Example 2-19
二人の兄弟はお互い向かい合ったソファーの左端と右端に座っていた。兄のほうは艶やかな黒髪を、父に似てきっちりと七三に分けていた。骨ばった長い指は、先程お使いから戻ってきた気さくな庭師が届けてくれた新聞を広げている。
「父上、帰ってきたかな。」
一方、弟は麗しい金髪の持ち主だった。うなじは刈り上げているが立派な巻き毛は古代ローマの少年のように頭に沿って流れている。爛々とした青緑の瞳は、目の前にあるジノリの茶器を見ていた。
「先に湯浴みにでも行ったんだろう。」
むう、と兄の受け答えにハワードは頬を膨らませた。が、オーウェンのほうは素知らぬ顔で静かに新聞を読み続ける。ハワードはこういう兄の物静かなところが苦手であった。
「やかましいぞハワード。父上くらい静かに待てないのか。」
「だって~今年は父上だけじゃないんだろ! じっとしてられるかよ!」
足を振った反動でハワードは立ち上がった。その相変わらずの行儀の悪さに、オーウェンはついに新聞の隅を折って半眼になる。
「お前、それを殿下の前で絶対にするなよ。」
「し、しないってば……。」
すごすごと白いソファーに着席したハワードは、居心地が悪そうに赤いジャケットを前に寄せた。白いトレーから先程運ばれてきたマカロンを口に放り込む。と、同時にオーウェンの瞳が動いた。新聞越しに見えるドアノブが捻られたのを確認して、慌てもせずに新聞を畳んで立ち上がる。
「あ、申し訳ないですノックを忘れて……。」
足をばたつかせて慌てて立ち上がったハワードのほうを見て、青年は僅かにたじろいでそう呟いた。
「お気になさらず、いちいち騒がしい弟なので。」
(さ、騒がしいって紹介はないだろ!)
がっくり来ている弟を端目に、オーウェンは花柄の散るベージュの絨毯の上を大股で歩いて、扉を開けたバスカヴィルの前に立った。体格はバスカヴィルに比べ少し痩せ気味だが、それでもすらりとした長身はぴんと背筋を伸ばしていて凛々しかった。
「お初にお目にかかります殿下。リヴィングストン家長兄のオーウェンです。こちらは弟の——」
「ハワードです! お目にかかれて光栄です殿下!」
二人が会釈しようと自らの胸に手を置こうとして、その手は空を切るだけに留まった。バスカヴィルが差し出した手に唖然とするが、その態度は毅然としていた。
「今の私はROZENの士官生バスカヴィルで、貴方がたの後輩であり、お父上の教え子です。殿下と呼ぶのは、やめていただけませんか。」
兄弟は顔を見合わせた。すっかり殿下を相手にする気持ちだったが、バスカヴィルがそれを願っていない事に驚いた様子である。
「分かりました。それでは…えぇ——」
「後輩ならヴィルって呼んでも構いませんか!? あっ、呼んでもいい?」
ハワードが一気に敬語を吹き飛ばしたところでオーウェンは目を剥いた。いくらなんでもそれは、と肩を掴んで咎めようとしたが、バスカヴィルはそのハワードの手を取ったのである。
「構いませんよ。よろしくお願いします。」
にこりと微笑むバスカヴィルは胸のつかえが取れたかのような晴れやかさだった。オーウェンがしどろもどろになる番だった。
「オーウェン先輩も、休暇中よろしくお願いします。」
「は、はあ……。」
調子が狂ったとばかりに、オーウェンは呆然とした返事を返した。
アンソニーが身支度を終えて客間に行くと、バスカヴィルとハワードがお喋りに興じているのに対してオーウェンは少し疲れた様子で静かにその様子を眺めていた。話し込んでいた二人はアンソニーに気付いて立ち上がろうとしたが、アンソニーは、そのままそのまま、と言ってオーウェンの隣に座った。
「どうした? 豆鉄砲を食らった鳩のような顔だな。」
「今まで読んできたどんな医学書より難解だったので。」
タッセルをいじりながら、オーウェンは二人の横顔をじっと見つめていた。
「父上は殿下の事をなんと呼んでいるのですか。」
「バスカヴィル君とかバスカヴィルとか……。ああ成程。バスカヴィル君は殿下と呼ばれるのを嫌がっているんだよ、尊重してあげなさい。」
ジャケットがよれるのも構わずに踏ん反り返っていたオーウェンは姿勢を正した。
「どう呼んでいいのやらさっぱり見当がつかないのでこうしているんです。」
「ハワードは……ヴィルと呼んでいるのか。周りもそう呼んでいたな。」
眉間に寄ったしわを伸ばしながら、オーウェンは切れ長の瞳でじっと紅茶を睨んだ。
「いくらなんでも厚かまし過ぎます。」
意固地、頑固な長兄にアンソニーは少し呆れた笑い声をあげながら息を吐いた。
「まずはバスカヴィルさんとでも呼んでみなさい。呼び方など自ずと後でついてくるものさ。」
オーウェンは片眉を上げた後、膝に肘をついて手を組んだ。体を前のめりにして、組んだ手で鼻から下を覆い隠しながら後輩と弟が談話する様子を目で細めて見ていた。
「父上は、私にそのようになって欲しいのですか。」
視線に気付かずに話し続けるバスカヴィルはただの一介の青年だった。朗らかに笑い、休暇に親友の家に遊びにきた士官生のように錯覚出来る。
「そうかもしれんなあ。」
父は手を組んで頭の後ろに回した。
「そうでないかもしれん。」
返ってきた言葉は少し歯切れが悪く不確かだった。それでも、オーウェンは目の前の青年たちを見て深くため息をつかざるおえなかった。
(腹を括らなければならないのか、この僕も。)
兄の苦悩とは裏腹に、ハワードはくるりと振り返って目の前のソファーに座る二人にキラキラと輝く青い瞳を向けた。
「父上、また次の休暇にヴィルを連れてきて下さいよ!」
「ほ? どうしたハワード、そんなに彼が気に入ったのかね?」
けらけらと笑うアンソニーに、ハワードは意気揚々と鼻息を荒く畳み掛けた。
「他の友人にも紹介してあげたいし、彼は学校で友達がもっと必要だと思います!」
「まあ待ちなさい、別に構わないがそう取り巻きが増えるとバスカヴィル君も学校で行動しづらくて困るだろう。パーティと言えば、来月中旬にここで私的な知り合いを呼ぶ行事的なパーティがあるんだが、良かったら出席するかね? なに、心配する事はない。ホワイトタイとかは全て揃えてあげよう。」
突然差し出された話に、バスカヴィルは少し硬直しながらアンソニーとハワードを交互に見た。太ももの上に置いていたソーサーをテーブルの上に移し、一度咳払いをする。
「私は良いと思います、で……バスカヴィル、さん……。社交で学ぶ事は今後にも大きく繋がるでしょう。早ければ早いほどがいい。」
唾を飲み込んでバスカヴィルは拳を握った。
「そ、そこまで仰られるのなら……。」
一体何年社交界から離れていたのだろう。バスカヴィルは不安に駆られた。
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