Verse 1-3
優雅なワルツがダンスホールに響いている。美しいドレスに身を包んだ婦人達は理想の殿方を囁きあい、型に嵌った燕尾服を着こなす紳士達は昨今の世界情勢について額を付き合わせて文句を言っている。しかしそんな大人達の事情もいざ知れず、黄金に輝くホールの艶めく床を元気に走り回る少年達の姿があった。
「おいヨハン! こっちこいよ!!」
明るい金髪はシャンデリアの光を受けて一層黄金に見えた。瞳は地中海の海面を思わせる青である。伯爵家きってのお転婆次男と呼ばれるこの少年は、後ろから半眼でゆっくりとついてくる藍色の髪の少年を手招いた。
「もう少しゆっくりあるいたらどうだ。」
「はやくしないとデザートがなくなっちまうぞ!」
少年達は、立っただけではまだテーブルに手が届かない身長であった。伯爵家次男、ジャンは近くの給仕の燕尾を引っ張って、どんなデザートがあるのかせっついている。
「別にきゅうじにとってもらうひつようはないだろ……。」
「なんだよ、はずかしいのか? おれがとってやるよ!」
胸を張って踏ん反り返ったジャンであったが、ヨハンは相変わらず半眼である。取れないくせに、とぼやいていると、後ろからのっそりと黒い影がやってきた。うらめしそうにテーブルの上を見上げていたヨハンの眼前に、突然プリンが差し出さる。
「これがいいか?」
ヨハンはゆっくりと上を見上げる。赤褐色の髪、実年齢にしては少し老けすぎて見える兄の顔を見ると、差し出されたデザートを恐る恐る手に取った。ヨハンはガラスの皿の上で揺れる黄色い物体を見ながら、二度ほど頭を縦に振った。
「あっいいなー、おれにもぷりん!」
手をテーブルの上に出して振るジャンにもプリンが差し出される。
「どうぞ、ジャン君。」
紳士的な優しい声がジャンの頭上から振りかかった。プリンを受け取ったジャンも上を見上げる。
「ヴィルおじさん!」
元帥をおじさん呼ばわりする伯爵家次男にヨハンは一瞬びしりと固まったが、ジャンの表情を覗き見るバスカヴィルの表情はなに一つ変わっていない。ジャンは給仕からスプーンも受け取り、プリンを美味しそうに頬張った。
「ところでバスカヴィル閣下。」
ヨハンの兄、ロベルトは足早に去っていったバスカヴィルの後を追って隣に立った。ダンスホールに面した吹き抜けの廊下の上で、バスカヴィルはひしめく人々を一望している。
「養子をお取りになったと聞きましたが。」
懐中時計は十一の文字を指していた。まだまだダンスパーティーは続くだろう、バスカヴィルは文字盤を見つめながらふとそう思った。ロベルトの言葉に、バスカヴィルは頷くでもなく彼と向き合う。
「あそこに座ってる。」
バスカヴィルが示したのは、廊下から漸く見える庭であった。噴水のベンチに座っているのは黒い髪の少年である。そこへ金髪の少年が駆け寄って行く。
「元帥——」
「構わない、少し様子を見よう。」
階段を駆け下りようとしたロベルトの肩を掴み、バスカヴィルはそう宥めた。
たまたまであった。ジャンも見覚えがなければ、その少年に駆け寄る事もなかっただろう。噴水のベンチにぽつんと座る少年の表情はジャンにはよく見えない。芝生を踏んで立ち止まった少年の肩をヨハンが掴む。
「おい。」
「ねぇ、あのかおみたことないか。」
唯一の友人に促されて、ヨハンは眉間に皺を寄せながらまじまじと少年を見つめた。俯いていて顔は見えない。じっくりと観察している間に、ジャンはお得意の猪突猛進さで少年の隣に座った。
「もしもーし?」
少年は初めてジャンに気付いたのか、慌てて顔を上げる。深い黒曜石の瞳が、ダンスホールから漏れる照明によって煌めいた。しかし、表情はどこか暗く、影を落としている。ヨハンはジャンに近付いて耳打ちした。
「亡きこう太子でん下に似てる。」
険しい顔をしたヨハンの方をジャンを振り向いた。そうしてもう一度まじまじと少年の顔を見つめる。少年は明からさまに嫌そうな顔をしたが、ジャンは首を傾げて聞いた。
「なまえなんていうんだ?」
少年は戸惑いの視線をジャンに投げるが、ジャンは聞くのをやめようとしなかった。長く声を出していなかったのか、少年は何度も息を吸っては声を発する事をやめている。長く時間をかけて、漸く少年は名乗った。
「おれは……レイだ。」
言い終わるとともに聞こえた草を踏む音に、ジャンとヨハンはダンスホールの方へ振り向く。バスカヴィルとロベルトが、少年達の方へ歩み寄ってきていた。
「彼は私の養子でね、少し心に傷を負っているんだ。だから、これから暇な時はいつものように気軽に私の屋敷においで。彼の遊び相手になってほしい。」
バスカヴィルはジャンとヨハンの背中をそっと押してレイと向き合わせた。レイは噴水のベンチに座ったままである。ヨハンはジャンに視線を投げかけたが、ジャンはお構いなしにレイに片手を差し出した。
「おれはジャンっていうんだ。あしたからいっしょにあそぼうぜ!」
意気揚々と話しかけるジャンの片手を、レイは戸惑いがちに握った。満足げに笑うジャンは、ヨハンを肘でつつく。一瞬ジャンを見て、そしてヨハンも恐る恐る右手を差し出す。
「ヨハンだ。」
言葉少なに自己紹介したヨハンには、レイは少し苦手意識を持ったようだった。渋る彼の手をジャンは強引に引っ張り、ヨハンの手を握らせる。
「それじゃあ、これからおれたちさんにん、しぬまでずっとともだちな!!」
夜の帳の下で、三人は永遠の友情を誓い合った。
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