Verse 2-53
二月末日、雪が降るともしれぬ冬だったが、無事に東京にも雪が舞り積もっている。
「は〜! 寒い〜!!」
終業式もあっという間に過ぎ、彼らの学校生活一年目が平和に終わりを告げた。博人と勇斗は久々の雪にはしゃいで、積雪の為休暇を取った史興と久志と共に雪合戦に繰り出していた。
「本格的だな。サバゲかよ。」
邸宅の庭を丸々と使って、四人はまるで市街地戦のような苛烈な戦いを繰り広げている。それを見届けるフィリップ二世の脇には、温めたてほかほかの饅頭が置いてあった。白餡の入った、史興の土産物である。
「薬物って言ってもぼんやりするだけなのか。」
饅頭のお盆を挟んで、零は史興が提出した最終報告文書のデータベースを読んでいた。
「地上に出る[燃料]の異常な量ってアルは言ってたわね。だけど、一体銀承教で誰がそんな事を?」
「大方魔術師とやらだろ。」
饅頭を頬張りながら、フィリップ二世は半眼になった。
「……俺が一つ思ってるのはな。」
緑茶と共に饅頭を飲み込んで、フィリップ二世は隣に座る零と理恵に視線を向けた。
「今までの三回、大きな共通点がないって事だ。犯人達のな。被害者は俺達、全員零の味方ってわけだ。じゃあ加害者は……?」
「そう……だな。咲口と[使徒]二人の件があった時には、銀承教とその裏で糸を張ってたアーサーかと思ってたけど。ジークとフィリップはアーサーや銀承教の影、銀の首飾りは、憶測の範囲を出ない。」
湯呑みで手を温める零の元に、前掛けを外しながら継子がやってきた。
「理恵ちゃん、零。好きなケーキは?」
「へ?」
二人は同時に振り返った。
「今日は二月の末日だよ? 理恵ちゃんの誕生日と、ついでに一月に祝えなかったお前の誕生日も祝おうと思って。」
「はぁ!? お前ら誕生日なのかよ! 言ってくれりゃ俺が腕によりをかけて作ってやったのに!!」
そういえば、と零は継子から視線を外して隣で四つ這いになってる理恵に目をやった。
「買ってくれるんですか! じゃあチョコレートケーキで!」
「はいはいチョコね。零は?」
目を輝かせる理恵を、零は久し振りに見た。普段大人な雰囲気を纏っているだけで、やはり根は零よりも幾分も若いのだ。
「え、じゃあ俺ベリー系……ムースで。」
継子に手紙を渡されながら、零はそうボソボソと呟いた。
「じゃあ、今日の夕食は楽しみに待ってるんだよ。」
楽しげに笑いながら、継子はすたすたと外出着に着替えに行った。
「ふふ、誕生日にケーキを食べるなんて初めてだわ。」
おめでとうを言おうとしたのを忘れて、零は手紙に気を取られていた。上質なざらりとした分厚い封筒だ。しかしそのクリーム地の上には、宛名だけが書かれていて、住所も、消印も、切手も貼っていない。縁側から立ち上がって、零は私室に入って障子を閉めた。
(直接うちに投函されたのか?)
桐箪笥の上に置かれたレターオープナーを手にとって、零はその封筒の頭を開いた。
『本日夕方五時半、学校前にて待つ。』
一体だれからの手紙なのか、零にはさっぱり分からなかった。
(学校前って、俺が通ってるとこの事だよな。)
五時半に行って用事を済ませて帰ってくるには、理恵と自分の誕生日会には間に合わない。零は清張に似たしかめ面をしながら、廊下側の障子を開けた。
「母さん。夕食をちょっと遅めにして貰えますか。」
「構わないよ。どうかしたのかい?」
風呂敷に包んだエコバックを懐に収めると、継子は零の方を向いた。
「いえ、ちょっと外出の用事が。」
「あの手紙かい? あまり行かないほうがいいとは思うけど……不気味だから気を付けなさいね。」
あまり保証出来ない、と零はゆっくりと不安げに頷いた。
外出する時間になるまで、零は部屋に籠っていた。出来る限り暖かい服に着替えて、理恵が居間で[使徒]の四人と歓談している隙に縁側に立つ。理恵にバレたらなにを言われるか分かったものではなかった。自転車と家の鍵を持って、縁側から庭に降りて玄関口に出る。
(流石に二月だともう暗いな。)
ゆっくりと、音を立てないように玄関先の庭から自転車を出した。跨って久し振りに学校までの道のりを漕ぎ始める。家の人間はだれも気付いていないようで、玄関から出てくる人はいなかった。ほっとため息をついて零はそのまま自転車を漕ぎ続けた。
校門の近くに邪魔にならないように自転車を止めて、零は腕時計を覗いた。五時二十九分だ。
(ギリギリで良かった……。)
この寒い季節、十分も十五分も外で待てるわけがない。
「零さん。」
校門まで歩くと、後ろから声が聞こえた。聞き覚えのある、綾子の声だ。そういえば終業式に、毛筆コンテストで優秀賞を取ったとかで壇上に上がっていた。
「綾子さん。手紙を入れたのは貴女ですか?」
「はい。新聞が来る前の明朝に入れました。」
それは随分と早い時間だ。こんな寒い季節に、と零は不可思議な表情をした。
「そういえば、見つかったんです。一緒に探して下さってありがとうございます。」
「それは……。良かった、ですね。」
首元に結ばれた銀の首飾りを見せられ、零は少し顔が強張った。
「えぇ、本当に良かったです。」
少し俯き加減でいた綾子が、にっこりと微笑んで顔を上げた。
「これがないと私——」
一瞬の空気の乱れを、零は機敏に察知した。人工的な風が背後から頬を撫でたのを感じて、綾子に背を向ける。
「生きていけませんので。」
久し振りに感じた痛みだった。左胸を貫いた白銀の刃が、本来は出る筈のない血を体に伝わせた。
「失礼。しかしこうでも騙し討ちしなければ、するりと逃げていってしまう御人のようでしたので。」
口端から流れかけた血を舌で拭って、零はその刃を掴んだ。
「お、前……。東條明宏!」
刀を心臓から引き抜く。気の遠くなるような痛みを脳に喰らいながら、零はふらふらと明宏から離れた。
「流石は世の創造主。心臓を刺しただけでは死なないか。」
(血液止めるだけでも!!)
必死に心臓を修復すると、別の原因で口の中に溢れた血が唇を濡らした。刀を手に出現させて、零はそれをすらりと抜いた。
「綾子、周囲を。」
「分かりました、お兄様。」
女子の姿が消えるのも構わずに、零は血びたしになった地面を蹴った。動く度に左胸が痛むが、骨も心臓も、肺もまだ無事だった。断たれたのは肉だけの状態だ。月が登り始めた紫色の夜空の下で、激しく鋼がぶつかり合い、火花が散る。
「お前は、お前達は一体何だ……?」
「お答えしかねますが、まあそのような[人間]だとお思い下されば。」
明宏が言葉を口にした途端、零の反応が一瞬にして鈍る。脳が動かない、手や足を動かす速度が遅くなる。
(何でだ!?)
案の定、明宏の持つ無銘の刀は零の腹を切り裂いた。痛みに耐えながら、明宏の喉を突こうとするが、一向に動きが間に合う気配がない。
「貴方の敗因はたった一つ。」
弧を描いて、刀から払われた血が地面にぶつかる。
「貴方が[神]である。たった、それだけです。」
机に夕食のサラダが大きなボウルで置かれていた。皆が鳴らすクラッカーや、チョコレートケーキとベリーケーキに刺さる筈の蝋燭も。しかし、理恵の胸中は、そのテーブルの上の祝い物が増えるにつれて、どんどんと不安が重なっていった。
「理恵。」
「……やっぱり私、ちょっと行ってくるわ。」
部屋から気配がない、フィリップ二世の言葉で、理恵はづかづかと零の部屋に上がった。本来ならはそのようなモラルに反した事はしない。しかし今は、怒りと不安で沢山だった。部屋の畳の上に置いてあった手紙を見て、外出着に着替えてまず引き止められた。次にコートを着て引き止められた。その次には、家と自転車の鍵を持って引き止められた。
「やめとけ、すぐ帰って——」
「さっきからそう言ってるけど、一向に帰ってこないじゃないの!!」
脇に挟んでいたマフラーをフィリップ二世に投げつけて、理恵はローファーを履いて慌ただしく雪道と化した玄関を飛び出していく。
「フィリップさん……。」
「行ったほうがいいか?」
顔に降りかかってきた、椿の刺繍がある臙脂一色のマフラーを取ると、フィリップ二世は背後で一連の出来事を見ていた久志に呟いた。
「……理恵さんも、帰ってこなかったら。僕らも行きましょう。」
まだ暫くは、と久志はマフラーを受け取った。
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