Verse 2-34
整理をしよう、とアルフレッドはまるでシャーロック・ホームズのように人差し指を立てた。
「被害者は君に性的暴行を加えた指揮者の男。指揮者は多分君を襲った後に外に出て襲われたに違いない。それで、咲口君達が会ったその女の子がもしかしたら第一発見者かもしれないね。そうすると、その女の子……僕の想定で行くと近衛くぐいさんの次に見つけたのが島田君ってわけだ。」
「そういう事、になりますね。」
ちょうど正午だった。ジークフリートの検査をすっかり終えて、昨日殺人現場に鉢合わせた四人はアルフレッドを半円で囲って座っていた。
「あー、で君らが聞きたかった死因ね。一応色々見たけどあれ本当に人が殺したの?」
「というのは……。」
アルフレッドのデスクに置いてあるディスプレイに現れたのは、殺害現場での遺体と、検死台に乗せられた遺体との写真である。
「いやぁ、まあ仮にそのくぐいさん、要するに中学生が殺したとしてこれは無理だよ。」
肩から腰にかけて、緩やかにカーブを描いた傷は、ちょうど胸の下あたりでクロスしている。
「エックス型の傷跡。そして背中にも無数の切り傷。これ刃物が分からないと断定出来ないけど多分上から下に向けて出来た傷だね全部。そしてこの切り傷全てに共通する事はとても……なんていうの? 鉤爪みたいな凶器? それと無数の小さい白い羽。」
これね、とアルフレッドはピンセットで近くの顕微鏡に挟まっていたプレパラートからつまんで見せた。
「結局この羽根は何の羽根?」
「分からないなあ。知り合いの鳥類学者に今連絡取ってるんだけど、もうちょっと探してみるって返信きてから全然音沙汰ないや。」
話が終わったところで、今度は久志がカバンからファイリングされた書類を取り出した。
「ROSEAのデータベース、今回も使わせてもらったんだけど確かに近衛文麿の遠戚だったよ。ただこれも例に洩れずと言うべきか、理恵さん達に話を聞いた通り自殺した経歴のある近衛文麿だった。やっぱりこれは注意したほうがいいね。僕の推理としては、有り得ないほど巨大なこの傷とよく分らない白い羽根を見る限りじゃもしかしたら、彼女がやったのかもしれない。」
披露された推理には文句のつけようがない。超次元的ななにか、現在の彼らの頭では、それをこなせるのは、所謂第二次世界大戦で頭角を表した者達の血を継ぐ者だけだ。
「……その、僕としては、根拠も弱いとは思うが、咲口の意見には賛成だ。」
弱々しく猫背になって俯いていたジークフリートが絞り出した言葉に、全員の視線が集中する。無理するなとばかりに、零はその背を撫でた。
「彼女は僕を好いてるみたいだ。もし僕がコンダクターに襲われたのを知っていたのなら……。」
ジークフリートらしくない気弱さだった。いつもであれば、足も腕も組んで、胸を張って椅子に座っている筈の彼は、今や膝の上をじっと見つめるだけの気弱な青年だ。
「取り敢えず憶測の域を出ないから、今日はここで切り上げようか。ジークフリート君、体には不調はないから、今日を含めて三日間安静ね。」
診断書を貰って、零はジークフリートの手を取った。行こう、と声をかけると、ジークフリートはゆっくりと立ち上がった。流石に猫背ではないが、やはりどこか雰囲気は沈鬱だ。
「……零、今の君にあんまりこんな事言いたかないんだけど。」
看護師にカルテを渡して、アルフレッドは眼鏡を取った。
「ジークフリート君の事、頼んだよ。」
先にジークフリートを診察室から出して、零は頷いた。
その日は史興に送ってもらい、零はジークフリートと共に家に帰った。
「おかえり、ジーク。」
「ん……。ただいま。」
ターコイズ色のマフラーを取ってやると、零はジークフリートに抱きつかれた。
「じ、ジーク……。取り敢えず部屋に行こうか。」
「ん……。」
するりと腰から腕が離れて、零はジークフリートを彼自身の自室へ引っ張っていく。黒いトレンチコートも脱がせて、いつもの部屋着を渡そうとする。が、ジークフリートは既に靴を脱いでベッドに転がっていた。
「えっと。」
昨日の今日である。廃人とまでは行かないが、ジークフリートはすっかり見る影もない。
「添い寝しようか?」
返事を聞く暇もなく、靴を脱いでいた零はジークフリートの腕によってベッドに倒された。結局、昨日の夜は添い寝したものの、ジークフリートは一睡もしていない。
「もう、白鳥の湖のヴァイオリンのソロを弾ける気がしないんだ。」
頬を撫でられながらそう告げられ、零はきょとんとジークフリートの瞳を見返す。鬱々とするジークフリートの顔は、どこか儚く、いつもとはまた別の魅力があった。
「折角もう少しで完成しそうだったのに……、あんな奴のせいで滅茶苦茶だ。」
いつもより感情的な悔しさが滲み出ていた。鼻が詰まって、声が上ずっている。
「ジーク……。」
彼は確かに軍人であった。ユンカーの家に生まれ、武人として実に多くの功績を、プロイセン国王フリードリヒ二世の下で残した。しかし、それは彼の公的な面であって、私的な面ではそれ以上に芸術家であった。彼のヴァイオリンはフリードリヒ二世のお気に入りであったし、彼自身のヴァイオリニスト人生に、戦場で賭けるのと同じくらいに命を賭けていた。
「悔しいんだ。でも……あいつの依頼で始めたあのソロを、今また続ける気に全然なれない。なれないんだ……。」
ぐずぐずと、ジークフリートは鼻をすすりながら零の細い肩を抱き寄せた。まるで飼い主の気持ちを一方的に聞く猫の気分である。
「……俺は、ジークのヴァイオリンソロ、聞きたいな。」
「……そう、か。」
胸に埋まっていた顔を上げて、零は猫のような表情で笑ってみせる。
「でも、一番大切なのはジークがどうしたいか、だから。」
零の表情が愛おしかったのか、ジークフリートは何度かその頭を撫でた。艶やかな黒髪は、彼の手のひらによく馴染む。
「……指揮者は、新しく選ばれるだろうけど。……どう、なるんだろうな。」
分からない。その言葉は、零は紡がなかった。
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