Verse 2-14
分家達は去っていった。士官学校には再び平和が訪れたが、ヨハンの心は荒んでいる。目的地まで人にぶつかりながら大股で歩いて行くと、ジークフリートが木の幹に寄りかかって立っていた。ヨハンの影に気付いて、ジークフリートは視線だけをそちらにやる。
「なんだ。」
ヨハンはもう慣れたその日常に対してそう問いかけた。
「今日でこれも最後にしよう。……お前の前世の事を話した。」
体の力が抜けていくのがヨハンには感じられる。ジークフリートの顔を睨めつけて、吐き捨てるように言った。
「僕の過去を……話したのか? 誰に?」
ジークフリートの顔が、みるみるうちに冷たいものへと変わっていく。友人の弟を労わる視線ではなく、まるで出来の悪い人間を蔑むような視線であった。声は出さずに口元だけで、ジークフリートはヨハンに伝えた。ヨハンは確信する。そしてジークフリートの胸倉を掴んで揺すった。
「嘘、だろ。ジーク……嘘なんだろう? 嘘だと言ってくれ。なんで言ったんだ、あろう事かレイに! どうして僕にも兄さんにも相談しなかったんだ。答えろジーク! 返答によってはここでお前を殴り殺す!」
しかしジークフリートの表情は変わる事なく、短くなったシガレットを地面に捨てる。
「彼は勇気を持って僕に情報の対価を払った。僕はそれに答えただけだ。」
愕然としたヨハンは、震える手をジークフリートから手を離す。
「対価って……対価ってなんだ。レイとお前、いつ仲良くなったんだよ! 昨日のもそうだ!!」
それだけ叫んで、ヨハンはその場から駆け出した。
それ以来、ヨハンはレイを避けるようになった。ジャンがいる場所でなければ、レイと会おうとはしなかった。三人の中でパイプの役割はジャンにすっかり移っていた。そして、ジャンは全くそれに気付かずにいたのである。
* * *
「レイ、休暇にどこか行ったりしないのかい?」
前期の試験期間を終えて、準備室を訪れていたレイは父親にそう問われた。毎年、毎休暇いつもバスカヴィルの元に帰ってくる息子を、彼は少し心配したようである。
「その……冬の一件もあるだろう? 少し、距離を置かないかい?」
ずっと父子ともにべったりであった中、あのような事を仕出かしてしまった事にバスカヴィルは少々悩んでいるようであった。レイはティーカップを机に置いて、小さく呟く。
「まぁ……考えてはみる。」
レイも少々、家に帰る事に関して鬱々としていた頃であった。
夏の休暇の半分を地中海気候の下で過ごす、と豪語していたジャンの部屋を訪れると、そこにはフィリップだけでなくヨハンも訪れていた。
「えっ一緒に休暇を過ごしたいって? レイもイタリア地域行って俺と史跡回ろう! あと俺が列聖された場所とか!!」
「お前は後者が見てぇだけだろ……。」
半眼になりながらトランクに下着を詰めていたフィリップは、一息とばかりにベッドへ突っ伏した。
「そんな事ない……俺はフィレンツェとか行きたいなー、レイはどう?」
話を振られてレイは、とりあえずローマ、と言おうとしたところをヨハンに遮られる。
「僕はレイと行くのは反対だ。」
「なんでだよー、久し振りに幼馴染三人水入らずで旅行しようよ?」
また黙り込んで、ヨハンは紅茶を飲み干して続けた。
「絶対に嫌だ、レイと行くなんてまっさら御免だ。」
レイは口をへの字に曲げる。突き刺すような幼馴染の視線に、一度目を伏せた。前世の話をジークフリートから聞いた後で、彼と笑いながらイタリアを旅行する事など無理である。
「……分かった。ごめんジャン、また今度行こう。」
シャツを取り落としたジャンを一瞥して、レイは寮室から去った。
「ヨハン!」
咎めるような声とともに、ジャンはレイの背中を追う。追い越して彼に向き直り、ジャンは申し訳なさそうに言った。
「ごめんな、レイ……。」
「ジャンはなにも悪くない。また機会があったら、一緒にどこか行こうな。」
前向きなレイの言葉に、ジャンは朗らかに笑ってみせた。
何度も行った道を無意識に歩いて行って、レイが辿り着いたのは見慣れたドアであった。きっかり五回、ノックをすると金髪碧眼の青年がやってくる。
「なんだ、どうしたレイ。」
少し驚いているようであった。まだ陽の高い時間にレイがこの部屋に来るのは、この日が初めてである。
「お前、休暇はどこで過ごすんだ?」
士官生の中で最も有名であったこの二人の仲の悪さは、分家の事件から一転していた。レイがジークフリートの部屋を訪れている事で、バジリスク寮の士官生達はその様子を見にワラワラとやってきている。ジークフリートは辺りを不機嫌そうに眺めて、レイを部屋に招き入れた。
「僕は休暇はいつも別荘で過ごす。それで? お前の用件の主はそれじゃないんだろ?」
いつも綺麗に整頓されている机の上は荷造りのお陰で少々乱雑である。レイは少し迷ったような視線を浮かべた。
「実は、父さんに休暇はどこか別の所で過ごしたらいいんじゃないか、と言われて……その、人付き合い的意味合いで。」
荷造りをする手をいつの間にか止めて、ジークフリートは机の上のものを一掃してトレーを置いた。いつものようにダージリンが注がれているティーカップを受け取り、レイは礼を述べる。
「そうだな……別荘には僕と使用人しかいない。いつもは狩りをして……料理もだ。ヴァイオリンを弾いたり本を読んだりして過ごす。都会の喧騒を忘れて、ゆっくりと過ごすんだが……退屈しないなら来るか?」
レイは曖昧に頷いた。
* * *
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