Verse 3-7
まるで粉々になった水晶を散りばめたような幻想的な雪原を歩いて、零は次の日、早速アレクセイの元へ向かった。ゴーレムにその旨を伝えると、どうやら話が通っていたのかすんなりと案内してくれた。
(流石ロシア、なにもかもが無自覚にビッグサイズ……。)
案内されたのはロマノフ邸の図書館だった。本館五階建てに対して、図書館は吹き抜けで一階から五階までぶち抜かれている。天井にはプットや西洋薔薇や月桂樹の葉や、他にも様々な植物が描かれている。ロココのような、しかしどこかバロック的な建築に見惚れながら、本を傷めないように薄暗く設計された館内を歩く。
『それではこちらでお待ち下さい。』
一礼して、ゴーレムはアレクセイを呼びに図書館をそそくさと出ていってしまった。零は天井を見上げつつ、前へ進む。
(図書館、か。)
ロマノフ邸の図書館は確かROSEAの蔵書と紐付けられている。ROSEAは世界の蔵書全てのデータを保管し、使った初版本は帝國の王宮図書館に寄贈する仕組みになっていた。無論、ROSEAで使うその初版本は全て国土達が国家権力で集めた物だ。
(グリゴーリー・ラスプーチン、と。)
床から出現した空中ディスプレイにその名前を入力して、零はエンターを押す。様々な国の、主にヨーロッパの書籍がヒットする。赤文字は現在零がいるロマノフ邸には保管されいてない本である。棚番号をなんとなくチェックして、一番目的の本が多そうな場所へ足を運ぶ。出しっ放しの空中ディスプレイが零の後ろをついていく。壁伝いにある三階の廊下へ上がる為に、階段を登った。
「ここか。」
目的の棚に着くと、梯子を上がってグリゴーリーに関しての書籍を探す。何冊か手にとって、梯子の足がかりに座り込んだ。
(これと……これも……。)
普通の研究著書からグリゴーリーの関係者の調書をまとめたものまで、零の手元には数多の書籍が溢れかえっていた。
「ありきたり、ありきたり……これもありきたり……。」
ディスプレイに現れる紹介文や目次を開いては、片っ端から棚に収める。零が欲しいのは、ありきたりなロシアの大怪僧としてのグリゴーリーではない。噂で肥大化した悪どい面を切除した、等身大のグリゴーリーだった。
「これは……フェリクス?」
「あっいた! 零さん!」
ガタガタと突然梯子が揺れて、零は慌てて棚板を掴んだ。下を見ると、案内されてきたアレクセイが飛び跳ねている。
(皇太子殿下……。)
呆れながら、零は抱えていた本を棚に戻す。衝撃で本が何冊かアレクセイの背後に落ちていた。
「少しお待ちを。」
背後に落ちてきた分厚い本が気になって、アレクセイは零の言葉通りに梯子から離れると背後へ振り向いた。
「……グリゴーリー神父について調べているんですか?」
分厚い布張りの本を持ち上げて、アレクセイはその表紙が被っている埃を払った。
「あっいえ……。気分を害したら申し訳ありません。」
「害しません。」
梯子を降りていた零に本を渡し、アレクセイは物憂げな顔つきに微笑みを浮かべた。
「彼は長い間僕の命の恩人であってくれましたから。」
図書館は、零が昨日エカチェリーナ二世と話した温室の真反対にあった。一切の光の入らない図書館にあるのは、壁や天井から吊るされた沢山の蝋燭だけである。部屋中は、蝋の甘いとも苦いともつかない重たい香りが漂っていた。
「さて、どこからお話しすればいいのやら……。」
「父に初めて会った時の話とか……。その前の話でも。大変だったでしょう? これだけの[シシャ]を発見するのは。」
ゴーレムが用意してくれていたクランベリーの紅茶に口をつけながら、零は薄く息を吐いた。普通の紅茶よりも更に赤みの増したフレーバーティーは、ロシアの寒冷とは似ても似つかない。
「そうですね。ですが、殆どはリチャードとジャックが頑張ってくれました。俺がいない間、この世界はとても変わりました。いい意味でも悪い意味でも。」
もう一度紅茶を口に含んで、零はティーカップをそっとソーサーに乗せた。
「殿下のお父上は、俺がこの世界で会った一番初めのツァーリであり、ロシア人でした。俺が今まで出会った事のあるツァーリはエカチェリーナ二世陛下とピョートル三世陛下、エリザヴェータ陛下くらいで、ニコライ陛下はそのだれよりも物腰が柔らかくて優しくて……なにより家庭的なお方だと思いました。」
思い出しながら話し始めた零に、アレクセイは興味津々で机の上に乗り出した。
「それゆえに暗君などと渾名されているのもよくよく知っております。良き父親は王にはなれず、よき為政者と心優しき家庭者の二つになるのはとても難しい。それを両立する出来る男は古今東西数多といらっしゃるが、世界の、君主のほんの一握りでしかありませんから。」
話が逸れました、と零は咳払いを重ねた。口の中で一瞬鉄の味がする。
「最初に話したのはお互いに知るロシアについて、ツァーリについて……話がとても合うわけではありませんでしたが、お互い接点があるという所でそれなりに親しくは……。」
「父は分け隔てなく接してくれて嬉しかったと言ってましたよ。」
フォローするようにアレクセイは零に顔を寄せた。
「それは……それは良かったです。」
少しだけ、零はニコライ二世が苦手だった。決してお互いの人格が破綻しているわけでもなく、感じの悪い関係でもなく、ただ単にあの無表情が零の苦手な部類なだけだった。表情が読み取れない相手で手に取るように気持ちが分かるのはルプレヒトくらいである。
「俺が閉じ込められてから陛下には色々苦労をかけました。リチャードにも……俺がいなくなったせいで本当に……。」
俯いて、零はか細い息を吐いた。かつての事を色々と思い出して気が重くなる。
「お父上は……変わられましたか? 最初に会った時に比べて。」
話を振られて、アレクセイは少し驚いたように目を見開いた。その開き方も、どことなく父に似ている。
「そう、ですね。第二次世界大戦を境にして、少し変わったと思います。」
アレクセイは宙に目を漂わせて、しかしすぐに、ふふ、と微笑んだ。
「父はリチャード陛下から話が来るまでずっと[天界]の屋敷に住んでいました。もし貴方がいなければ、閉じ込められていなければ、ずっとそのまま……とてつもなくなにもない日々を過ごしていたと思います。」
明るい微笑みで、アレクセイは零を見上げた。
「僕は、貴方はもっと自分がした事を誇っていいと思います。もし貴方がいなければ、ロマノフとカペーはこんなに仲良くありませんでした。もっと[シシャ]は閉ざされた世界で、生前と同じような世界で生きていたに違いありません。」
一息ついて、アレクセイは首を傾げて気恥ずかしげに微笑んだ。
「貴方のお陰で、閉鎖的だった[シシャ]達の生活はとてもメリハリがつきました。家で仕事もなく過ごすだけの日々から、仕事をしたり手伝ったり、人に見せる為に着飾ったり、ダンスに出かけたり、観劇したり……。昔の[シシャ]の生活より、今の生活の方がずっと人間味があって素敵なんです。」
楽しげに話すアレクセイに、零は少し自分が恥ずかしくなって俯く。
「……よく、見ておられるんですね。人々の事を。」
「それがいずれ皇帝になった時に必要なものでしたから。」
勿論、とアレクセイは向日葵のように笑う。
「でも、零さんが気落ちするのもとても分かります。貴方と同じ気持ちになる事はとても出来ませんが……。いかにゴールが分かっても、途方もなく長い道のりを歩いたり走ったりするのはとても厳しい。」
「そう、ですね。確かにその通りです。」
いくら走っても見えないゴールに向かうのはとても難しい。それに、今の零にはゴールがあると言っても漠然としたものだ。零は既に歩き疲れ、道の途中で座り込んでいる状態だ。休まなければいけない事は、彼自身が百も承知なのだ。
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