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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。 』(RoGD Ch.4)

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Verse 3-4

 すれ違う人々と視線が会う度に頭を下げながら、零はゴーレムの案内でロマノフの屋敷奥にある温室へ案内された。冬であるにも関わらず、広葉樹の葉々は皆緑で、どこか熱帯を思わせる部屋だった。座ってお待ち下さい、と言われて、二人は並んで座った。大きなガーデンテーブルの上には、ピカピカに磨き上げられ、温室の中を歪みつつも映し出す銀のサモワールが置かれていた。


「おっきぃ……。」


 フェリクスの屋敷にもサモワールは完備されていたし、そのサモワールもそれなりの大きさだった。美しい花柄の描かれた陶磁器製のものだったが、テーブルに置かれているのはその一回り程大きかった。


「これはパーティ用ですので大人数ですね。僕の家にも確かにありますが、流石に使う機会はあまり……。」


 苦笑して、フェリクスはサモワールを三六〇度眺めた。双頭の鷲が浮き出すいかついサモワールだ。ハイティスタンドの枠にも、ガーゴイルや月桂樹葉のレリーフが施されている。


「エカチェリーナ殿下にはどれほど仕えたのですか?」


「えっと……何年だろう。二桁は行ってたかな。」


 大きな目を少しだけ見開いて、長いですね、とフェリクスは心底驚いたようだった。


「なかなか日本に帰らせてくれなかった。光太夫さんの時もそうだったけど、日本人は大事な外交手段だ。あの人の時はそう上手くはいかなかった。でも、その後、陛下は俺の身を最高待遇で守ってくれた。捕縛されないように、当時日本が秘密貿易していた清の交易ルートで帰らせてくれたんだ。驚いたけど、でもそれ以上に陛下は多分――」


「はい、そこまで。」


 テーブルのレリーフを視線で辿っていた零は、突然顎をぐいと上げられた。その後、顎下をぺちぺちと叩かれて、零は慌てて立ち上がる。


「私の心境を話そうとは相変わらず良い度胸。」


「まさかお聞きになっているとは……。お久し振りです、エカチェリーナ陛下。」


 右腕を左のほうへ、体の前に流し、零は片足を少し後ろに下げて両膝を曲げ、当時の挨拶でエカチェリーナ二世に礼をした。


「お前も少しは元気そうで安心しました。死にかけたと聞いて驚いたのですよ。」


 一体どこでそんな情報を聞いたのか、零はフェリクスを見たが、フェリクスもなにも知らないようで肩を竦めるだけだった。手を差し出されて、零はそのまま椅子に座る。


「しかし……やはり聞いていたようにそのやつれよう。」


「そこまで顕著ですか。」


 ゴーレムが差し出したティーカップを受け取り、エカチェリーナ二世は頷く。


「お前は毎日自分を見ているから分からないのです。私が知っているお前より随分と痩せました。背も小さく見えるわ。」


 真珠の髪飾りで結い上げられたシャンパンゴールドの髪を撫で、エカチェリーナ二世はその淡いピンクの来客用ドレスを少し直した。


「最早気力だけで生きているような顔。お前の精神力の強さにはほとほと呆れますが、もう体がついていってないでしょう。」


 図星を突かれる。零は両肘掛に肘をついてティーカップを持ったまま口をへの字に曲げた。


「ニッキーも心配していました。お前の顔を碌に見れずにこの屋敷を離れたので。」


「まさかそっちの陛下にも心配されてるとは……。」


 両手で持ったティーカップからは、イチゴの香りが漂ってくる。零は深く息を吐いた。


「暗い話はここでやめましょうか。こちらはどうですか? まだ来て二日目とは言え、休めていると良いですが。」


「えぇ、お陰様で暇です。」


 フェリクスもフェリクスで、[シシャ]としての書類仕事がないわけではない。零は普段、地下にある蔵書をぼんやりと読み漁りながら過ごしていた。


「凄いんですよ、ずっと書庫の中で本を読み漁ってるんです。」


 顎を引いて、エカチェリーナ二世は顔を険しくした。


「せめて日光浴くらいはしなさいな。体に悪い……。」


「いや、ですが読んでたらすっかり時間が。」


 眉間を揉んで、エカチェリーナ二世はため息をついた。


「ならばこちらにでも遊びに来てよい許可を出します。今はニッキーがいなくてアレクセイやアナスタシアが暇を持て余しているのです。」


「相手をしろって事ですよねそれ。」


 首を落として、零は嫌そうな顔でテーブルの上のミルクを取った。少し紅茶が苦い。


「アナスタシア殿下とアレクセイ殿下に遊んでもらうのでは?」


「えっ逆……?」


 隣からフェリクスの発想の転換が飛んできて、零は思わず横を見た。フェリクスは体を震わせてくすくすと笑っている。


「あのお二人が暇を持て余しているのは事実ですよ。姉上の三方は、こちらではなく居住区にお住みになっておいでですので。」


 居住区、とは第五セフィラの事である。


「あのお転婆娘で有名なアナスタシアを放って? ……失礼ですがお母上のアレクサンドラ皇后陛下は?」


「彼女はこちらにいるがニッキーの代わりに書類仕事をしているのです。」


 あぁ、と零は植物の茎を編んで作られた椅子の背もたれに身を投げた。二つのソファーがその痩躯を受け止める。


「アナスタシア殿下はともかく、アレクセイ殿下はインドア派ですので、存分に遊んで下さいますよ。」


「お二方は普段何を?」


 手の中でクッキーを回しながら遊び、エカチェリーナ二世は吹き抜けの天井に生い茂る木の葉を見上げた。


「ナスチャは普段はテニスをしていたり、写真を撮りに行ったり……。アレクセイは図書館で本を読んだり、テーブルゲームをしたり。最近はペーチャとサーシャのビリヤードを観戦してる時もあります。」


 零はフェリクスを見た。


「サーシャはアレクサンドル一世陛下の事です。」


 かのナポレオン・ボナパルトがロシア遠征を諦めた時の皇帝の名前だった。あぁ、と零は思い出したように手を打った。彼はエカチェリーナ二世の孫である。


「しかし俺が相手などしていいのですか? 確かにエカチェリーナ陛下とはかねてより友好関係はありますが、かといってどこの馬の骨とも分からん日本人ですよ。ニコライ陛下はともかく、アレクサンドラ陛下がお許しになるんですか?」


「お前が話に行けばいいのですよ。彼女はお前のような低い階級の者が好きなのですから。」


 訝しげに眉をひそめて、零は猫背になった。再びフェリクスの方を見たが、フェリクスは眉を下げて残念そうに微笑む。


「申し訳ないのですが、僕は陛下に嫌われているので……。」


 話をつけるのであれば、自分で話してこい、という事である。零は暫く腕を組んで俯いてしまった。


「だれも、今から話してこい、とは言ってません。あの二人と遊んでから、顔を合わせた時にすれば良いのです。」


「まあ、……最善は尽くしますよ。」


 暇で一日中書庫に詰めているよりはずっと良いのだろう、零はそう思って自分を納得させるように幾度か頷いた。

毎日夜0時に次話更新です。

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