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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。 』(RoGD Ch.4)

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Verse 2-55

 隣から、こぽこぽと湯を沸かす音がする。


「そういや聞こう聞こうと思ってなにかと忘れてたんだけどよ。」


「何よ。」


 体にいい、とアルフレッドに渡されたレシピで葛湯を作りながら、フィリップ二世は理恵の病室で話を始めた。


「お前と零って結局何なんだ? 零の恋人はおっさんだったんだろ?」


「まあそうね。」


 湯呑みと小さい木製のスプーンを受け取って、理恵はその中身を覗いた。透明感のあるとろりとした液体が湯気を立てている。


「私は学者に拾われた娘だったの。生まれは分からないわ。その先生は、日本では青い瞳が珍しいから鬼だと思われて捨てられたんだろうってね。」


 少し冷まして口に入れると、確かに美味い。ほんのりとした甘みの中に、生姜の辛さが映えていた。


「それで、私は学者様の家でお世話になったわ。家事全般をやりながら、女にしては色々教えてもらった。そこの学者様は武家にも色々教えている方でね、自分から行く事もあったし、教わる人が来る事もあった。」


「教わりに来てたんだな、零が。」


 理恵は葛湯を口に入れながら頷いた。


「あの人は博識だったけど蘭学はからっきし。でも好奇心はあったから、学者様が話す外国の事はとても興味津々で聞いていたの。私が来る前から来てたから、私にも零は色々な事を教えてくれた。小さい時から、私はあの人の事がとっても好きだった。でも、零は結局何処かへ行ってしまった。学者様が亡くなって、私は聞きかじったり読んだりした薬学で生計を立てたわ。」


「あー、零がヨーロッパに。」


 微笑んで、理恵は話を続けた。


「仕方のない人よね。いくら待っても帰ってくる事はなかった。悠樹のお父様もお母様も、妹の薙ちゃんもなにも知らなかった。あまりに苦しくなって、発狂しそうになって家を出たわ。今更ながらメンタルが弱いのね、私。山を彷徨ってたら、怪我した山賊に会ったの。そいつを治したら、ずっとここにいてくれって言われてね。行く当てもないからそこにお世話になってたわ。……そして、零が戻ってきた。本当に最悪な形で出会ったわ。あの人は用心棒。旅人の積荷を狙って襲う山賊を倒すのが生業だった。」


 フィリップ二世は椅子に跨って眉を吊り上げた。


「会ったのか?」


「えぇ、会ったわ。あの人は私の事殆ど覚えてなかった。かなり大怪我をした山賊を、運べずにその場で治してたら、後でどこに行ったか確認しに来た零に鉢合わせしたの。一瞬本当に殺されるかと思ったわ。分かる? 悠樹のお父様のあんな感じの顔で来られて。」


 微笑んで、すぐに理恵は湯呑みに瞳を落とした。


「でもあの人言ったわ。女を殺す趣味はねぇって。それで去ってしまった。やっと会えたのに、また離れ離れ。覚えてない零が憎かったけど、呼び止められない私に、家を出て山賊の治療師なんかやってる私にもとても腹が立った。私はそこの賊長に暇を貰って、零を探しに行った。そしてまた会えたわ。でもやっぱり、あの人は私に見覚えがあるだけで他になにも覚えてなかったの。だから言ったわ。あの薙刀を持って、もう会えないなら殺してと。」


「重い。」


 半眼のフィリップ二世に、理恵は微笑んだ。


「国王の貴方にはきっと分からないわ。これが人の恋よ。どんなに恋い焦がれてももう会えないと言うなら、私は死んだほうがマシ。あの人は拒否したけど、私はあの人と戦って最後まで追い詰めた。だから零は殺してくれたわ、この胸を一突きで、なんの痛みもなく。零が殺した女は私だけ。」


 実に興味なさそうに、フィリップ二世は、ふぅん、と言った。彼にしてみれば、道化がわざとらしく激しく悲しみながら話す恋物語か、旅行く吟遊詩人が悲しく美しい旋律に乗せながら歌う悲劇としか思えないのだろう。


「零の様子はどうなの?」


「もう起きてるがベッドから出るなと再三叱られてるぜ。悠樹は学校に退学届を提出したらしい。」


 理恵は目を見開いた。


「退学届!? 休学じゃないの!?」


「もうあいつの体は無理だ。アルフレッドがそう判断した。今生きてるのが不思議なくらいだぜ?学校なんか通わせられるか。俺だってそうする。」


 やれやれ、とフィリップ二世は目を伏せた。もし自分が行っていれば、と思ったが、フィリップ二世はハイネック越しに首をさすった。咲口達と一緒に助けに行こうと悠樹邸を出た瞬間の、あの首を締められるような感覚を思い出す。


「フィリップ?」


「腹減ったから飯食ってくる。」


 立ち上がって、フィリップ二世は挨拶もそこそこに特別病室を出た。ライダースジャケットを指にかけて背中に放ると、食堂まで歩いていく。


「フィリップ。」


 向かい合って来たバインダーで、ばしん、と胸を叩かれフィリップ二世は顔を上げた。


「調子はどう?」


 アルフレッドが自身の首の辺りを撫でて見せると、フィリップ二世はアイスブルーの視線を逸らした。


「まだなんともねえよ。」


 するりと質問をかわして歩き出すと、その後ろに清張がいたのに漸く気付いた。ぺこり、と一瞬会釈して、すたすたと食堂へ向かう。


「首がどうかしたのか?」


「あーこないだの一件で締められたから、容体はどうかと思って。あ、ここ理恵さんの病室で、その向こうが零の病室だよ。」


 後に示した扉の鍵を解除して、アルフレッドはその引き戸を動かした。


「零、大人しくしてる?」


「してるよ。」


 零は沢山の見舞い品に囲まれてベッドに座っていた。


「またそれ読んでるの〜? ほら、お父さん来てくれたよ。」


「お、親父……。」


 手紙を放って、零は仏頂面の父親の顔をじっと眺めた。


「学校に退学届を出した。暫くは療養しろ。」


「まあそれは言われると思った。でも体はもうすっかり元気だし、別に療養しなくても。」


 椅子に座った清張の斜め後ろに立ち、アルフレッドはバインダーに挟んでいた手紙を抜いた。


「それでね、僕の知り合いにいい人がいるんだ。まだ寒いけど、もし良ければ君のゆかりの地であるロシアにでも行って休んでみない?」


 手紙を受け取って、零は眉を寄せた。


「ロシア〜? 絶対寒いだろそれ。」


「誰も外出していいなんて言ってないんだけど?」


 威圧的なアルフレッドの微笑みに、零は口を尖らせながら既に切られた封筒から便箋を取り出した。




『アルフレッド・オードリー様。ご無沙汰しております。日本の絵葉書をありがとうございました。我が家に是非飾らせて頂こうと思います。さて、本件ですが、もし我々の屋敷で良ければ、喜んで部屋や施設などお貸ししたいと思っております。ロシア歴代インペラトールからも快く了承を頂き、特にエカチェリーナ二世陛下に置きましては久しく会っていない為、是非言葉を交わしたいとの事でした。重なりますが、先方さえ宜しければ、是非ロシアにお越しください。それでは、日本の冬もまだ厳しいと思いますので、お体にお気を付けて。フェリクス・フェリクソヴィチ・ユスポフ。』

毎日夜0時に次話更新です。

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