れておりまして……。」
「なんですと? ジャルディーノ本家はバスカヴィル君にはそのような感情を抱いてないと思っていたのですが……。」
片眉を上げたのはアンソニーのほうだった。カルロは続ける。
「あそこの分家は違うんだよアンソニー。パーシヴァルが家を抜けて……、体裁的には勘当されてROZENに入ったのも本家の唯一取れる道でな。」
帝室の動きなどをROZENに流す、バスカヴィルはその役目を負っていると急進的な貴族界隈ではもっぱらの噂だと言う。
「アウロラやジャルディーノ本家は殿下がそのような事をしていないのは分かっております。ですがこれから社交界に出る際にはもう、貴族の全てが貴方の味方ではなくなっている事をご警戒願いたいのです。ROZENからも貴族からも狙われるなどと……、おいたわしや……。」
本当にカルロは涙ぐんで俯いてしまった。幼い頃から舞踏会などでバスカヴィルを見ていたおかげで、一種の父親のような気持ちもあるのだろう。
「泣かないでくれ、私はそんなに弱くない。」
「なんと力強いお言葉……。なにかありましたら全力でお力になります殿下。なんなりとお申し付けください。」
会話がひと段落すると、アンソニーの目配せを受けてオーウェンとバスカヴィルは退出した。扉を閉めると、オーウェンの姿は既に遠ざかっていて、バスカヴィルはその背中を反射的に呼び止めた。
「オーウェ、ン…!」
貴族の前と、士官生の前での態度がずれて、思わずバスカヴィルは先輩を呼び捨てた。オーウェンは目を丸くして振り向く。
「す、すみません。」
貴族の前と今の呼びかけの、大人びたバスカヴィルにオーウェンは特に悪い気はしなかった。
「別に構いませんよ、呼び捨てでも。」
というか、本来ならば呼び捨てをされるべき相手なのだが、バスカヴィルの遠慮深さがそれを押しとどめていた。
「……母君について、もう少し聞いても良いですか?」
特に質問があったわけではないが、少しオーウェンの口からリヴィングストン夫人について聞いてみたかった。オーウェンは暫く思慮に耽った後、場所を変えましょう、と呟いた。
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