Example 2-11
翌日、クラヴェーリは二人の寮室を訪れた。裏社会の立役者である分家の当主の顔を知る者など帝國内でさえ両手で足りる程度の人間で、彼が普通に活動していてもバスカヴィルのように注目を浴びる事はなかった。
「お、買い込んできたな。」
寮室を開けると、ベッドにはお菓子と飲み物が広げられていた。かといって乱雑に置かれているわけでなく、それらはきちんと大きめのトレーに行儀よく鎮座している。二人の出自を考えれば妥当であった。酒が入っているならともかく、友人が寮に来ただけではしゃぐような身分の男どもではない。
「これは食堂から拝借してきた。」
「持ち帰っても良いんだね、あの食堂の食事は。」
皿は部屋備え付けのものだが、確かに食器の上に乗っかっているいくつかのデザートは昼食として食堂に置かれていたのと確かに同じだった。ベリーのタルト、甘さと油分控えめのショートケーキ、硬めのプリンなどだ。
「午前中はなにしてたんだ?」
「カリキュラムをつらつらと読んでいたよ、二人でね。」
ニコライのライティングデスクには紙が散乱していた。お互いブルーブラックのインクできっちりと取りたい講座に下線を引いている。二人ともかなりの数を引いているが、講座自体はバラバラだった。
「オレも取る講座決めないとなあ。」
「そうは言うが、お前とヴィルは向こう一年は必修では?」
クラヴェーリは苦笑した。ニコライの言う通りで、外部生である二人はこの一年、必修を取れば単位上限が埋まってしまうのだ。ベッドの上に靴を脱いであぐらをかいて、クラヴェーリは持ってきてくれたベリータルトを頬張った。紅茶を淹れたバスカヴィルも、トレーをそのままベッドに置いて寝転ぶ。
「私は空いた時間で聴講しに行くつもりだよ。」
「本気か?」
プリンをすくったニコライは怪訝そうに眉を寄せた。
「聴講したって単位は出ないんだろ?」
「それはそうだがね。勉強を始めるに際して早過ぎるという概念はないんだよ。」
クラヴェーリは気になってライティングデスクの紙を一式ベッドの上に引きずり下げた。几帳面な時間割表には、何度も調整されたのだろう痕跡があった。必修以外の時限には、多くの横線や楕円の丸が文字の上に重ねられている。殴り書きとはいえ、やはりバスカヴィルの筆跡は美しかった。
「これじゃあ本当に昼食時以外に休憩時間がないじゃねえか。」
「いらないよ。」
神妙な顔でバスカヴィルは紅茶をすすった。ニコライはまるで他人事のように、しかし呆れた半眼でバスカヴィルを見つめつつプリンを頬張っている。王宮での暮らしぶりを思い出せば、クラヴェーリは彼に、このスケジュールは無理だ、と言えなかった。一日中を勉学と政務に費やし、本当になにもしなかった日など彼の生涯たった一日だけ。休息の真髄も知らぬまま今、齢十七である。
「いらないって……。」
「ヴィル、休憩は大切。社交の時間だから。」
ふふ、とバスカヴィルは笑った。まるで今の飲んでいるアッサムティーの香りのような柔らかさだった。
「ニコライ、それは私にとっては休憩じゃなくてお仕事の時間なんだ。」
「ぐぬ……。」
反論は出来なかった。バスカヴィルにとっては休憩中の会話も政務だった。
「会計・経理学一、ROZEN官僚軍人研修一……。」
「ROZEN史一……は必修のか。」
芸術的な殴り書きの羅列を、頭を突き合わせながらニコライとクラヴェーリは目で追った。完璧なまでに並んでいる初級と一の文字に二人は、ほお、と理解とは程遠い頷きを交える。
「履修の話より私は君の話が聞きたいなクラヴェ。」
「へ、オレ?」
漸く顔を上げた頃には、バスカヴィルは山積みにした枕に寄りかかって二人をつまらなさそうに見つめていた。
「そう、君の同室者や私がいない時の暮らしぶりとかね。」
「あー同室者はいないんだ、たまたま奇数で。」
なにを話そうかな、とクラヴェーリは腕を組んで窓の外を見た。聞かれるまで話したくない事が取り敢えず一つある。
「入学式には?」
「出なかった。ちょーギリギリに来たからさぁ……。」
肩を震わせてニコライが笑う。毎年何人かは汽車のダイヤの乱れなどで入学式に間に合わない。寝坊などでなければ叱責を受ける事もないが、あの長い入学式の時間をぼんやり寮室で過ごさなければいけない。
「では私の演説は聞けなかったんだね。」
「そうだなあ、残念だけど……。あっでもパーシヴァルに見せてもらったぜ! 原稿。」
売店に売っていたチュロスを頬張り、クラヴェーリは甘さが足りないと文句を呟いた。
「実際どうだったんだ、ヴィルの演説。」
「拍手はあった。喝采は特に……。」
ROZENがいかにバスカヴィルに対して並々ならない不信感を持っているのか、その態度で出席していた二人はよく分かった。バスカヴィルの演説に内容もまた、ROZENに媚びる内容ではなかった。
「ROZEN的には皇太子に全面的な協力をしてほしい。しかし、バスカヴィル的にはROZENをあるべき姿に作り変えたい。そう思っている高官や軍人も少なくはないが……。」
「ごく少数、もしくは声を上げられない。」
ニコライはニコライで簡易キッチンで作ったサワークリームを魚の缶詰に盛っている。
「バスカヴィルの演説に喝采が加わるのはいつになるやら。」
黙ったまま、バスカヴィルは市販の甘ったるいチョコレートを食べながらゴシップ誌のさっぱり自分に関係のない記事を読んでいる。
「……。」
「えっと後は……。昨日は部屋に帰ったら寝た。」
漸くバスカヴィルは顔を上げた。どうやら本気で内部抗争の話をしたくないらしい。
「寝た? 早くないかい。」
「まあシャワーとか浴びたら疲れて……。」
ゴシップ誌を閉じて、バスカヴィルは漸く会話をする体勢になってくれた。クラヴェーリは海苔色の髪の毛をすきながらニコライを話題の渦に引き込んだ。
「ニコライは長期休暇とかはどう過ごすんだ?」
「私は別にこれと言って……。家族達とパーティをして過ごすだけだが。」
別のポットに入れたカモミールティーの清らかな香りが辺りにふわふわと漂った。
「家族が多くて他人は呼ばない。静かだ。」
「いいね、私もこれからはずっと静かな休暇を過ごしたいよ。」
切実だった。クラヴェーリの顔が一瞬固まったが、それに気付いたのはニコライだけだった。
「きっと、学年が上になればなるほど忙しい休暇になる。」
特にバスカヴィルはそれが顕著だろう、とニコライは思った。彼は確実に本部のいずれかの任に就く事がニコライには直感的に分かっていた。最初から本部に行くという事は、もうROZEN社会の中でのパイプは作られていなければならない。そうでなければ殆ど孤立状態だ。
(幸い、バスカヴィルに対してリヴィングストン家は好感を持っている。それにパーシヴァルも。ここを上手く扱えれば士官学校内で完璧なパイプを繋ぐ事が出来ない事はない……。)
ニコライは顎に手を当てた。もしバスカヴィルがリヴィングストン家とパーシヴァルを後ろ盾につける事が出来たらどうなるか。それはROZEN内部の全面戦争に違いない。
「やる事が沢山あるなあ。休暇は隠居して勉強だけしていたいよ。」
「そりゃもう軍人じゃなくて研究者だな……。」
と言いながらクラヴェーリは、きっとバスカヴィルがここにいなかったらそうなっていただろう、と思った。彼には王宮の英材教育のおかげで学会へのパイプがそこら中にあった。無償奨学金を出してでも大学、ひいては大学院に招きたい人物だった。
「研究も悪くない。一人で好きな対象とその関連物に向き合う時間が一番楽しいよ。」
微笑みはいつもより自然だった。
(リヴィングストンとパーシヴァルが目をつければ、隠れているとは言えリヴィングストン派閥の人間でバスカヴィルは引っ張りだこになる。)
密かにニコライはため息を吐いた。こうしてゆっくり喋る事が出来るのは、もしかしたら今日のこの時間が最後になるかもしれない。
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