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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第四巻『血を流し死で洗い 命枯らすまで 荊棘たれ。』(CoSH Exc.2)

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Example 2-18

 それから暫く、汽車での旅ではリヴィングストン家の中の話題が中心になったが、アンソニーは亡き妻の話は一切口にしなかった。バスカヴィルも、その事を敢えて尋ねる事はなかった。そうして汽車は、五日目の昼の暮れにイングランド地域の片田舎に漸く車輪を止めたのであった。


「ここから馬車で更に一時間だ。」


 元帥の邸宅ではなく、アンソニーの私的な所有宅という事で、ここからROZENの軍人とついに離れ離れになった。その代わりに、馬車の前には執事服を着込んだ世話係ばかりが並んで列車から積荷を運んでいた。執事長らしき老年の男がアンソニーになにかを耳打ちすると、アンソニーは少し気落ちした顔で頷いて馬車の前に立っていた女性を一人手招いた。


「紹介しよう、こちらは私の教え子のバスカヴィルだ。バスカヴィル君、こちらは今日から君の世話係になるドロシーだ。」


 紺色に白いレースの女中服をまとった女性が会釈をした。亜麻色の髪をお下げに、ライトブラウンの瞳が丸メガネの向こうに静かに佇んでいた。


「バスカヴィル様、よろしくお願い致します。」


「本当は執事を一人調達しようかと思ったのだが、急だったので妻の世話をしていた彼女に頼んだ。」


 女中を差し出されてしどろもどろになっていたバスカヴィルは、その言葉に納得をして僅かに頭を下げた。


「休暇中はよろしくお願いします。」


「なんなりとお申し付け下さいませ。」


 彼女は皇太子と見とめても微動だにしなかった。かと言って冷酷な顔でもなく、柔和で、すぐに微笑む事が出来る柔らかな表情をしていた。バスカヴィルはアンソニーに言われるがまま同じ馬車に乗り込んだ。


「ドロシーは妻を迎えてから今までずっとこの屋敷で働いてきてくれたベテランだ。出来ない事はそうそうないだろう。なにか困った事があれば執事長にも相談したまえ。」


「あ、ありがとうございます……。」


 人生で初めての女性の侍従だった。今まで男ばかりの世界から一転して、バスカヴィルはドロシーの顔を思い浮かべた。決してそれが恋愛感情とかそういった類でないものは人に言われるまでもなく分かる。


(と、言われたはいいもののどう扱って良いやら……。)


 今まで出会って来た女性とはまた一風違った身分と人格を前に、バスカヴィルはいよいよ戸惑いを覚えた。




 リヴィングストン邸は広大な屋敷だった。三階建の英国カントリーハウスは左から右まで踏破しようとすれば数時間はかかりそうだった。まず屋敷の前方に今日の朝整えたばかりの芝生が青々と茂っていた。その脇の細かな砂利を敷いた道を馬車で通ると、ぐんぐんと大きくなる壁は風化を彷彿とする柔らかな黄色で染まっていた。車寄せのポーチの天井には、石造りのリヴィングストン家の紋章が施され、中央に燭台がぶら下がっている。風にあおられながら揺らめく火は、外の夕焼けを誘っていた。


「お帰りなさいませご主人様。」


 使用人が総出で玄関に横並びになって頭を下げる。リヴィングストンはソフト帽や手袋を使用人に預け、うんうんと頷いた。


「留守番ご苦労。なにか変わった事はあるかね?」


「特に大きな事は御座いません。ハワード坊っちゃまが荒れておりますが……。」


 いつもの事か、とアンソニーは半眼になった。


「オーウェン様の指示で晩餐は午後八時で準備しております。変更などございますか。」


「いや、構わんよ。それより彼を二人に紹介したい。紅茶と軽い茶菓子を用意してくれ。」


 かしこまりました、と執事が一人身を引くと、バスカヴィルが目を白黒させているうちにアンソニーは彼を案内し始めた。


「まず寝泊まりする場所に案内しよう。長旅で疲れているだろうから取り敢えず湯浴みをして着替えなさい。紹介はそれからだ。」


「は、はい。」


 階段を上がって廊下を渡り、バスカヴィルは途中でアンソニーと別れた。更にドロシーについて行き、白い塗料の塗られた清廉な扉の前で止まる。


「こちらでございます。」


 ドアノブを回し、中に入るとまずアールヌーヴォーな曲線を描く三面鏡台が目に入った。金の猫足とアカンサスの縁取りに、エナメルを使った深い緑色が美しかった。鏡面台の上には香水がいくつか乗っていたが、そのどれもが女性用の香水だった。


「お召し物はこちらにございます。湯浴みの準備も出来ておりますが、もう入られますか?」


 バスカヴィルが頷くと、ドロシーは一礼してジャケットやベストを脱がし始めた。くるくると体の向きを変えながら、ベッドの上に置いてある洋服一式に目をやった。濃紺のベルベット生地のジャケットにダークブラウンのタータンチェックのスラックス、黒い革靴とライトグレーの少し光沢があるワイシャツだった。ボタンはどれも金色で、それが紛い物でなく本物である事は輝きやくすみ具合で分かった。


「あの……この服は?」


「オーウェン様のお下がりでございます。」


 兄君の、とボソッと呟いた。バスカヴィルは頭を抱えそうになりながら、下着姿で浴室へ入った。湯気がゆっくりと立ち上るバスタブには、マリーゴールドやミモザが浮かんでいる。


(何故私はこんな所に……?)


 脳に流れ込む状況を整理する為に、バスカヴィルは視覚を遮断した。この休暇の事をニコライに話したら一体どんな顔をするだろう。

毎日夜0時に次話更新です。

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