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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。 』(RoGD Ch.4)

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Verse 4-10

 執務室で葉巻を燻らせながら夢現を過ごしていたニコライ二世は、慌ただしい足音二つで思わず机の上に乗せていた足を元に戻した。


「い、いけません主よ!流石に陛下に直談判は!」


「うゆしゃ~~い!」


 先回りをして扉を開ければ、涙で泣きはらした顔の小さな零が今にもドアを蹴破らん勢いで歩いてきていた。


「へ、陛下!」


「いい。入れ。」


 頭を下げようとしたフェリクスを片手で制し、ニコライ二世はため息を吐いた。


「じーく、かえらせたくないの!」


「零、取り敢えず落ち着いて。」


 飛んで抗議する零に、ニコライ二世は飽くまで無表情を貫いた。零もやがて怒りが少し下火になったのか俯いた。


「ジークフリート、彼も仕事だ。」


「でも、でもいちねんだけなんて、ひどいよ!」


 折角一緒に生活出来たのに、と零はソファーの隣で再びへたり込んだ。もう椅子に上がる気力もない。吸いかけの葉巻から、太い煙が燻っている。


「ずっと傍にいて欲しい?」


「うぅ……おとなに、なるまで。」


 執務椅子に座って、ニコライ二世は肘をついた。扉を閉めて、フェリクスはその前で立っている事にした。


「……零。現状から言えば、ジークフリートはどれだけ延期しても一年以内には復帰して貰わなければならない。」


 俯いたままの零は、こくん、と小さく頷いた。


「……この世界の、存亡の為に。」


 一度小さく、ニコライ二世は唇を噛んだ。この幼い子供の選択で、世界の全てが決まる。どんなに無邪気に振舞っても、どんなに子供らしい生活を送っても、結局全ては彼に皺寄せが行くのだ。それだけに、彼の地位とは残酷であった。


「いちねん……なくてもいいから。」


 しかし、それを一番承知しているのは、今ニコライ二世の前に座っている小さな男の子に他ならない、そして、そう小さな声で零は呟いた。


「だから、わかれるひ、おしぇて……ほしいの。」


 ぼたぼたと、彼の白い服に涙が零れ落ちた。綺麗なスカートにしっかり皺がつくくらい強く握り拳を作って、零は叫んだ。


「ちゃんと、じぶんでかくごしてじーくにあいさつしたいの!!」


 * * *


 翌日、それはとても気の重い朝だった。食卓は無言で朝食を終え、ジークフリートは据え置きの電話の前でじっと座っていた。もし零の言葉が受理されなかったら、一体どう話を切り出せばいいのだろう、と。


「……。」


 ベルが鳴った。確かに受話器のベルだ。ゆっくりとそれを手に取って、冷たい金属を耳に押し当てる。


「ジークフリートだ。」


『昨日の続きを伝える。』


 名乗りもせずに、リチャード一世は静かにそう告げた。固唾を飲み込む。一秒さえない彼の次の言葉への隙間が、何時間にも感じられる思いだった。


『……お前が帰還するのは四月十七日に決定した。一ヶ月の猶予を与える。』


「一、ヶ月。」


 なにかの宣告を受けている気分だった。しかしそれ以上に、その猶予によってジークフリートの心は僅かばかりの幸福を得た。


『その間、零とお前が満足出来るだけの日々を過ごしてくれ。これは私の個人的なお願いだ。』


 受話器の向こう側にいる者の名を、ジークフリートは呟く。


『頼んだぞ、零を。』


「……あぁ。分かった。……分かってるさ。』


 一度別れるだけ、しかし何度も零との別れを重ねたジークフリートにも、それ相応の胸と喉を潰されそうな苦しみがあった。また一度別れるのだ。ジークフリートは、硬く瞼を閉じた。


 * * *


 雪解けが始まった。春の濁流、木々と花々の芽吹きの音が聞こえる。その日、零とジークフリートは二人で散歩に出た。まだまだ雪からは断片的にしか芝生が見えない。


「えへへ、そえでそえでりすさんに、みちあんないしてもらったの!」


「そうか、それであのリスに花冠を作ってたわけか。」


 極寒を前に最後の命を散らそうと不死鳥のように燃え上がる樹々。黄金の秋。零がアレクセイと共にリスに導かれたロシアの秋を目の裏に浮かべる。その秋は、零と共に迎えられない。


「ところで、零はどうしてそのリスを覚えて……零?」


 靴底からひしひしと雪の冷たさを感じながら、ジークフリートは横を見下ろした。零の靴跡がない。慌てて後ろを振り返ると、大きな影が一つ、小さな零の前に立っていた。


「わーお!」


 零はその大きな影を見上げて感嘆の声を上げていた。実にジークフリートの身長もゆうに越すヒグマが一匹、後ろ足二本で立ち上がっていたのである。


「れ、零!」


 慌てて爪先の向きを変えて、ジークフリートは零の後ろ姿に駆け出した。しかし緊張と必死の雰囲気とは裏腹に、零はジークフリートが伸ばした手をするりと掠めてそのまま前へ、倒れ込むように歩み寄った。


「……。……ふあふあ!」


 嬉しそうな零の声、そしてあろう事か、駆け出したジークフリートを迎え入れるように肩を広げたヒグマの行動に脱力して、ジークフリートもその毛むくじゃらに飛び込んだ。


(あぁ、ふあふあ……。)


 剛毛だが確かにふわふわだ。冬眠から目覚めたばかりなのか、少し痩せているようにも思えた。冬毛は、体毛のない二人の体を暖かく包み込んだ。きゅっ、とヒグマは優しく、長く太い両腕で二人をすっかり包み込んでしまった。


「くましゃんおっきぃ!」


 嬉しそうに、満足げに鼻を鳴らすヒグマが、ジークフリートはどこかくすぐったかった。


「くましゃ、おきたばっかなんらって。」


「そうなのか? じゃあやっぱり、お腹が減ってるな。」


 二人の体温、特に零の体温がすっかり暖かくなったのを感じ取って、ヒグマは漸く二人から身を引いて、いつもの四足歩行へと戻った。零が手を掲げると、ヒグマはその頭を零の胸元まで下げた。


「よし、よし!いーこ!」


 零が撫で終わると、ヒグマは次にジークフリートに頭を差し出した。恐る恐るその冬毛に覆われた頭や鼻先を撫でると、また満足げに大きな黒い鼻を鳴らした。


「ちゃんといっぱい、たべるぅんあよ!」


 まるでお礼をするように、ヒグマは二人に頭を下げると、そのまま水嵩と勢いを増した春の川音の方へ歩いて、ツンドラの奥深くに姿を消していった。


 * * *


 春の目覚めが近くなるにつれ、屋敷を訪れる動物も多くなった。ジークフリートには実に不思議な体験であり、フェリクスはいつも通りに動物達にオーガニックな食材を少しだけ渡していた。中でも驚いたのは、零を助け、ジークフリートに二つの胡桃をもらったリスが大量の松の実などの乾燥した木の実を持ってきた事だった。それはリス達にとっては貴重な冬の貯蓄の筈だ。余るわけがない。


「こ、これは……。」


 ジークフリートとフェリクスがそれを初めて見たのは、零が両腕に沢山それを抱えて庭から帰ってきた時だった。


「あのね!ごきんじょから、つのったんだって!」


「募金……いや募実、ですかね。」


 その頂上には、腰辺りに両手を当てて踏ん反り返っているあのリスの姿があった。


「あとね!みっかごくらいにに、はるがくるって、ゆてた!」


 まあまあ、と山から一つ木の実を取ると、フェリクスはその割れ目に整った爪を差し入れた。


「匂いでも分かりますが、腐っているものは一切ないですね。いくら乾燥させて食べる物とはいえ、リスがここまで綺麗に乾燥出来るとは。」


「どこかでこっそり技術を盗んできたのかもな。」


 ゴーレムが持ってきた大きな木の籠にその木の実の全てを入れると、ジークフリートはそこから一握りを取って小さな麻袋に入れた。


「これくらい持っていけ。募ったご近所さんに、よろしく、と。」


 リスは耳を指で掻いた後に、その巾着袋を背負って三人に会釈した。するとまるでエルフのように木製のテーブルの脚を伝って降りて、やがてゴーレムが開けていてくれた玄関扉の隙間から去っていった。


 * * *

毎日夜0時に次話更新です。

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