Verse 4-12
ウィーン国際空港から、車で数時間。その日の零の容姿は、フェリクスの選び抜いたヴィクトリア時代後期をモデルにしたスカート幅の狭いドレスと顔を覆う程つばの広いハット、そしてセバスチャン・ディオールに統一された化粧というものだった。淡く燻んだ薔薇色のサテンを主体とした地面すれすれのデイドレスは、葡萄色のブレードが縁を飾り立て、薄い金が胸元と首元を覆っていた。細い袖をつたえば、チョコレートブラウンのスエードのグローヴが手を包み込んでいる。右手には柄の長い日傘を持ち、その頭にはデイドレスとお揃いの色で仕立てられた洋扇子があった。すっかり長くなった艶やかな黒髪は、後ろで三つ編みをされた後にうなじが見えるようにシニョンで結い上げられていた。ところどころに散るパールが、一層その黒さを引き立てる。デイドレスと同じ生地で作られた帽子には、布の造花、丸々とした西洋薔薇と金色のリボンが所狭しと縫い付けられている。そしてなにより、黒い髪と眉、長くなった睫毛に負けず劣らず赤いルージュの唇は、実に零によく似合った。明る過ぎず、かと言って黒過ぎず、薔薇色のドレスに合わせるようにして塗られた苺色のマットな唇だった。
『到着しました。』
マナーハウスに行く前にフェリクスから、少しでも恥をかかないように、と零は歩き方や姿勢を学んだ。ヴィクトリア後期にその一斉を風靡した幅の狭いドレスは、普通に歩くと布が張ってしまう。故に、足は半円を描くように動かすのが最も楽な歩き方であった。
「零、しっかりマスターしてるのね!私エドワーディアンの生まれだからこのドレス、すっごい歩きにくいわ……。」
車を降りると、前の車に乗っていたアナスタシアが駆け寄ってきた。アナスタシアはオフホワイトを貴重とした、赤の太いベルトが実に鮮烈なドレスだった。
「歩くの難しい……あとS字型コルセットきつい……。」
「部屋に案内してもらったら少し緩めましょう!さ、皇后陛下が待ってるわ。」
白い総レースの日傘を腕に通して、アナスタシアは零の腕に左手を回した。血色は悪くないが、少し息が荒く感じられた。二人は裾を持ち上げて三段程の階段を上がり、正面庭園の巨大な噴水を背にして、玄関に立つ一人の貴婦人にカーテシーを披露した。
「エリーザベト皇后陛下、今回はマナーハウスにお招き頂いてありがとう御座います」。」
「養父の急な相談にも快く承諾して下さり、光栄に存じます。」
エリーザベトの手に導かれて体勢を戻すと、ヨーロッパ一の美貌と謳われてやまなかったその皇后はにっこりと微笑んだ。
「今回は二人に来てもらって本当に嬉しく思っています。ここで、一人前の淑女としての教養・作法を身に付けていって頂戴。来年、オーパンバルを楽しみにしていますね。」
二人の返事を聞くと、エリーザベトはマナーハウスの中を案内した。広い食堂、レッスン用のダンスホール、庭園から書庫まで。長い廊下では時々、このマナーハウスに通っているらしき上流階級の少女達が見受けられた。
「さて、アナスタシア殿下はこちら、零さんはこちら。レッスンは明日からですが、それぞれの部屋に貴女達の講師役が待っています。それでは、これから一月まで、頑張って下さいね。」
零とアナスタシアは目配せすると、お互いに示された扉を開けた。
* * *
成程、ハプスブルク家としての人選としては実に的確であった。が、お互いの相性という意味では実に不適合であった、
「貴女のダンスはやはり男性的過ぎますね。勢い、そして力があり過ぎますよ。」
「そりゃ元々男ですから……?」
疲れ果てて、零はレッスン用のダンスホールから遠い目で窓の向こうの緑を見た。零の講師役は、マリア・テレジアだった。
「その男性としての全てを捨て去るのですよ!」
「受け手なんてタンゴしか踊った事ないんですから二日三日じゃ無理ですよ……!」
相手はレッスン用に作られたゴーレムだ。頭には白い布が被せられ、服は普通の男性が着ているスーツだった。彼らは自由自在に身長が変えられる。踊る相手によって最適な身長になって。長時間のレッスンに文句も言わず付き合ってくれる。
「貴方の気持ちはとても分かります。まずはその緊張で凝り固まった身体からどうにかしなくてはいけませんね。」
事実、零は女性としてワルツを踊るにはあまりに不慣れで、ステップに集中し過ぎて地の、男としての零がありありと表現されてしまっていた。
「零。ですが貴方は食事の時はとても女性的に出来ているのですよ?」
「そりゃ、ダンスなんかよりずっっと、下手すれば毎日やってるような事なら女性としての意識が持てますからね。」
ふむ、とマリア・テレジアは腰に回した右手に肘をついた。見てくれは立派な女子なのだ。零は最初に、がさつですよ、と断ったが、別に彼は、彼女の視点から見てがさつでもなんでもなかった。女性としては仕草が男性過ぎる、ただそれだけの事だ。零はその男性性を、がさつ、と表現しているに過ぎない。
* * *
一日はまず美容から始まった。しかし、零はなにもしなかった。朝起きて鏡面に向かえば、使用人のゴーレムが美容液から保湿まで、全て滞りなく行った。服飾も全てそうだ。アクセサリーやドレスは零が自分で選んだが、それを着せるのはゴーレムの仕事だ。協力するのはコルセットくらいだ。
「零。貴方、昨日のアナスタシアのファッション聞いてらして?」
「いえ、なにも……。酷かったんですか?」
服も髪の毛も整えれば朝食の時間だ。講師であるマリア・テレジアは、零の隣の席で数分早く座って朝食を待っていた。
「えぇそれはもう、真っ黄色にショッキングピンクですってよ。昨日、エラの叫び声が面白くて、聞いた時部屋の前で笑ってしまったわ。」
エラ、とはニコライ二世の伴侶アレクサンドラの麗しき姉であるエリザヴェータ・フョードラヴナの愛称である。どうやら、二人が夏のマナーハウスに来る前にお互い情報を少し交換していたらしい。知らない間に愛称で呼び合う程度には仲が深くなっていた。
「それは、なんというか。実に挑戦的ですね。」
「えぇ、下手したらファッションの革命でしょうね。」
そう言って、マリア・テレジアは零の選んだドレスを眺めた。彼の好みはクラシックだ。男性装にしても、女性装にしても、典型的で、かつ彼の好みを選んできた。彼はファッションに疎い。それでも奇抜さがなく、斬新さがあっても上手く溶け込めているのは、恐らく今までの教育の賜物なのだろう。
「まだ来てすぐですが、この屋敷には慣れましたか?」
午前と午後の一時半まではきっちりレッスン。その後は各々の時間だ。観光をしたり、書庫に収められた本を読んだり、零の過ごし方は様々だ。
「そうですね。間取りは把握しています。行き交う人々にたまに驚きますが……。」
アナスタシアが言っていた、隠れ家の提供。それはつまるところ、第十セフィラに一次的に滞在する[シシャ]達のホテルである事を意味していた。カペー家やロマノフ家など、第十セフィラに居を構えている者達ならばともかく、大抵の[シシャ]は第十セフィラに家など持っていない。一時的な居候の場として、この屋敷は使われていた。
「この間はドイツ皇帝のヴィルヘルム二世とヴィクトリア女王が廊下を歩いてましたし……。」
「あの二人は確か国土に用があったとか聞きました。」
マリア・テレジアも詳しくは知らない。彼女もまた、零の講師役としてここに居候しているのであり、ホテルの提供側ではないのだ。
朝食を終えた時間からレッスンが始まる。普通なら朝食もレッスンなのだが、零は既にそこに関して教育がなされていたのでパスをした。社交辞令から衣服に合わせた歩き方、零が特に苦手なダンス、大まかな酒類の見分け方・飲み分け方、幅広い学問分野の基礎的な知識の習得、男性相手の立ち振る舞いなど、レッスンは多岐に渡った。普通ならコマに分けて一週間の時間割があるのだが、零はマンツーマンであった為に、自らの都合で自由な組み合わせを受けた。
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