Example 2-22
リヴィングストン私邸で開催されるパーティは、大体いつも八月の中頃に行われているらしい事をバスカヴィルは知った。というのも、下士官達が七月半ばから休むのに対して、高官の夏季休暇は八月の中頃から九月の中頃までにあるからだ。現に、アンソニーは私邸に帰省してからもROZENの山のような仕事をこなしていた。部下達が夏休みには入る前に仕上げた仕事の最終的な検査をするのに、確かに丸半月を要した。その間、長兄であるオーウェンがパーティの準備を取り仕切り、ハワードがその補佐をする。バスカヴィルは、二人が着々と進める準備をただ眺めている事しか出来なかった。
「このパーティに呼ぶのは穏健な貴族と軍人だけだから、ヴィルもきっと上手く打ち解けられると思うよ。」
招待名簿を作るのはハワードの仕事で、その清書をするのはオーウェンの仕事だった。が、暇を持て余して犬としか遊べずに少々不満げなバスカヴィルを察してか、オーウェンは清書の仕事を彼に任せる事にした。
「ニコライも呼ぶんですね。」
「そういえば同室なんだっけ? 物静かで近寄りがたいんだよなあ。兄貴は随分と打ち解けてるけど。」
オーウェンとしては彼に親皇帝派の軍人、親ROZENの貴族の名前を覚えて欲しいという建前があったが、それ以上にバスカヴィルの文字が見てみたかったに違いない。手紙のスペリングチェックを任されたハワードだったが、自分が口を出せるような出来でない事は一目瞭然で、舌を巻いた。
「ヴィルはこの文字とかカリグラフィデコレーションをどこで勉強したんだ?」
「王宮で毎日やらされていましたよ。」
ほほぉ、と感心した口振りでハワードは満足げににまにまと出来立ての招待状を見ていた。
「いいなあ、文字が綺麗なだけじゃなくて綺麗な装飾が書けるなんて、これから先絶対に使えるスキルだよ。」
このような後輩を持てた事で、ハワードは自慢げにふふんと鼻高々に胸を張った。
「俺もいつかヴィルの手書きの招待状が貰えるような立派な軍人になるよ!」
「楽しみにしています。」
ハワードが目指す将来は、本部軍事将軍だと言う。戦争のない世の中ではあるが、いざという時にしっかりと戦闘態勢につける優秀な兵士達を育てるのが夢らしい。先祖に恥じない武勇と名誉を打ち立てる、それが彼の最終的な人生の目標だった。
出来上がった招待状を最終的にオーウェンにチェックしてもらい、許可が降りると共に使用人の一人に郵便局へ届けるよう頼んだ。まだまだ忙しいオーウェンを邪魔しないようにその書斎から出ると、ドロシーが立っていた。
「ドレスの件ですが、ご主人様から許可が降りました。私が付き添えばいつでもどうぞ、と。」
「え、ヴィルがドレス着るのか?」
頓珍漢な勘違いに、ドロシーも思わず吹き出した。廊下に男女二人の笑い声が響く。
「ごめん、何でドレス?」
「お母上のドレスがAURORA製と聞いて、少し見てみたいなと思ったんですよ。」
口をOの字にして、ハワードは少し頭を震わせた。
「母上のドレス!? 俺も見たい!」
「坊っ……ハワード様ならいつでもご覧に入れますよ。よろしければ一緒に如何ですか?」
手で廊下の先を示したドロシーに対して、ハワードは澄んだ池のような青緑色の瞳をキラキラと輝かせた。三人は廊下を再び歩き始める。
「母上のドレスは全然見た事ないんだよなあ。もう大分小さい頃に亡くなっちゃってさあ。」
「そう……だったんですか? お気の毒に……。」
歯を見せて笑いながら、ハワードは鼻の下をかいた。
「言っても、一歳くらいの時だったから写真でしか見た事なくてそんなに思い入れとかないんだよなぁ。超美人で俺が母親似な事くらいしか知らないんだよね。兄貴も親父も全然母上について喋ってくれないから。」
きっとヴィルのが辛かったよ、とハワードは言ったが、バスカヴィルは首を傾げた。思い返しても、親など初めからいなかったようにも感じた。
「先輩が一歳というと、オーウェン様は三歳くらいですか。」
「兄貴のが辛かったのかもなぁ。それ以上に親父だと思うけど。」
バスカヴィルが寝泊まりしている寝室と同じ色、同じ作り、同じ模様の扉の前でドロシーは止まった。金色の丸いドアノブを回し、中に入れば沢山のドレスがトルソーに並んでいた。中には作りかけの物もある。長い間所有者がいなかったにも関わらず、衣装室は埃が一切立たない。
「こちらが生前、奥様がお召しになったドレス全てです。何着あるかは覚えておりませんが……。」
故リヴィングストン夫人のドレスは決して豪奢というわけではなかった。フリルや柄も全体的に控えめで無地か、近似色での刺繍が多い印象である。
「す、凄い……。」
色は派手なものからパステルカラーのものもあり、どちらかというと生地に力が入っていた。形もスレンダーなものが多いが、決して貧相ではなく、落ち着いた、大人びた美しさがこもっていた。
「以前のAURORAは滅茶苦茶膨らませたドレスとかも作ってたけど、大体親父くらいの時代になるとこういう体にぴったりとしたコルセットの線を出す作品が多くなったよな。」
「先代の皇后陛下がそのようなドレスをお気に召したのがきっかけだったそうです。どれをご覧に入れましょうか。」
一層、二人の士官生の目を引いたのは再奥の低めの舞台に立つ純白のドレスだった。時代の流行の移り変わりを表すように、上半身はぴったりとしているが、下半身はまだ少し膨らんでいて、バッスルの牡丹のように膨らんだフリルとレースは見事なものだった。長い袖には真珠のボタンが左右十ずつ均等にならんでいて、生地には大輪の薔薇のパターンが見事に刺繍されていた。
「あれは、奥様がリヴィングストン家にいらっしゃる際にお召しになったウェディングドレスです。」
「あ、写真で見た事ある! ドロシーも脇に立ってた奴で着てた!」
そう言って、ハワードは胸ポケットから擦り切れた革の手帳を取り出した。
「あの写真は俺のお気に入りなんだよね。親父も今とは比べ物にならないくらい若くてさ。ほら、これだよ。これがドロシーで、この後ろが母上のお家の。」
鮮明な白黒写真をハワードから受け取り、バスカヴィルは目を凝らした。ROZENの軍服を身にまとう若きアンソニーの隣で、柔和に微笑むブロンドの女性が座っている。小さなブーケを膝に乗せ、ヴェールとドレスが椅子の脚を取り巻いていた。その斜め後ろにドロシーが澄ました顔で立っており、アンソニーの後ろにはリヴィングストン夫人の両親が立っていた。
(この顔は、どこかで……。)
バスカヴィルは天井を見上げた。遠い昔に見た事がある。そう、父が王宮でよく開いていた舞踏会に絶対と言っていいほど参加していた二人だ。貴族にしては夫妻共にスタイルが良く、いつもファッショナブルな礼服で参加していた。そう、ファッショナブルだった。
「……アウロラ家の現当主では?」
「あ、はい。奥様はアウロラ家のご令嬢でございます。そういえば、バスカヴィル様にはお話していませんでしたね。」
驚いた事に、ドロシーを見返したのはバスカヴィルだけではなかった。ハワードも母譲りの瞳を丸くしてドロシーを見た。
「は、ハワード坊っちゃまはご存知だと思っていたんですが……。」
「いや聞いてない、聞いてない。」
納得で写真をくしゃくしゃにする前にハワードにそれを返して、バスカヴィルは漸く呟いた。
「道理で……。」
ただの友好関係でAURORAがこれほどの量の衣装を提供するのは少し考えにくかったが、その全てが今の一つの事実で全て腑に落ちてしまった。
「え、ちょっと待って? 親父どうやってアウロラ家の令嬢となんて結婚したんだ? 当時はめちゃくちゃ仲が悪かったんじゃ……。」
手元の写真を見返してハワードの声が消えていく。アウロラ家当主の夫妻の顔はどう見ても怒りも憎しみもなく、愛娘の結婚を誇らしげに思っている柔らかで真面目な顔になっている。
「アウロラ家は五大財閥の中でも最も親皇帝派の筈ですが……。」
「えぇっとどこから説明していいのやら……。リヴィングストン家はお二人がご存知の通り反皇帝派ではないので……。」
狼狽える女中に二人は詰め寄ったがはっきりと的を射た答えは返ってこなかった。
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