Verse 4-27
軽快な鈴の音がして、地下の階に出た。歳三はさっさと自分の目当ての物を取りに行ってしまい、零はぽつんと地図らしき図の前に取り残された。
(……え、俺本当にあれと討伐行くの?鬼の副長と?)
もう当日の頼みの綱は矢桐くらいしかいなかった。今からしてきた頭痛と胃痛をなんとか振り払い、もう一度地図を眺める。報告書、と書かれた場所を見つけて、棚と棚の間を縫って歩き始めた。
(ここ、か。)
該当する棚をざっと見てみたが、零が手に持っている半紙のような書類は見当たらなかった。全て巻物だ。
(……どこにあんの。)
呆然と立ち尽くした、自分は選択を間違ったのではないかと思って、手当たり次第に巻物を一本手に取る。結果、なんの関係もない書類だった。零は大きく息を吐いて本棚の間を行ったり来たりした。その間、文書室を訪れる者は多くいたが、報告書の棚に来る人はだれもいなかった。
(……手詰まった。)
逸叡が不在だと言われた時、素直に玄関ホールで待っていればよかったのかもしれない。気が逸ったな、と思って零は土の上にどかりと座った。きちんと加工された土床なだけあって、埃が舞って文書に飛び散る事はなかった。
「このような所で……如何なされたのですか?」
鈴のような軽やかな声だった。しかしその奥底には、鐘のようなずっしりとした威厳もあって、零は胡座をかいたままその声がした方向へ振り返った。
「……貴女はこの間の。」
「お久しゅう御座います。葵とお呼び下さいな。」
以前、金の指環について警告を残してくれた斎宮だった。彼女は供の一人もつけておらず、胡座をかいている零の後ろまで歩み寄ると中腰になった。
「その目は、なにかお探し物でしょうか?」
「え、えぇまあ。逸叡さんの書類で詳しく聞きたいのがあったので、今いない間に自分でも調べてみようかなと……。」
尻を重心に、くるり、と葵へ向きを変えると、半紙を渡した。
「これは……この関係の物はここには置いていないでしょう。機密ではありませんが……公文書に出来るほど情報も揃っておりませんから。」
「そ、そうですか……。」
諦めて零は立ち上がった。どうやら逸叡の帰りを待つしかないようである。
「逸叡様のお帰りは本日遅いかと……。よろしければ、私の部屋にある写しをご覧になりますか?」
「貴女の部屋に、ですか?逸叡さんに怒られませんか。」
葵はにこりと微笑んだ。逸叡と彼女はどこか不思議な雰囲気がある。恋仲というには俗な感じが浮き出てしまい、かと言って友人や仕事仲間というわけでもない。
「逸叡様はお怒りになられません。私が言うのもなんですが、身持ちの堅いほうなので。」
鮮烈な赤で牡丹の描かれた唐団扇を手の中でくるくると回しながら、葵は立ち上がって零に手を差し伸べた。零はとぼけたように両眉を上げる。
「身持ちが固い女性は男に手なんぞ差し伸べませんよ。」
そう言いつつも、零は手についた僅かな土を払って、葵の流血を知らないような白雪の手を取った。
「お優しい方なのですね。」
「そうでしょうか。」
葵に先導されて、零は半紙を袂に突っ込んで本棚を見渡した。
「でなければ手を差し伸べた時にそのような事は仰りません。さ、どうぞ。」
エレベーターに先に入ると、葵もそれに続いて入ってきた。いつの間にか文書室はもぬけの殻だった。零がニキシー管を見上げると、逸叡の一つ下の階が目的地として示されていた。
「貴女は……ここの女主人という感じなんですか?」
「はい、私の義務は[玉藻前]。逸叡様がお留守の間は、私がこの界隈の番をさせて頂いております。逸叡様がおられる間は、私が旅館の支配人を、逸叡様は併設されている住居の主人を行なっております。……さ、着きました。」
もう耳慣れたベルの音が聞こえると、エレベーターのドアが開いた。目の前は逸叡の部屋がある階と同じ間取りが広がっている。
「不躾をお許し下さい。逸叡さんとのご関係は?」
「異母兄妹ですわ。逸叡様は私の腹違いの兄君でした。ですが、それでも……お互い惹かれました。さ、どうぞ。」
まだ閉まったままの襖に葵が手を差し出すと、襖が音もなくするすると開いていった。同時に蝋燭が二本灯ると、部屋の再奥中央に鏡がぽつんと置いてあった。
「それは……そうですか。なんと言えばいいのか。」
「なにも仰らなくて構いません。私達の関係は、私達で完結していますから。」
冷たい言葉にも聞こえたが、微笑む葵のその声音は零への気遣いだった。入り口で立ち止まっていると、葵は奥の物置を開いた。中にあったのは、漆塗りの大量の文箱だ。左から右、上から下、前から後ろまで、全て柄の違う文箱で埋め尽くされていた。
「ありました。どうぞこちらへ。」
どうやら広い物置の中に机があるらしく、葵はそこに見つけた書類を置いて零を手招いた。
「照子さん個人に関しては逸叡様から聞いたほうがよろしいでしょう。私の手元にあるのは、銀の首飾りに関してです。こちらは丁度今写している最中でしたので、逸叡様からお預かりしたものがいくつかあります。」
ご覧になりますか、とばかりに葵は斜め後ろで覗いていた零に差し出した。両手のひらの上に乗せられた、巻物になるだろう長い半紙を受け取って零はそれを流し見た。
「金の指環と銀の首飾りは……対になっている、何故それが人の手に渡っているかは不明。対になっているのなら……元はアーサーの手にあった可能性が、高い。どこで手に入れたのかは分からない。現状のアーサーに聞いても恐らく……手に入れた当初の、記憶はないだろう。」
(なら、アーサーが前の世界の記憶を引き継いでいたのはこの首飾りが原因なのか……?)
紙をずらして、零はもう一つの目当ての情報を見つけた。バスカヴィルだ。その名前が確かに書かれている。
「バスカヴィルに逸叡さんは会ったんですか……? 何時?」
「あれは照子さんの事件があった日でした。調査を終えて帰ってきて、逸叡様は次に人間界に戻るまでずっと部屋にこもってなにかを考えておいでの様子で。部屋の明かりも灯さずに、畳に丸まった半紙ばかりが転がっていました。」
葵は逸叡の筆跡を指でなぞった。伏し目がちな彼女は、どこか神々しくも感じられる。
「私が聞いたのは、逸叡様が銀の首飾りをあの男に渡す代わりに、銀の首飾りについてあの男が知っている情報を貰ったという事だけです。恐らく、それはここに……私はまだそこまで写せておりません。」
そう言って、彼女は体を後ろに捻った。ゴーレムが一人、襖の隙間から溢れる明かりを遮って立っている。
『葵様、いらっしゃいました。』
「そうですか、随分お早いお出ましですね。……悠樹様、お部屋は出る時このままで構いません。出た際に式神に声をかけていただければ、それが片付けますので。」
ごゆるりと。そう言って、葵は現実と虚像の境さえ掴めない程に磨かれた丸い鏡を手に、部屋を後にした。蝋燭が、じじ、と音を鳴らす。話の内容からして来客があったのだろう。零は書類に視線を戻した。
(銀の首飾り、これはありとあらゆるものを続ける事の出来るものである。例えば記憶、例えば遺伝子、例えば魂、例えば肉体。即ちこれは然るべき断絶の摂理を覆す事を可能にする。)
果たしてバスカヴィルが首飾りに対してどのような実験をしたかは定かでない。しかし彼がここまで断定をするのであれば、それは一つの事実とも取れるだろう。決して、それは根拠のない信用ではない。金の指環が摂理を覆す事が出来たのだから、銀の首飾りが出来てもおかしくはない。そして、葵が以前伝えた言葉、金の指環は滅亡を齎すというあの話からして、書類に書かれた銀の首飾りの効力の詳細を真っ向から否定する事など出来なかった。
「あいつ……。」
(本当に何者なんだ。)
逸叡の筆跡の向こうにバスカヴィルの声が透けて聞こえるような気がした。再び蝋燭が、じじ、と音を鳴らした。
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