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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。 』(RoGD Ch.4)

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Verse 3-11

 扉が開いて、アレクセイは少し驚いたように音が鳴った方向を見た。隣に座っていたアルフレッドは眉を動かしもせず、薬草が描かれた本から顔を上げる。


「ニッキー。」


「アル、零は何処に!?」


 どうやら要請先から蜻蛉帰りをしてきたようだった。ニコライ二世の後ろにはフィリップ二世も、少し居心地悪そうに立っている。


「零なら公爵の屋敷にいるよ。」


 いつも冷静沈着なニコライ二世の仮面は解けていた。彼は痩躯で空を切るようにしてアルフレッド達の前から姿を消してしまった。


「……俺のせいか?」


「今更自分を責めても結果は同じだよ。……僕もね。」


 椅子から立ち上がって近付いてきたアルフレッドが続けた言葉に、フィリップ二世は肩を震わせて自嘲気味に鼻で笑った。


「……それで、ルプレヒトさんは?」


「あいつは中東に残った。三人全員消えたら米兵になに言われるか分かんねぇからな。」


 そう、とアルフレッドは眼鏡を掛け直した。会いたくないだけだろう、という言葉は飲み込む。ニコライ二世が小走りで去っていった廊下の先から視線を外し、フィリップ二世はアルフレッドの白衣越しにニコライ二世の書斎の中を覗いた。


「あいつがアレクセイか。ずいぶん親しいんだな。」


「僕が薬草学を教えてるだけだよ。君は行かないのかい?」


 組んでいた腕を解き、フィリップ二世は肩を竦めた。


「行ってもいいが今はそっとしておく。どやどや行ったってあいつが困るだけだろ。」


 眉頭を上げたフィリップ二世に、アルフレッドは少し困ったような微笑みを浮かべた。




 重ねられた手は暖かく、零は緊張から少し息を吐いた。


「……話したい事も終わったわ。そろそろお暇します。」


「えぇ。申し訳ありません、陛下の手を煩わせて。」


 ゆったりとしたシンプルなドレスを纏っていたエカチェリーナ二世は、そのたっぷりとした袖を翻して零の頰に手を当てた。


「いつの時代でもお前は無理ばかりしますね……。」


 社交辞令でも世辞でもない、エカチェリーナ二世の労りの声に、零は弱々しく笑う。


「構いませんよ。それ――」


 言い終わらない内に、寝室の扉が勢い良く空いた。余所行きの服を着たニコライ二世が、息を切らせて部屋に姿を表す。


「陛下……!? 中東にいらっしゃるのでは……。」


 慌てて立ち上がろうとして、ニコライ二世はそれを手で制した。


「体は、体は大丈夫なのか?」


 答えようとした零は、今度はエカチェリーナ二世の手によって行動を止められた。


「後保って半月かどうか……。」


「半月!? 二週間もないと……?」


 エカチェリーナ二世の隣にゴーレムが置いた緑とベージュのストライプが入った椅子に座り、ニコライ二世は零の顔色を伺った。記憶しているよりもずっと白んだ顔に、ニコライ二世は眉を下げた。


「あれから、未だ長く語り合えた事もないのに……。」


 ニコライ二世が言っているのは、初めて零と出会った創世時代の頃の歓談だった。零もまた申し訳なさそうに微笑んだ。


「今生の別れでもありませんから、悔やまなくて大丈夫ですよ。」


 零の質素な物言いに、ニコライ二世は鼻の奥がつんとなった。羽毛布団の上で、今にもない血が滲みそうなほどに握り拳を作る。


「ニッキー、清張殿に手紙を。」


 弾かれたように顔を上げて、エカチェリーナ二世の顔へ視線を送る。


「彼の病状をまだ知らない筈なのだから。」


「分かりました。」


 椅子を蹴って立ち上がると、零が慌てて腰を浮かせようとした、つられて立ち上がったエカチェリーナ二世が、その体を支える。


「一緒にジークに手紙を出しては頂けませんか陛下。彼には……最期に一度でもいいから会いたいので。」


 ニコライ二世が振り返ると、エカチェリーナ二世は小さく頷いた。


「分かった。必ず。」


 嘆願の瞳に頷き返され、零は解けたように笑った。


 * * *


 恋人かい、と言われて、フィリップ二世はゆっくりと顔を上げた。先程まで視線の先にあったのは、季節外れの白百合の花だ。


「いいや、見舞いだ。これ五本くらい束ねてくれ。豪勢じゃなくて簡単でいい。」


 スカーフを頭に巻いたいかにもロシアの地方育ちらしい仏頂面の老婆は、流暢なロシア語を聞くと人が良さそうに微笑んで、大輪の白百合の花を五本引っ張っていった。


「珍しいな、こんな極寒の時期に立派な白百合があるとは思わなかった。」


「この子らは温室育ちだからさ。普通に育ててたらまだまだだよ。」


 他の花の品定めをしながら、フィリップ二世はゆっくりと店内に入っていく。


「あんた、ラテンの方の人かい?こんな時期で辺鄙な所に一体何の用で来たんだい?」


「死にそうな友人がいてな。」


 声を上げながら、老婆は何度も頷いた。目の前で着々と百合の花束が出来上がっていく。


「今にも死にそうなのかい?」


「半月保つかどうかだ。」


 花屋の老婆は奥からリボンをどっさりと持ってきた。シンプルなものから、ロシアの民族衣装に見られる刺繍が施されたものまで多種多様だ。


「この暗い赤で。」


「あいよ。」


 青を選ぶ手もあったが、送る相手を考えてそうした。零は色に敏感だ。フィリップ二世が今選んだ赤はきっと喜んでくれるだろう。太い赤のリボンを巻きながら、老婆は花束が揺れる度に息を吸い込んだ。


「いい香りだな。」


「うちは百合の花がよく売れる。デートにも、結婚式にも、見舞いにも、……葬いにも。だからあたしもこの香りが好きなのさ。評判が良くてね、病人も気が安らぐ。」


 出来上がった白百合のブーケを差し出して、老婆は笑った。


「ほら、出来たよ。渡しておやり。」


 お代のルーブル紙幣を机に置き、引き換えにフィリップ二世は花束を受け取った。


「ありがとよ。」


 財布を尻ポケットにねじ込み、フィリップ二世は近くに停めていた車に乗り込む。ゴーレムは、フィリップ二世がシートベルトを締める音と共にエンジンをかける。




 昼食が終わりそうな時間だった。零はデザートのゼリーを食べながらため息を吐いた。甘味も苦味も、気が遠くなるほどになかった。楽しめるのは食感だけだ。


「入るぜ。」


 ノックと共にくぐもった声が聞こえる。零はゼリーを掬う手を止める。


「どうぞ。」


 片側の扉が開くと、中を伺うようにフィリップ二世が顔を覗かせた。零と目が合い、片手を上げて挨拶する。


「よっ。」


「フィリップ……来てたんだ。」


 部屋に入ると、真鍮のドアノブを回して音を立てないようにそっと扉を閉じる。挨拶に使われなかった右手には、白百合の花束が握られている。


「それは?」


「見舞いだ見舞い。後で花瓶にでも入れとけ。」


 乱暴に零の羽毛布団の上に置き、小さなダイニングテーブルを挟んで椅子に座る。


「飯は?もう不味いか?」


「まだ若干は……。」


 少し口を覆いながら、零は困ったように微笑んだ。


「今度味覚切って食ってみろって、不味いから。」


「物によっちゃあ吐きたくなるだろうな。……そんなお前さんには香りのプレゼントだ。その白百合いい香りするぜ?」


 眉をひそめながら、零はフィリップ二世が置いた白百合の花束を掴む。


「香りか……?」


 訝しげに、零は白百合の花束に鼻頭を突っ込んだ。


「そ、そこまでしなくても香るだろ。俺でも結構分かる……ぞ?」


「確かにいい香りだ。」


 いくらなんでも、とフィリップ二世は言おうとして口を噤んだ。


「そうか……。そりゃ、良かった。」


 歯切れの悪いフィリップ二世の言葉に、零は純粋に首を傾げた。


「いや別に、俺って本当に鼻が強いんだなって思っただけだ。」


 鼻を人差し指と親指で掴んで、フィリップ二世は零から顔を背ける。確かに、フィリップ二世の嗅覚は強い。しかしそれ以上に、今は零の嗅覚が弱い。


(早いんだな、生い先っつーのは。)


「しかし綺麗な百合の花だ。枯れる事を知らなさそうな。」


「花屋の目玉商品だそうだ。見る目があるだろ?」


 外の雪に負けないくらいの純白の花弁を撫でて、フィリップ二世は鼻高々に微笑んだ。


「まだまだ忙しいからこの後も見舞いに来れるか分かんねぇ。お前が生きてる間はこれが最期かもな。」


「大丈夫だよ、また会えるからさ。」


 もう一度花束に花を埋める零の姿に微笑みながら、フィリップ二世は立ち上がった。


「その時はお前はきっとまだ小僧だな。」


 声を上げて笑う零の顔は華々しく、しかしその明るさは生い先の短かさをより一層引き立ててフィリップ二世の瞳から離れなかった。最期になるかもしれない会話を短く済ませ、じゃあまた、二人はいつも通りの別れを告げた。


 * * *

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