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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第一巻『この幻想が 薔薇色の誇りに なると信じて。』(RoGD Ch.2)

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Verse 2-20

 平和な後期カリキュラムを終えて、レイはバスカヴィルの屋敷へ帰った。暫くチケットと睨めっこをして、レイは意を決して立ち上がる。大晦日であった。


「父上、俺の燕尾服は?」


 すっかり新聞を読み耽っていたバスカヴィルは、質問してきたレイに顔を向けた。眼鏡を取って彼に近付く。


「燕尾服なら確かクローゼットの中に……取ってくるかい?」


「じゃあ部屋に。」


 首を縦に振って自らの部屋に戻ったレイは、もう一度コンサートチケットと招待状とを交互に見た。ジークフリートのヴァイオリンは何度か聞いていたが、簡易的とはいえステージで聴くのはやはり緊張するものがある。やがてノック音が聞こえて、レイは扉を開けた。


「はい。どこか行くのかい?」


「ちょっとコンサートに……ヴァイオリンの。」


 受け取った燕尾服についている小さな埃を払いながら、レイはバスカヴィルに背を向ける。父親に行き場所の質問をされる事をすっかり忘れていたのである。


「コンサート? 音楽を聴きに行くなんて珍しいね。誰かに誘われたのかい?」


「いや、招待されたんだ。」


 口ごもったレイはシャツを脱いだ。ズボンからその脚を抜く息子に、バスカヴィルは視線で促した。だれに、と。ズボンのベルトを抜き取ったレイは、意を決した。


「……ジークフリート。」


 凍るような空気がその場に漂う。サスペンダーのついた黒いズボンを履いたレイに、バスカヴィルは引きつった笑みを浮かべた。自分の息子がなぜ、よりにもよって例の首謀者のヴァイオリンコンサートに行くのか。無論この父親には不可解極まりなかった。


「それは、是非聞きたいね。私も一緒に行っても?」


 机の上にある二枚のチケットを目ざとく見つけて、バスカヴィルは努めて優しく声をかける。すっかりシャツを着込んでカフスを選んでいるレイに、バスカヴィルは少し語調を強めた。


「構わないね?」


 手を握りしめて、レイは目を閉じる。


「いいよ。」


 暗い声の後、扉が閉まる音が聞こえた。レイはため息をつく。恐らくジークフリートは、自らが首謀者である事をバスカヴィルが知らない、と思っている。赤色の薔薇のカフスを選んで、レイは箱の蓋を閉めた。




 ジークフリートの屋敷の前は賑やかであった。騒々しい賑やかさではなく、どこか厳かで煌びやかな賑やかさである。淑女達は次々と肩にかけている毛皮のマントや手を入れていたマフを使用人に渡していた。紳士達も、シルクハットや軍帽、コートを渡して屋敷の中へ入っていく。


「招待状はお持ちですか?」


 玄関口で手を差し出され、レイはチケットを二枚使用人に渡した。


「本日はご当主のコンサートにおいで下さいましてありがとうございます。どうぞお入りください、お荷物は中の使用人が預かります。」


 半券を返され、来訪者ノートにサインをして、レイはバスカヴィルを連れて屋敷の中に入る。前の紳士達に習って外套を渡すと、使用人はコンサートホールの方へ案内した。すっかり元気になったジークフリートの母が、車椅子に座ったまま周りの婦人に挨拶したり、紳士に労わりの声をかけられたりしている。レイの姿を見とめて、夫人は使用人に車椅子を押すように命じた。


「来て下さったのね。夏のお礼を是非したいと思ってましたの。」


「こちらこそ、本日はお招き頂きありがとうございます。こちらは私の父です。」


 一歩身を引いてレイは後ろに立っていた父を示す。


「貴方は……バスカヴィル?」


「お久し振りです、夫人。前当主については……非常に残念です。」


 手をとって甲にキスを落として、バスカヴィルは瞼を落とした。夫人の方が幾分か年上の筈であったが、レイには二人はほぼ同年代に見えた。父の顔が若すぎる上に、ジークフリートの母は時が止まったように美しさを失っていないのである。ホールに響きわたる使用人の声を聞いて、夫人は二人を急かした。


「いけないわ、そろそろ着席時間なの。お二人とも心ゆくまで聞いていって下さいね。」


 別れの挨拶を交わして、未だ可憐な夫人は去っていく。二人は心持ち早足で席を確保した。ホールに入る前に貰ったプログラムに視線を集中させていたレイに、バスカヴィルは耳打ちする。


「夏のお礼ってなんの事だいレイ。てっきり私はジャンやヨハンと一緒にイタリアに行ったと思っていたんだけど。」


「別にどこだっていいだろ。」


 咎めるような視線を感じたが、レイはそのままプログラムに目を落とした。開演ブザーが鳴ると、照明が落ちる。それとともに観客の声も落ちていった。暫くして、壇上にジークフリートが現れる。いつもとは違い、きっちりと燕尾服を着込んでいた。一番最初はスピーチなのだろう。彼の手の中に、まだヴァイオリンはない。


「本日は、ニューイヤーコンサートにお越し頂きありがとうございます。」


 定例文句である。ジークフリートの笑顔に、観客達は微笑みと拍手を送った。ジークフリートは唇を舐める。観客達の中に、一人の友人の姿を見とめたからだ。いつもと違って燕尾服を着込んでいる。


「実は今回、僕の友人を一人新しく、この年にもなって呼びました。」


 笑いが起こった。気恥ずかしげに笑ったジークフリートは、少し顔を引き締めて俯く。


「この年にもなって、人生の友人というものを僕は手にしました。彼のお陰で、母もすっかり、皆様が見た通り元気になりました。ずっと暗かったこの屋敷に、体裁だけが明るかったこの屋敷に、やっと暖かな家庭が戻ってきたのです。」


 焼けるように熱い喉からこみ上げる嗚咽を堪えて、ジークフリートはレイを見つめた。


「今日の弾く曲はどれも世に知れた名曲達です。しかし、僕は敢えて全ての曲をピアノ伴奏のヴァイオリン曲に仕上げました。友人に、このヴァイオリンを聞いて欲しかったから。この曲達は全て、僕の音楽に関わってくれた師と、僕の友人に捧げたいと思います。」

毎日夜0時に次話更新です。

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