Example 2-17
日がぐんぐんと登る午後少し前に、バスカヴィルは同じ服のまま教本や持てるだけの洋服を全て詰め込んだトランクと共にプラットフォームへ向かった。正門から馬車の全速力で二十分。山の麓にあるプラットフォームで、アンソニーは少々だらしなく座って懐中時計を見つめていた。
「きっかり五十分。……荷物はそれだけかね?」
「はい。入学する時に最低限の物以外は殆ど質に入れてしまったので。」
口をすぼめて、アンソニーは目の前の列車をステッキで示した。荷物をふんだくって駅員に預け、バスカヴィルの尻をつついて汽車の中に押し込む。
(全く、こんな無一文な皇太子、世界のどこを見たっておらんだろうに……。)
話にこそ聞いていたがバスカヴィルの生活は思っていたより過酷であった。
「という事は宿泊するだけの服の数もないという事か。トランクの中身を聞いても?」
「スラックスが二本とワイシャツが二枚、ジャケットが二枚。必要最低限の下着類と、後は制服が二揃えあります。」
唇をぶるぶると息で震わせてアンソニーは帽子を取る。汽車の中はわりあい涼しく快適だった。
(服を持っていたとしても保管する場所がない。本もそうだ、きっと図書館にある限りの本しか読めんだろうし……。弱ったものだ。このような聡明さでも地がなければどうにもならんではないか。)
世の理不尽さを呪いつつ、アンソニーは元帥の御用列車に乗り込んで、向こう側の扉を示した。
「本来ならば執事が使うような所だが隣の車両にベッドが一つある、それを使いなさい。食事などは全て君の年棒から落とす。」
「よろしいのですか?」
アンソニーは頷いた。
「勿論だとも。逆に使ってくれなくては困る。慌てて執事と部下にベッドを移動させたのだから。」
少し戸惑いがちに示された扉に視線を送ると、バスカヴィルは、それではありがたく、と付き添いの部下に案内されて自らの使う車両へ映った。
「屋敷に空き部屋は幾つあった?」
「はい閣下。使用出来るものは奥様のものくらいで、他は今から整えれば使えるものが三つあります。」
ベッドの隣にかかっているカレンダーを見て、アンソニーは顔をしかめた。一ヶ月以上使えるような客間は今はまだ整っていないのだ。
「……仕方がない、亡き妻の部屋を準備させるよう電報を打ちたまえ。息子達のほうを優先させてな。」
「かしこまりました。」
それから暫く、旅路を共にする二人は自分の車両の居心地を良くする為に閉じこもった。ちょうどバスカヴィルがアンソニーの車両に呼ばれたのは、昼の暑さをそのまま色にしたような夕日が燃える夕食時であった。
「私の長兄はオーウェンと言って、今は四年生で医学を志している。」
「医学という事は、中将志望なのですか……?」
牛ヒレ肉にナイフを入れながら、タキシード姿のアンソニーは頷いた。
「医療部門というのは皇帝派とか元帥派とか、そういうしがらみのない唯一の部門だ。理由の一つとしては、主義に傾倒して助けるべきあらゆる人間を見捨てないようにする為だ。オーウェンは頭はキレているが政治闘争にはとんと無関心、いや嫌悪感が強くてね。まあ私の愚痴を聞いていればそうはなるだろうが……。」
バスカヴィルは残念ながらタキシードは持っていなかった。ジャケットとスラックスまで揃えられたはいいが、アンソニーの隣に座るには少し浮いている。
(一般的な一等車でなくて良かった……。)
食堂付きの豪華な汽車であったらどれだけの白い目で見られた事だろうと思うとバスカヴィルは少しゾッとした。
「対して弟のハワードは私より過激な性格をしていてね。今丁度二年生で、知らないかもしれないが今年入ってきたヴィステンバッハの嫡男と拳で殴り合ってこっぴどく怒られたのに、今度はロッセルの次男と口喧嘩をしてきた。」
「忙しい方ですね。」
体を揺らしてアンソニーはくつくつと笑う。
「オーウェンから苛烈さを全て持っていったような子だよ。だが意志が強いだけあって、君には興味津々だった。会ったらどんな反応をするか楽しみだよ。」
ソースのついた口をナフキンで拭って、バスカヴィルは入学時に五大筆頭家についてニコライが語った言葉を思い出す。
「ニコライは兄上のほうを褒めていました。」
「よくパーティで会うと二人は話し込んでいるよ。あの寡黙振りと聡明さで馬が合うのかもしれない。」
皿がまっさらになると、腹を暫く休めた後にデザートがやって来た。いちごのムースケーキだ。
「ハワードは天真爛漫なんだよ。人一倍好かれやすいタイプだ、裏表がないからね。その代わりに恨まれも妬まれもしやすい。オーウェンは静かだから目立たない。が、頭が良いので他の優秀な生徒からはたまにうらめしい顔をされているよ。」
問題児とはいかないが、ハワード・リヴィングストンは凄絶な性格だった。続く話によれば、兄弟が幼い頃に母が亡くなったので、ハワードは父子家庭の育ちにありがちな横暴な子であったという。いじめっ子になりかけるところをいつも兄であるオーウェン・リヴィングストンが諭した。反抗期は毎日幼年学校でやらかしてきたらしい。と言っても、その全てがハワードのせいかと言うと、また別の話になるようだが。
「さて、私の家庭の話はこれくらいだ。あとは使用人が五人くらいでいつも屋敷を綺麗にしてくれている。」
「ありがとうございます。仲良くなれるかは分かりませんが……。」
アンソニーは少し首を傾けてにこりと笑う。
「なに、心配いらないさ。きっと息子達も君を気に入るだろう。」
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