Verse 4-8
「今年は少し暖かいですねぇ。」
花型が刺繍で施されたカーテンを手で避けながら、フェリクスは外の様子を伺った。雪がちらつく気配もない晴天である。
「十月に入ってかなり経ちましたが……。」
「ゆき、ふやないね。」
昨年のロシアは随分の豪雪だった。あまりに降るので、楽しみにしていた零も三月頃には、もう降らなくていい、と永遠愚痴っていた。対して今年はいつも以上に長い間、動物達が屋敷の外で走っているのが見受けられた。窓際ではよくよくリスが駆け回っている。
「ちょっとでいいかやふってほしいな!」
「そうですね、ロシアの風物詩ですから。」
その時、ジークフリートは二つの屋敷の裏手にある湖の傍で立っていた。散歩がてらに庭を歩くのが日課なのだが、その日はニコライ二世が湖に文句を言っていたのだ。
「氷が張るのも大分先か……。」
「早くスケートしたいなあ。」
父と末娘を遠目に見つめながら、ジークフリートは細巻き煙草をつまんで口から出した。紫煙が立ち昇っていくのを見つめながら、ジークフリートは訝しげに口からもう一度息を吐いた。
(白い。)
はっとして上を見上げる。邸宅を出てくるまで白んだ青で包まれていた空に、灰色の雲が見え始めていた。雪が降りそうな天気だ。先程まで薄手のコート一枚、秋の暖かさであったというのに。ジークフリートは湖で話している親子から視線を逸らして踵を返した。
(……いや、まさかな。)
胸中で否定しつつ、それ以外は有り得なかった。息を吐いて、ジークフリートはユスポフ邸の多くの窓を見上げた。零が窓を覗きながら雪を切願する光景が、目に浮かんだ。
* * *
年の暮れ。ユスポフ邸に住む三人の住人でささやかなパーティが行われていた。
「はっぴばーすでっ、とぅーゆー!」
「Happy Birthday dear Siegfried.」
今日の席順は少し変わって、ジークフリートの向かい側に零とフェリクスが座っていた。その間には、直径十センチほどの小さなホールケーキ。ジークフリートが大好きなオペラであった。
「はぴばーすでー、とぅっゆ~!」
おめでとう、と二人が拍手を送ると、ジークフリートはホールケーキの上に並べられた1221の形のキャンドルを吹き消した。
「わあ~! いっぱちゅだっ!」
「今年で何歳ですか? ……なんて、覚えてないですよね。」
ケーキの前に、まずフェリクスからプレゼントを貰っていた。カフスボタンである。黄色混じりのクリソコラ、白銀の金属細工。是非次のニューイヤーダンスパーティにつけてきてくれと言わんばかりの品であった。
「さ、主もプレゼントですよ。」
「うん! まってね、まってね。」
零からのプレゼントは、チャイルドチェアの下に置いてあった。座ったままその箱を起き上がり小法師のように持ち上げた。
「おえかやの、ぷえぜんっと!」
どうぞ、とばかりに、ずずい、とジークフリートの目の前に迫るそれは、零の胴くらいの長さの箱であった。綺麗にラッピングされた紙袋。そこには表面を埋め尽くすようにして孔雀の尾羽がプリントされていた。
「あけて、あけて!」
言われるがままに、ハッピーバースデーと書かれた金色のタグと、それを止めるロイヤルブルーのサテンリボンをするりと取った。中から出てきたのは、青いくまだ。
「これは……テディベアか?」
「そう! ばーすでー、べあだよ!」
成程、そのクマの胸には、アクアマリンのトップが輝いていた。足には銀色のラメが入った糸で二十一の刺繍が入っている。
「ふえるとかまよったけど、ふあふあのが、きもちいーでしょ?」
つぶらな瞳も、小さな鼻も、全て丁寧な紺色の刺繍だ。にっこりと笑うその人懐っこいテディべアの表情はいかにも零が気に入りそうだった。そして、ジークフリートも気に入った。
「僕のベッドテーブルに飾ろうか。」
「ほんと!? やった!」
これが、ジークフリートにとって、零から初めて貰った誕生日祝いであった。
* * *
細かな雪が降り注ぐと大晦日の夜、ユスポフ邸に住む三人は、少し着込んで暖房器具のない屋根裏の窓を見ていた。
「いつみても、きれいだね!」
夜寝る前に、零が星を眺めたいと言い始めたのだ。ジークフリートがばたばたとケープやらなにやらを運んでいる時に、フェリクスに気付かれた。
「零は星が好きなのか?」
「しゅき、だよ! てんもんがく、むずかちいけどね。」
冬の空気は澄んでいて、特に都会の明かりと大気汚染から離れたこの敷地内からはどんな星でもよく見えた。
「この世界に来る星の光は、随分昔に星が爆発したものが来てるんだそうですね。実際はどうなのですか?」
零の目にきらきらと映る星は、美しいがどこか虚しい。その光に生命というものは感じられない。ただ輝きだけが暗黒に瞬いていた。
「ほしはね、めいかいにいないひとのたましいなの。」
「魂?」
聞き返して、ジークフリートは星を見た。
「おれたちがころしたひとと、めいかいでてんせいからはなれることを、えらんだひと。そのひとたちの、たましい。きのちゅうおうをとおってるかわにながされて、沢山のばしょにちらばっていくの。」
タオルケットをかきよせて、フェリクスは夜空を照らす星々を眺めた。
「だから。あれは、しのかがやき。」
「死の、輝き……。」
宝石箱とも表されるその夜の空は、所謂、人類の最期の墓場であった。それを眺めたがった零の胸中を知る事は出来ず、ジークフリートとフェリクスはただただ彼方を彩る死の証を見つめるだけであった。
* * *
零にとって、ジークフリートとの日々は飛ぶように過ぎていった。初雪から、彼の感覚では殆どすぐに年末年始がやってきた。毎日夢のような日である。時には外で遊び、屋内で遊び、書庫で共に本を読み、フェリクスも時々仕事を中断して二人の元に来て同じ時間を過ごした。
「С днём рождения. 主よ、僕からの誕生日プレゼントです。」
子供にとって、誕生日は待ちかねた日だ。しかし零は違った、最初は本当に酷く驚いていた。
「おたんじょーび! そうだった!!」
漸く気付いて、目を爛々と輝かせながら、零は机の上に出されたプレゼントの箱を受け取った。シャンパンゴールドに巻かれた赤い太いリボンを解く。
「うう、くちゅぬぐね!」
大きな箱に手が届かず、零は靴を床に放り投げて椅子に立った。
「わっきれいだ!」
蓋を開けて零は目を輝かせた。
「みてじーく! ごほん!」
箱の底からそれを取り上げて、零は隣で見守っていたジークフリートにその表紙を見せた。重そうな写真集だった。ジークフリートはそれを手にとって開く。実に美しい夜空が、オーロラが、小さな解説とともに載っている。
「綺麗だな。零にぴったりだ。」
「うへひぇっ。たくさん、よむね!」
にこにこと机に置かれた本を撫でて、零はフェリクスにそう言った。
「さ、ジークフリートさんも。」
「えっ、あぁ……そ、そうだな。フェリクスほど大層なものでもないんだが。」
「にゃに、なに? じーくのぷえじぇんと!」
ゴーレムが持ってきた、フェリクスのものに比べて小さな箱を受け取り、零の前に置いた。チョコレートブラウンのリボンと、落ち着いた赤の箱だ。楽しげにお尻を振りながら、零はその箱を開けて除いた。
「あってでべあ!てでべあだよ!」
「零の誕生日、ガーネットだろ? それっぽいのを選んだんだ。」
零の身長より少し低めの、赤いテディベアが入っていた。首には、クリソコラの美しいトップが縫い付けられている。
「おっきい!ふあふあ!きょーから、いっちょにねう!」
見て見て、と零は向かい側に座るフェリクスにテディベアを差し出した。
「綺麗ですね、毛並みもしっかり。目も鼻も刺繍ですか。」
「ビーズだと痛いだろ?」
微笑んで、フェリクスは、まさに、とジークフリートの気遣いに穏やかな気持ちになる。
「零、今日で何歳だ?」
「ごしぁい! ごさい? ……たぶん。」
両手の平を見つめて、零は取り敢えず頷いた。
「五歳ですとも、おめでとう御座います。これからもすくすく育って下さいね。」
二つの誕生日プレゼントを抱きかかえて、零は二人の微笑みに大きく頷いた。
風呂から上がると、零がベッドの上でもぞもぞとなにか仕込んでいた。二つの枕の間で。何度も手を動かしている。よく見れば、ジークフリート側のテーブルから誕生日に貰ったテディベアがなくなっていた。バレたか、とジークフリートは少し寂しそうに微笑んだ。
「何してるんだ?」
「はっ!」
コメディ映像の泥棒のように、キレのある動きで零は後ろを振り向いた。彼の前には、青と赤のテディベアが揃って座っていた。
「こえ、いっしょのとこでかったの?」
「そうだぞ。」
銀色の刺繍が施された青藍色のテディベアと、黒い刺繍が施された柘榴色のテディベア。二つの顔は少し違うだけでとてもよく似ている。
「そうやって一緒に座らせたら楽しいだろうと思って。」
「たのちい!」
ベッドにうつ伏せになって、零はその二つのくまを楽しげに見つめていた。
* * *
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