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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第四巻『血を流し死で洗い 命枯らすまで 荊棘たれ。』(CoSH Exc.2)

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Example 2-7

 午前のガイダンスを終えると、バスカヴィルはペンで引かれた線を見て満足げに肩の緊張を解く。クラヴェーリがまじまじとそれを見ている中、席を立ったニコライが二人の下にやってきた。


「……バスカヴィル。」


 夢中で他の紙を見ていたバスカヴィルは、顔を上げた。必要なものだけを入れた鞄を持って、ニコライが立っている。


「あ……。そうだ、紹介するよ。彼は私の友人のクラヴェーリ。」


「よろしく!」


 紹介されると共に、クラヴェーリは太陽のように笑って手を挙げた。ニコライはその微笑みに慣れているが、その眩しさだけにはいつも目を細めてしまう。


「彼のルームメイト、よろしく。」


 二人は握手を交わした。それを微笑ましく見ていたバスカヴィルは、手と手が解かれると立ち上がる。


「クラヴェーリ、良かったら一緒に昼食でもどうかな。」


「食堂以外なら喜んで。」




 三人は早速売店に繰り出した。作業している間にそれなりに時間が経っていて、二時間ある昼休みの内の三十分は過ぎていた。売店は閑散としていたが、品が切れているところは見当たらない。バスカヴィルが物珍しそうに見つめている後ろで、クラヴェーリはニコライのほうを見ずに口を開いた。


「会ったんですか? アイツ。」


「話はした。」


 第一教室棟群の売店は寮のほうにあるのよりも広く、パン屋が併設されていた。生徒達が最も買いにやってくる朝、昼、夜の時間が狙い目で、殆どのパンが焼き立てで置かれている。バスカヴィルは、その中でトマトとカマンベールとパストラミビーフのパニーニを抱えていた。


「話はしたが……。しないほうがいいだろう。」


 更にサーモンとスピナッチと五種の豆のサラダも選んで、バスカヴィルはレジに持っていった。


「話が通じるとは最初から思ってませんけどね~。」


「期待した私が馬鹿だった。」


 吐き捨てるように言った後、レジから振り返ったニコライはバスカヴィルの瞳と目があった。吸い込まれるような黄昏の瞳。いつぞやに見たオパールに閉じ込められた夕日を思い起こされた。外はまだ昼だと言うのに、一瞬窓の外から橙色の光が煌々と降り注いでいる気がした。


「食べに行こうか。」


 売店を出れば、花吹雪が三人を出迎えた。朝ほど風は強くないが、相変わらず限りを知らない花弁が地面を埋め尽くしていた。


「桜並木の中にテラステーブルがあったんだ、あそこに行ったらいいランチが取れると思うぜ。」


 クラヴェーリが案内してくれたのは、朝に通った脇道からまた少し逸れたところだった。二から三人組の士官生達が白いテラステーブルで休憩を取っている。


「こんな場所が……!」


「初日に一人で歩いてたら見つけた。」


 持っていた紙袋を思い思いに机において、三人は食卓を囲んだ。テーブルの上にはいくらか桜の花びらが舞い降りていたが、風による土汚れは殆どなかった。


「ニコライ、軍門の出について教えてくれるかい?」


「……は?」


 早速、クラヴェーリは瓶入りのオレンジジュースを吹き出す。慌ててハンカチで口元を抑えたが、鼻に入ってしまったのか暫くすすっていた。ニコライも目を白黒させながら手で挟むサンドイッチを潰しかけた。


「私は彼らに疎くてね。今頃即位していたらきっと知っていたんだろうけれど、なかなか教えてもらえなかったし、時間に限りがあって探れもしなかったしね。君のほうが色々知っているだろう?」


 片眉を挙げて、ニコライはクラヴェーリに視線をやった。彼は鼻をすすりながら肩を竦める。


「そうか……。五大筆頭家については知ってる?」


「勿論。」


 にこりと微笑んだ。知識だけはしっかりとしているようだ。つまり彼に今ないのは、肌で今まで感じて知る筈の感覚、家ごとの実際の特色や、ROZENという一社会における彼らの立ち位置や彼らへの視線だった。


「朝、お前に喧嘩を売ったのはヴィステンバッハの長男だ、三兄弟の。凄く粗野。人格的な面もあるけど凶暴なところもある。敵に回しても彼自身は別に怖くないけど、あの家は数ある軍門の中で一番金を持ってる。五大財閥で一番黒字であると言われているAURORAよりも富を持ってるという噂もある。過激な反皇帝派の筆頭。父親は本部軍事将軍のウルリヒ・ヴィステンバッハ。」


 ふぅん、とバスカヴィルはパニーニに齧りつきながら生笑いで先を促した。


「リヴィングストン、当主は現元帥であるアンソニー・リヴィングストン。この家は穏健的な反皇帝派。私達の同期ではなく上級生に兄弟がいた筈。リヴィングストンの家は自由主義で、筆頭家の中でも珍しく親皇帝派の家。元帥自体も出来た人間だし兄弟もしっかりしていた。兄のほう、かなり堅物だけど話を聞かない人では決してない。頭も良かった。弟のほうはきちんと話した事はないけど。」


 以前、ROZENの社交界であったリヴィングストン家の兄を思い出す。黒い髪をきっちり七三に、チタン金属の太いブラックフレームの眼鏡がよく似合っていた。理論的に話し、ROZENのこれからのあり方についてもよく考えている青年だった。


「次、ファラレーエフ。ここは私の家ロマノフスキーと近い間柄。ここもかなり過激な反皇帝派だった。ROZENにおいてロシア支部は諜報ばかりが目立つけど、きちんと政治的な側面を持っていて、そちらに人材を排出している。今年の入学生にはいなかった。かなり遅い時期に子供が出来ていたから、私もさっぱり会った事がない。当主のゲラシム・ファラレーエフはロシア支部の官僚将軍をやってる。諜報ではなく、本部に対してとか、外交のほうばかりだと聞いていたけれど。私は彼のほうがよく知ってる。」


「よく知ってる、とは?」


 水で口を潤して、淡々と機械のように話し続けるニコライの口を遮った。バスカヴィルの瞳が光る。


「彼には前世で会っている。ソヴィエトの将校だった。横暴で、酒飲みで、むかつく男だった。スターリンに心酔していたけれど、死んだ後はすぐに手のひらを返してフルシチョフの批判を大絶賛していた。小狡い男。戦場も知らないくせに戦場を語る、ただの太っちょ。」


 眉間に皺を寄せた後、ニコライは再び話を続けた。


「ロッセル家。ここは珍しく、貴族から軍門へ転化した。元々帝室と仲が良くなくなって、ROZENの指揮権が元帥に渡った時にあの家は軍門になった。指揮権譲渡の事件もこの家が裏で手を引いていたと言われている。パーシヴァル……将軍がいたジャルディーノ家とは貴族の中では一、二を争う名門の家だった。現当主のギャブリエル・ロッセルは本部の官僚少佐だったと思う。あまり目立たないけど、あの家は転化の件もあって、筆頭家の中で最も謀略に長けてる家というイメージが強い。次男も今年入学してる。」


 パニーニの最後を頬張って、バスカヴィルは、ふむ、と背もたれに体を預けた。


「……で、ヴァイゼンブルク家は?」


 ニコライも最後のサンドイッチを頬張った。持ち込まれた話題のおかげで、美味しさが分かっても継続的にそれを感じられなかった。一瞬の至福の後に、再び淡々と喋り始める。


「ヴァイゼンブルク家は……、一番敵に回してはいけないと思う。五大筆頭家の中で二番目に有名だし強力だけど、一部分においてはヴィステンバッハよりも上に行く。あそこは陰湿な家だ。ヴィステンバッハの影に隠れて全然知られてないけど、一番どす黒い。あそこはヴィステンバッハに従っているように見えて一匹狼の狂犬だ。本気を出したら五大筆頭家のどこも止める事が出来ない。反皇帝主義に反するなら身内も殺す。従者も全員グルで裏切る事は許されない。あの家は来客で行っても息が詰まりそうだ。今日いたあの男の父親は本部の官僚大佐で、今問題になってる一部に厳しく、一部に緩過ぎる検閲は全てそこの指示だ。妻が確かヴィステンバッハの三女だった。」


 三人のゴミを丸めて、クラヴェーリは見事ゴミ箱にゴールインさせた。


「成程……。ニコライは今までずっとロシア支部へ行く為の練習を積んできたんだね。」


 半眼になった。ニコライは肩透かしを食らった気分になる。五大筆頭家の情報を引き出したと思いきや、ニコライの今までの暮らしぶりの末端さえ見透かしてきた。


「……別に、為になる情報を覚えているだけで。」


「私も色々と知りたいけれど……、ただ士官学校で過ごすだけでは難しい気がするんだ。かといってパイプもニコライくらいで。」


 苦笑して、残り少なくなったサラダを片付けたバスカヴィルは立ち上がった。ゴミ箱に向かう彼に数人の士官生が驚いたが、こんにちは、と挨拶されると照れながら頭を下げていた。


「バスカヴィルは平和に過ごすという事を知らないのか?」


「無理でしょ~、ああいうタイプは。」


 ヘラヘラとクラヴェーリは笑う。止めもしない彼に僅かな嫌悪感があったが、ニコライには共感するところもあった。


「首を突っ込む突っ込まないじゃなくて、突っ込まざるおえなくなる運命にある男ですよ。でなければ、今ここにゃあいないでしょ。」


 運命を信じようか信じまいが、運命によってあの男は既にニコライの情報の全てに直接触れる事が確定していた。彼が決められるのは、それに負けるか、勝つかだけであった。

毎日夜0時に次話更新です。

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