Verse 4-26
逸叡は、討伐の概要を繰り返し説明した後に、約束があるので、と吉宗の客間を後にした。残された零は今、吉宗と共に茶室に移動してぼんやりと風景を眺めている。
「お前と会ったのも随分と久し振りだな。元気にしておったか。」
「はい。生前は随分と良くしていただきかたじけのう存じます。」
抹茶は二人が点てたわけでもなく、ぽつんとゴーレムが置いていった。練菓子をつつきながら、雪のちらつき始めた寂しげな庭を望む事が出来る。
「まあなんだ、あちらで苦労したからにはこちらで……とは行かなかったようだ。お前の頑張りも俺はよくよく聞いているぞ。」
「……一体何処からそのような話をお聴きになっているのですか?」
くつくつと笑って、吉宗は手の中で回していた茶器を置いて目頭を両手で吊ってみせた。
「上様は誠に地獄耳がお上手らしい。」
「でなければ身分を隠して民衆を救えなどしまいよ。」
ふっと零は笑った。彼は生前、吉宗に数度会った事がある。一度目は幼少期。清張が一度御前に連れて行かれた後日に、お忍びで家を訪れた。二度目は欧州に行く前。用心棒の仕事を終えた帰り、江戸で、これもまたお忍びでなにかの調査をしていた時にばったり会ったのだ。それ以降は会ってはいない。しかし、将軍の好意で文のやり取りは続いていた。
「おぉ、来た来た。ご苦労。」
ふとそんな思い出に浸っていた零は、襖が開いた音で我に返った。なにを感じる事もないゴーレムに労わりの声をかける吉宗の手にはいくつかの半紙や巻物があった。
「それは?」
「今回の討伐に関する事項が記載された書類だ。まあ私が書き写したものだ。本物に朱は入れられんのでな。」
吉宗はまず零に巻物を数本渡した。事件の経過を記録したものだった。
「……暴走が見られたのはつい最近というわけですか。」
「うむ。東京で一時期騒ぎがあっただろう。あの時期だ。逸叡殿もそれを見に行ったのだが。」
騒ぎ、と零は片眉を上げてみせた。吉宗は半紙を読みながら答える。
「人が忽然と消える事件だ、なんの脈絡もなく。世では蒸発と言うのだったか。」
「成程、その話なら俺も身に覚えはあります。」
フィリップ二世とルプレヒトが当たってくれた事件だ。残念な事に、その報告書は今まで読む事が出来ずじまいだった。戻ったら早急に読まなければいけないだろう。巻物を更に解いて、零はある場所に書かれた一つの単語に目が行った。
(……銀の、首飾り?)
別れ際のグリゴーリーの言葉がフラッシュバックする。金の指環の対となる銀の首飾り。詳細は逸叡に聞けと言い残して、彼は床を閉めた。
「上様、この銀の首飾りとはなんですか。」
「銀の……?あぁ、それは俺にもよく分からなんだ。書き写しただけで……元の報告を書いたのは逸叡殿だから直接聞くほうがいいかもしれんな。」
深々と、零は鼻でため息を吐いた。他にめぼしい情報は特になかった。
「む、これは何だ……?」
対して吉宗は、捲った半紙とその後ろの半紙を見比べていた。どう見ても吉宗の筆跡とは思えない繊細で細い崩し字が書かれている。
「書き写している際に紛れたのでは?」
「きっとそうだろうな、これは逸叡殿の筆使いだ。」
紛れていた半紙を一枚、吉宗はその筆使いに見惚れながら零に渡す。
「……照子。」
その美麗な崩し字で記された名前を零は呟いた。それは、久志を殺害しようとした女子大学生の名前である。報告書の下書きだったのだろう、少しだけ乱雑な字で、逸叡が頭を整理する為に様々な事が書き出されていたが、その中で目に飛び込んできた単語はたった一つ。
(なんで、こんな所に……?)
滲んだ万年筆のインクで走り書きされた、Baskervilleのスペルであった。
吉宗と話し合って、現地に向かうのは一週間後の黄昏時になった。茶室で別れて、許可の下に借り受けた逸叡の書類を持って、零は旅館の方向へ急いだ。目指すは最上階である。遊び回る子供達にぶつからないように小走りで駆けて、零はエレベーターに乗り込んだ。最上階へのボタンを押すが、エレベーターは動かなかった。
(……?)
もう一度階数を指定する。やはり動かない。やけくそでもう一度ボタンを押していると、エレベーターのドアが開いた。
「……お前、何処に行きたいんだ?」
「えっと、最上階……。」
洋装の男はニキシー管に示された数字を見ると、再び零に視線を移した。
「逸叡が不在の時には最上階には行けないが。何か用が?」
「あーっとえーっと、これについて聞こうかと思って……。すみませんがお名前は?」
半紙を見せると、男は少し乱暴にそれを奪った。
「土方歳三だ。お前は?」
「ひじ……!? ゆ、悠樹零です、俺は……。」
ふぅん、と珍しそうに脳天から爪先まで眺め回すと、歳三は半紙を返して勝手にボタンを押し始めた。
「あ、あのお……。」
「あぁん?俺は今から文書室に行く。お前も行ってみたらどうだ。」
零が受け取った半紙を中指で弾くと、歳三はすぐにエレベーターに描かれた紫陽花の花を見つめて黙ってしまった。
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