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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第四巻『血を流し死で洗い 命枯らすまで 荊棘たれ。』(CoSH Exc.2)

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Example 2-6

 騒々しい朝食を終えて、三人は既に暖かくなった外気の中へ繰り出した。バスカヴィル達は鞄を手に地図の前に立った。自分達が住んでいる寮棟群から、桜並木が伸びている。その直線状には、教官達が寝泊まりしたり、準備したりする教官棟があった。巨大な建物だ、内装は決して豪華ではないが、その建物の設備は高級ホテル並だと言われている。奥には入学式の行われた大催事場があった。その教官棟から扇状に、左右二つずつの塊が存在する。西端には今いる食堂、そして第一教室棟群。東端には競技館、そして第二教室棟群である。


「ガイダンス、どちらですか?」


「第一A棟、三〇五号室だね。」


 三人は入学時に渡された書類を見せた。ニコライは同じ教室だったが、ガウェインの紙には第二A棟二〇一号室と書かれている。


「おや、これは残念。」


「噂だと寮ごとに分かれているようですね。では、私はこれで。」


 会釈して、ガウェインはその場を後にした。同じ道を行き交う生徒の群衆にその背中が消えると、バスカヴィルとニコライもまた自分達の教室へ向かい始めた。人混みが前に進むのを待ちつつ、教室の外の壁に張り出された生徒番号を見る。座席は特に決まっておらず、バスカヴィルは数多の生徒の黒い背中に続いて教室へ入った。汗だくになりそうなくらいに連なる人、人、人。教室に空席の一つもない。しかし窓はしっかりと開けられていて、外の暴風は悪い空気をすぐさま外に消し飛ばしていた。


「ああ、少し来るのが遅かったみたいだね。」


「別々に座ろう。」


 少し砕けたニコライの口調の後、バスカヴィルは空席を発見した。


「じゃあ、私はあそこに——」


 席の位置を確認したニコライは、その隣にある影を見てバスカヴィルの腕をすぐさま下げさせた。赤褐色、鉄に浮かぶ鮮やかな赤錆とも見える髪の毛に、一瞬背中が殺気立った。


「待って、駄目。」


「何故……?」


 子供のようなあどけない、なぜ、だった。ニコライはバスカヴィルを見る事もなく呟く。


「彼は……。彼はヴァイゼンブルク家の人間だ。無闇矢鱈と隣に座ろうとしないで。」


 私が座る、と呟いてニコライはすたすたとバスカヴィルが座ろうとした席に座りにいった。バスカヴィルは気取られないようにオロオロした。空いてる席など片手で数える程度しかないし、座りたかった前の席は殆ど埋まっていた。階段を降りつつ席の様子を見ていると、後ろから懸命な囁き声が聞こえた。


「ヴィル……ヴィル!!」


 振り返った途端に、見覚えのある暗い緑があった。制服を着た友人だった。


「クラ……ヴェーリ?」


 よく見れば隣の席が空いていた。バスカヴィルはまだざわついている教室の中で素早くその席に収まる。


「こんな所でなにをしてるんだ……!?」


「パーシヴァルに入れてもらったんだ。つっても、ちゃんと追試験受かってだけどな……!」


 追試験、とバスカヴィルはとんでもなく驚いたような声で繰り返した。病気や諸事情などの正当な理由で当日に受験出来なかった全受験生を対象とした非常に難易度の高い試験だった。大抵は受からない。今までで最も合格者数が高かった年も両手で足りてしまうほどだった。


「つまり、クラヴェーリは元々志願していたのかい……?」


「そうそう。でもオマエが受かったのが分からないと受験出来ないから、敢えて全部休んで追試験に行ったんだ。ほら、オレだけ受かったって意味ないから。」


 呆れたような、しかし喜びで頬が緩みつつため息が出た。


「君には感謝してもしたりないね。」


「なに、もう友達は出来たんだろ? オレもオレで頑張るよ。」


 にかっと笑うクラヴェーリの様子に変わりはなかった。バスカヴィルもにこりと微笑む。またいくつか同室者についてお喋りを交わしている内に、引き戸ががらりと開く。入ってきた教官はパーシヴァルだった。部下達が沢山のプリントを持って続いて入ってくる。


「では前から回しますので一枚、もしくは一部を取って後ろへ。余ったら一番後ろの棚に。」


 ついてきた部下の一人がそう言うと、他の部下が大量のプリントを種類別に持って、適当に分けて前の生徒に渡し始めた。


「すげぇ、全部講座の一覧だ。」


「これは単位数だよ。」


 巨大なプリントを前に、二人は囁き始めた。


「これは軍位に必修の講座……。」


 なんとなしに、バスカヴィルは元帥の試験を受けるのに必修の講座を見た。戦略や戦法の講義、自由七科の応用講座や軍における支配者として人のあり方を考える講座などがあったが、バスカヴィルが一番目を引いたのは真ん中あたりに、それほど強調もされていない感じで書かれた講座だった。


(け、経理・会計講座……。)


 番号はローマ数字で一から五まであった。一から二までは佐官が必修、三までが将校、五までが元帥の必修である。尚本部元帥を受けるにあたっては特別講座まで必修として設けられている。元帥は、本部支部に関わらずその管轄に対して、全ての予算に対する決定権を持っていた。皇帝から与えられた軍事費の中で、どう配分し、どうやりくりしていくかは全て元帥が決める。年度末に上げられる予算案や決済の全てが、元帥が持つ部署で目を通された。


「すげぇ、パーシヴァルもこれやってきたんだろうなあ。」


 クラヴェーリの声も届かないのか、バスカヴィルは疲れたように息を吐いた。勿論、知らなかったわけではない。知識としてはしっかり覚えていた。しかし、元帥の必修講座の多さに少々気落ちした。経理会計こそ専門範囲となるが、それに足して官僚将軍が行う外交学や、官僚中将が行う法務に関する分野なども、基本編だけとはいえなにかも全て必修であった。


「凄まじい……。」


 ぼそりと呟いて、バスカヴィルはニコライが言っていたロシア支部の必修科目も見始めた。


「それは?」


「ロシア支部だよ。」


 ずらりと並べられた諜報の文字。講座内容によれば銃や拘束具の解体から過酷な実技まで、ロシア支部元帥に関して言えば総じて必修範囲であった。プリントを貰ってざわつく生徒達の声を柏手一つで制して、パーシヴァルが教団に立った。


「さて、諸君は革命的な世代になるでしょう。」


 パーシヴァルの顔は、今までバスカヴィルが見てきたどんな顔より厳しかった。


「言わずとも既に分かっているとは思いますが、諸君は最も大きな岐路に立たされている。そのどちらの可能性も取る事が出来、しかし生き残れるのは一つだけです。」


 全ての生徒が固唾を飲んだ。


「保守か、革新か。それは諸君が選び、勝敗をつけるのです。その自覚を持って、これからの士官学校の生活を一日、一ヶ月、一年と過ごし、臣民に誇れる善き軍人として卒業して頂きたい。」


 しん、と静まった教室で数秒待った後、パーシヴァルはにこりと微笑んだ。


「さあ、難しいかもしれませんがこの事はいずれ自ずと分かってくるでしょう。今は懸命に日々研鑽を積むのが最も効率的で、最も近道です。それではガイダンスを始めましょうか。皆さん、一と書かれた紙を、どうぞ見てください。」


 教室の空気が和んだ。数人はあまりに息が詰まったのかそっと安堵の息を吐き出した。そんな緩んだ空気を肌で感じながら、ニコライは事前に順番通りにしていた紙の一番上に鉛筆を置く。


「何故俺の横に座った?」


 同年代にしては完成されたバリトンの声だった。ニコライはちらりと隣を見る。ヴァイゼンブルク家の長男の、筋張った手だけが見える。


「ここくらいしか空いてなかった。」


「嘘をつけ。お前の目なら俺の隣以外の空席などいくらでも見つけられた筈だが?」


 シャンパンゴールドの瞳で、顔を動かさずにきっと男の顔を睨みつけた。記憶にある限りでは男は隻眼だった筈だが、今はしっかり両目が顕わになっていた。


「だから?」


 周囲が紙を捲り始めて、ニコライもまたページを捲った。表と文字の羅列を一瞬で読み解く。


「あの男を相当俺の隣に座らせたくないらしい。そんなに関わられるのが嫌か?」


「我々の問題にまた別の問題を絡ませたくないからだ。お前も自分の立場は分かっているだろう……!?」


 感情的な声に、隣の別の士官生がちらりとニコライを見て、すぐに黒板へ視線を戻した。


「あまり感情的になるな。別にあの男は俺達になんの関係もない。」


「黙れ……。」


 鼻で笑って、隣の男は黙った。ニコライは冷めやらぬ怒りで、あまりにも濃い筆圧で板書を書き込み始める。ちらりとニコライはバスカヴィルが座った方向を見た。楽しそうに僅かな談笑をしながらパーシヴァルの話を聞いている。胃が若干きりきりしてきたが、もう男が話しかけてこない事に気付いて眉間を揉んだ。

毎日夜0時に次話更新です。

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