Verse 2-24
五年次が始まった。レイ達にとって、士官学校最後の年である。
「それじゃ、行ってくる。」
「行ってらっしゃーい、気をつけてね。」
アルフレッドの声を背に受けて、レイは寮室の扉を閉めた。向かうのはいつもの教室棟である。軍位授与試験を受ける前に、特別必修講義を受けなければならなかった。授与試験用の講義である。五年次が始まってからは、この講義以外はどの講義も取れなくなる為、四年までに必要単位を全て取っておく必要があった。
「さて。」
授業開始十分前に着いたのを確認して、レイは近くの椅子に着席しようとした。すると突然、後頭部をなにか硬い物で思い切り殴られる。床に崩れ落ちて、レイはその場で気を失った。
両手首を上から吊るされた鎖で繋がれ、両膝は石畳に立てている。薄っすらと開いた瞳には、黒い鉄格子が映った。
「将軍とは、外交をする役職だ。勿論、それは知ってるね?」
レイは首を回そうとする。聞いた事のある声だ。いや、むしろ毎日と言っていいほど聞いた声である。姿を捉えようとしたが、すんでの所で声の主は死角に立っていた。
「外交官の役目は時に……特に将軍という高位の者は、敵方の捕虜になる可能性も非常に高い。」
聞こえるのは軍靴のヒールの音。ゆっくりとレイの死角を歩いている。
「ROZENの将軍志望は長くいなかったわけではないんだよ、レイ。だれもが死んでいったんだ……ここでね。」
レイの耳になにかが床を弾く音が聞こえた。次の瞬間、自らの背に切り裂かれるような痛みを感じる。実際切り裂かれたのだ。肌に伝う生暖かい血を感じて、レイはその牢獄の中で絶叫した。
将軍位を求める者は死ぬという噂は、士官学校の本当に暗闇の部分でしか充満していなかった。レイは勿論、多くの取り巻きがいたジークフリートでさえ、その情報は聞いた事がなかったのである。だれも不思議がらなかった。現将軍パーシヴァルの髪はすっかり真っ白であるのに、ROZENの中で最も高齢であるというのに、なぜ後任がいつまで経ってもいなかったのか。
目を開ければ、やはり牢獄である。夢だと思って何度も目を開けても、やはり鉄格子の風景は変わらなかった。レイの目に生気はない。鞭が肌を裂く激痛で何度も意識が飛び、その度に彼は全てを夢だと思い込もうとしたが、無理であった。
「起きたか。」
目の前にいたのはロベルトである。いつもとは違い、白いワイシャツと軍服用のズボンという軽装でレイの前に屈んでいた。手には湯気の立つお湯。恐らく、レイが死なないように持ってきたのだろう。飲むか、とばかりに木皿を持った手を挙げると、レイは頷いた。木のスプーンで湯を掬い、少し冷ましてレイの口元に届ける。レイは弱々しく血の気の失せた唇を開け、そのスプーンに食らいついた。
「レイ、諦めてもいいんだぞ。」
湯を飲み干させて、ロベルトはレイの頭を撫でる。
「だれが……諦める、か。」
息絶え絶えに、レイは瞳を閉じていった。拳を握り締めて唇を噛み締めて、煮え滾るような視線をロベルトに向ける。傍に壁があれば、拳を叩きつけていただろう。
「俺は、俺は親父に屈しない……!」
怒鳴り声が牢獄に響いた。鉄格子の前に立っていた二人の白い看守がびくりと肩を震わせる。木の皿を石畳の上に置いて、ロベルトはため息をついた。
「なら、それでいい。」
諦めたのは、ロベルトであった。
講義の評価は、何度牢獄から脱出出来たかによる。初回講義日から丁度一週間。ボロボロのシャツを着込み足を引きずり、レイは漸くユニコーン寮の自室へ帰ってきた。激しいノック音が室内を満たすと、漸くアルフレッドが出てくる。ボロボロになったレイを、アルフレッドは思わず抱きかかえた。
「随分遅くに帰ってきたね!? 早く部屋に入って。」
レイの体は衰弱しきっていた。肋骨は浮き出て、足は力を入れれば震えるほどである。医療箱を持ってきたアルフレッドは、レイの背中をまじまじと見つめて消毒していった。痛みを堪えてレイは唇を噛み締める。
「無理しちゃだめだよ……いやそれが無理なんだろうね。はい、終わったよ。」
ものの数分で消毒を終えて包帯を巻いて、アルフレッドはレイの痩せた肩をそっと叩いた。振り返ったレイはすっかりこけて、アルフレッドはその顔を見て目を伏せるとその細い体を抱き締める。
「諦めろなんて言えないけど、でも僕は君に生きてて欲しい。ごめんね、身勝手だけど……。」
彼の身体を解放して、痩せた頬を撫でた。アルフレッドの深緑の瞳はすっかり潤んで、レイをまじまじと見つめている。
「ごめんアルフレッド……。でも、俺は乗り越えなきゃいけないんだ。」
レイは首を横に振った。諦めてくれ、と。ベッドメイキングされてそのままのベッドにレイは身を投げた。アルフレッドが救急箱を持ってベッドから立ち去ると、レイは瞳を瞑る。
「特別講義の内容、聞いても大丈夫?」
心配そうな声でアルフレッドは聞いたが、レイは答えない。久し振りの柔らかい布の上で、ゆっくりと微睡みへ落ちていった。夢に出てきたのは、幼い頃の明るい世界である。
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