Example 2-21
バスカヴィルとハワードが散々カードゲームで白熱したバトルを繰り広げた後、オーウェンは一人で遊戯室のビリヤードテーブルの前で思いを巡らせていた。キューを手の中でくるくると回しながら、ボールが転がっていく方向へ目を細める。
「とんでもないのを拾ってきましたね。」
テーブルの上にもう一本のキューが現れて、オーウェンはその、少ししわの目立つ手が作るブリッジを見つめたまま話しかけた。
「とんでもないとも。だからこそ連れてきたのだよ。」
まあ運だがね、と父アンソニーはウインクしてみせた。八番のボールがころころとポケットへ転がっていく。
「彼は危険です父上。元皇族とはいえ彼がROZENの指揮権を皇帝に返上すると考えるのはあまりに短絡的だと思いますが。」
「では何故ROZENに来たと思うんだね?」
それは、とオーウェンは歯噛みをした。
「オーウェン、別にお前に、親皇帝派になってくれと言っているわけじゃないんだ。お前がいなくてもハワードがいる。彼は親皇帝派としては将来有望だ。感情の制御の事ならまだ今後学んでいく事が出来る。」
「それは……そうですが。これは私の問題であって彼の問題とは違います。私が言いたいのは……。」
唾を飲み込んで、ハワードはキューを床につけて顎を乗せた。
「もう随分と若い頃から苦悩していらっしゃる殿下に、これ以上苦しんでもらいたくないのです。」
突かれた白い手球が僅かにバウンドした。アンソニーの手が僅かにブレたのである。
「父上が分からないわけがない。いえ……貴方ほど苦しんだ元帥はこの世にもう一人といなかったでしょう。」
自分の顔が歪むのが触れずとも分かった。オーウェンの顔は憎悪と悲哀が入り混じっていたが、その顔をアンソニーが直視する事は出来なかった。
「僕でさえあれほど苦しんだというのに。」
「オーウェン……。」
喉で詰まった言葉を吐露して、オーウェンは漸く石膏のように固まっていた肩を下ろした。
「……寝ます。おやすみなさい。」
かつかつと音を立てて出ていく嫡男の姿を、やはりアンソニーは直視する事が出来なかった。食前酒の件と良い、遅い反抗期の表れを感じ取った。
夜中に雨がよく降ったおかげで、庭園の芝生には涼やかな空気が流れていた。空はイングランドを代表するどんよりとした雲が覆っていたが、昼くらいになればもうすっかり晴れるだろうという事だった。
「おはよう!」
バスカヴィルがぼんやりと朝食前の散歩を歩いていると、体操服姿のハワードがそう元気に声をかけて背中から追い抜いていった。
(ランニングか……。)
袖なしのシャツを着たハワードは、思っていたより筋肉隆々であった。兄のオーウェンよりも肩幅はがっしりとしていて、まだ未熟さが残るようだが将来はヘラクレスのような勇猛な体つきになる事がよく分かる。バスカヴィルは自分の下腕を手で掴んでみた。やはりまだまだ細い。別荘地にいた頃は狩りなどしていたが、ここ最近はめっきり運動と言える運動をしていなかった。
(私もなにかしなければ……。ニコライに聞けば教えてくれるだろうか。)
屋敷の脇を抜けると、緑に濁った大きな池が現れた。長期休暇はヨットや小舟などを浮かべて釣りなど出来るのだろう。生憎の天気で水面の輝きは損なわれていたが、その上にいくつかの輪が浮かんでは消えていった。ぽんぽんぽん、とリズムよく浮かぶその輪は、時には連続して八つくらい浮かんでは消えていった。その手前まで目で追っていくと、オーウェンが石を池に向かって横に投げていた。
(上手い。)
そこら辺にある石を吟味して拾っては投げている。ほぼ無心だろう。バスカヴィルはオーウェンに向かって近付いていった。芝生を踏みしめる音で気付いたのか、オーウェンは石をもう一度飛ばそうとして、その手を止めた。
「お早うございます。」
「昨晩は眠れましたか? 随分な雨でしたが。」
オーウェンは拾った石を全て池の中に投げ込んで、岸辺からしりぞいた。ダークブラウンの少しくたびれた革靴に僅かに泥がこびりついている。
「朝までぐっすり休ませていただきました。」
それは良かった、とオーウェンは微笑んだ。手を後ろに回して組み、二人は朝の散歩を再開した。
「中将を目指しているとお聞きしました。」
「えぇ。ここ近年の医学は目覚ましく発達している。私も是非その発展に貢献したいと思ったので。」
暫く歩いて、バスカヴィルは振り返った。石造りのドーム状の建物が池の向こうにぽつんと佇んでいる。
「あれは先祖代々の墓です。リヴィングストン家が皇帝に使えてからの歴代の当主とその妻、兄弟が葬られています。」
「教会に葬っているのではないんですね……。」
振り向いていた首を元に戻し、オーウェンは再び歩き始めた。
「父とは仲がよろしいんですね。」
「一応……そういう事になるんでしょうか。私が勝手にお父上のご講義へ聴講しているだけなんですが……。」
父の講義に、とオーウェンは少し驚いたように呟いた。
「何故父の講義に? まだ早いでしょう。外部生の貴方なら取得単位も必修で一杯の筈だ。」
「えぇ。ですが物事を学ぶには何事も早いほうが良いかと。」
森林を避けて道を歩いていると、気さくな庭師が会釈をしてくれた。
「やはりまずは元帥の下につきたいと?」
「いえ、私は元帥になりたいと思っています。」
足を止めて、オーウェンは肩を並べるバスカヴィルのほうへ体ごと向いた。バスカヴィルの瞳は、昨日のような怪しさはなかった。子供とは言わないがやはり純粋で繊細な、夕日を閉じ込めたようなガラス玉だった。世界の全てを反射している。諍いと謀略を知らない晴れた瞳だ。幼き頃若き頃の苦悩など最早忘れ去ったかのような純潔があった。
「……私も、昔は父に、やんわりと元帥になるよう望まれていました。本部でなくても支部元帥になるように。ですが私は父の苦しむ姿を見て、自分を重ねた上で、その重荷を背負う事が無理だと悟った。」
湿った風が二人の間に吹いた。オーウェンの切れ長の瞳は、じっとバスカヴィルの顔を見据えている。
「貴方に、人生の全てを失う覚悟はおありか?」
青みがかったグレーの瞳に、バスカヴィルはまだ人間として写っていた。しかし、それはもしかしたら外側だけなのかもしれない、ともオーウェンは思った。
「……私に、まだ人の道など残されているのでしょうか。もしくは……最初からないのかもしれないと思ったこともあります。」
時折見せる人離れした顔は、あまりにオーウェンには強烈だった。
「戻れるなら人の道に戻りたい。でも、もう戻れない気もするのです。」
果たしてこの男が元帥として覇道を志すのか、人として王道を志すのか。その決定的な分かれ道には、まだ出会っていないようだった。
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