Verse 3-3
外に出れば、陽を受けたダイアモンドと言わんばかりの眩い煌めきがあった。白い太陽に反射して、綺麗に積もった雪はきらきらと輝いている。日々の料理はロシアの伝統的な料理から、フレンチ、イタリアンまで。フルコースが振舞われた。
「コース料理は実はロシアからフランスに渡ったと言うのはご存知ですか?」
「えっ。」
締めのデザート、ベリーのババロアをつつきながら、フェリクスは豆知識を披露した。
「あーでもそうか……。昔はパンに乗せて好き勝手ビュッフェ形式で食べてたのが?」
「はい。バロック辺りで漸くフランスに入り、世界に普及しました。」
ロシアとフランスはあまり接点がないように見えて、意外なところで接点を持っているようである。
「しかしどうしてそんな事をフェリクスが?」
「えぇ、カペーとロマノフが付き合いを始めてから、ロシアとフランスの接点を好奇心で読み漁って探してみていたんですよ。」
ババロアの上に乗せられた三つのラズベリーのうちの一つが、フェリクスの口の中に放り込まれた。
「他には……そうですね。主の身近な話ですと、フランスのフィリップという名前もロシアからもたらされたものです。」
「それは……ニコライ陛下にも話した?」
二度ほど頷いて、フェリクスはスプーンを陶磁器の上に重ねた。
「えぇ、それはもうお二方とも驚いておられましたよ。ヤロスラフ賢公の娘がフランスに嫁いだ時のお話だそうです。」
ほうほう、と上の空で頷いたものの、零は頭の中の知識でキエフ大公ヤロスラフ一世の年代を探し当てた。
「えっヤロスラフ賢公て……もうフランスでは既にカペーでは?」
「はい。フランスの王朝は厳格にサリカ法を取っていたので、僕が覚え間違えていなければその息子がフィリップ一世、その後にルイが二人続いてフィリップ二世陛下です。」
あんぐりと口を開けて、天井を仰ぐ。広大なユーラシア大陸を横断してそんな縁がと、零は欧州がいかに狭かったかを実感した。
「ヤロスラフ賢公はリューリク王朝だから……結構あそこも長いんだね。」
リューリク王朝最後のツァーリであるイヴァン四世はエリザベス一世の時代まで下る。
「そうですね。ただ知識としてしか知らなかったところが繋がると、心が躍りますよ。」
まさに知識人の娯楽である。零はババロアを食べ終えて胸の前で手を合わせた。
「今思いましたが、僕と主も意外なところで接点がありますね。」
食後のミネラルウォーターで、アルフレッドに出された大量の薬を飲み干すと、零はフェリクスに向き直った。
「グリーシャですよ。」
フェリクスの微笑みはどこか皮肉げで妖しい。そして、零はその名前で漸く気付いた。フェリクス・ユスポフ、目の前に座るこの男はラスプーチン暗殺の首謀者であった。
「グリ……ゴーリー・ラスプーチンの事か……。」
言われれば奇妙な縁である。フェリクスもグリゴーリーを殺し、零もまたあの男を手にかけた事がある。
「こっちに来て彼には?」
「会いました。アルフレッドさんと仕事をしている時に。」
二人の前にあるババロアの乗っていた皿が下げられ、フェリクスは少し机に乗り出した。
「フェリクスは……あの男が悪人だと?」
「……そうですね。それはとても難しい質問です。僕が彼を殺した理由はロシア帝国の癌だったからであり、決して世の全ての敵という、まるでナチ相手のような認識は持っていませんでした。」
土地に縛られた農奴ならばともかく。貴族であり、ロマノフ王朝を駕する程の富の持ち主であったフェリクスにとって、世界イコールロシア帝国ではない。
「今でこそ言いますが、あの僧侶は悪のようで悪でない。ある勢力にとっては悪であり、ある勢力にとっては強い味方であった。そうである以上、僕は軽率に彼を罪人と言い切る事は出来ません。」
成程、と零は椅子にもたれて踏ん反り返った。
「主はどうお思いですか? グリゴーリー・イェフィモヴィチ・ラスプーチンという男について。」
「クズだとは思うよ。」
苦笑して、それは違いありません、とフェリクスは微笑んだ。
「……俺は生前のあいつをよく知らない。けど……だからよく分からない。俺の知ってるラスプーチンは、とてもふわふわしてるんだ。」
いかに敵といえど、グリゴーリーと言葉を交わした事など片手で数えるくらい。おまけに彼の行動は不可解だ。零に味方したり、理恵に協力したり、かと思えば世界を壊す事もする。
「グリーシャは昔から口下手で――」
言いかけて、フェリクスは顔を上げた。ゴーレムが一人やって来て、会釈する。二、三言葉を交わすとゴーレムは早々に退散していってしまった。
「あの、主に来客がありまして。」
「こんな所まで?」
首を振って、フェリクスは羽織っていたローブの皺を伸ばす。
「お隣さんからです。」
玄関扉を開けてみれば、パッと顔を輝かせる皇女の顔。零はその顔を知っていたし、以前別の自分で見た事があった。
「アナスタシア殿下……。」
「本当に来てたのね! 久し振り、零!」
パーソナルスペースを狭く取られて、零は多少のけぞった。彼女には極力触れたくない。後でニコライ二世になにを言われるか分からない。あのフィリップ二世さえ、アナスタシアと話しているとニコライ二世の視線がきついのである。そこまで仲の良くない零なら尚更警戒した、
「わざわざこっちまで来なくても、今日の十時にそっちに上がるつもりだったんだが……。」
「え、そうなの? 客間が一つ閉まってたのはその準備だったのね。」
アナスタシアの服装は見るからに寒そうだった。いくら晴れているとはいえ、外はシベリア付近の大極寒。短パンに革の膝丈ブーツで素脚を露出しているなど見れたものではない。
「これから犬の散歩で森の方へ行くの。良かったら一緒に行かない?」
「いや、長時間外出は……アルがちょっと。」
銀色の地面にはシベリアンハスキーが一匹、お利口に座って零とアナスタシアの顔を交互に見て散歩を待ち構えていた。唇を少しだけ動かして、アナスタシアはすぐに零の手を取った。ほんの少し外気に当たっただけであるのに、その指は今彼女が踏んでいる雪と同じくらいに冷たい。
「零……。体は、大丈夫なの?」
「普段生活する分には、なんとも。」
他人の血の色を知らない高貴な淡い白肌の手から、零の手はすり抜けていった。そっか、と呟いてアナスタシアはすぐに明るい笑みを作る。
「突然ごめんね! じゃあ、また後で。」
犬の躾はよく出来ていた。手を振って駆け出していったアナスタシアの横を、シベリアンハスキーは嬉しそうについていく。
「殿下とは?」
「帝國の時から……。でもそこまで接点はないし、むしろジャンとフィリップのほうが仲良かった気がする。」
帝國の時は、アナスタシアも仕事だった。レイと結婚した事も、ジャンの妹だったのも全て仕事だ。
(てっきり忘れられてると思ったんだけど。)
むしろ、零は今の今までアナスタシアの事を忘れていた。至極申し訳ないし、同時に彼女への罪悪感もある。
「寒いですから、扉を閉めましょうか。」
「ん、そうしよう。」
ずっと眺めていた晴天の銀世界から目を背けて、零は私室へ戻っていった。
毎日夜0時に次話更新です。




