Verse 1-2
皇族に代々受け継がれる力があった。薄暮の瞳、七つの大罪にまつわると言われているその力を、彼らは一人一人持っている。フランシスはロビンから受け取った紙切れを握り潰しながら、大股で謁見の間まで急いだ。廊下ですれ違う神官達の一礼には目もくれず、重い豪勢な観音扉を自ら押し開ける。一目で分かるアメジストのマント、その金の縁。フランシスはそれを視界に入れるだけで不機嫌な顔をした。
「そこからの視界はどうだレイモンド。」
本来フランシスが座るはずの玉座に不遜に腰掛けるマントの男は、その口元を歪めて立ち上がった。
「確かにいいが、私には高すぎるな。」
声高らかにそう言ったレイモンドは、すぐさま椅子から立ち上がり階段を降り始めた。目深に被ったそのフードから見えるのは鼻先から顎までである。古代風の白い服もマントの合わせからちらちらと見えるだけで、非常に胡散臭い雰囲気を見る者に与えた。
「分家如きがこの私に何の用だ?」
分家とは、大昔に皇族から分離した家とそこに属する者を指す。その理由を知る為に歴史を遡るのは現在では歴史学者くらいであるが、分家の人間はその異様な出で立ちと法を逸脱した行為から、帝國の人々から最も忌み嫌われていた。勿論、皇帝も分家を忌み嫌う者の内の一人である。
「なに、難しい事ではない。お前があの一件から禁じた薄暮の瞳を、是非ともお前の息子には解放して貰いたいだけだ。」
フランシスは顎を突き出す。よく日に焼けた腕が差し出した一枚の紙切れを受け取り、レイモンドに背を向ける。
「それで、お前達は何を得るんだ?」
分家当主は笑みを深めるだけでなにも答えない。無言の時が謁見の間に流れた。フランシスはゆっくりと紙切れを握り潰すと、それを後ろに放るや否や腰に下げていた儀礼用のサーベルを引き抜いて、空もろとも紙を切る。首筋に一気に迫った白刃を、しかしレイモンドは避けようとしなかった。
「お前に答える義理はない。」
つい、と刃に指をかけて、レイモンドはゆっくりとサーベルを下げさせる。それを持った腕をだらしなく下ろすフランシスの横を、レイモンドは音もなくすり抜けていった。
「お前がやらないなら、私がやろう。」
フランシスの後ろで、扉が音を立ててゆっくりと閉まっていく。謁見の間は、冷えた沈黙とフランシスを取り残したまま夕暮れを迎えた。
* * *
バスカヴィルはかつて皇太子であった。皇族の長男として、異母兄弟とはいえ唯一の弟フランシスの兄として、優秀な教育係に恵まれ立派に育った皇太子であった。両親から一心に愛情を注がれ、帝國史上最も民衆から待望された皇太子と言っても過言はなかったかもしれない。彼には婚約者もいた。当時貴族の中で最も可憐だと持て囃された公爵息女、マリアである。彼にとってはなにもかも万事上手く進んでいた。弟を、悪魔が襲わなければ。
暗雲立ち込める空が一瞬光ると、怒声のような雷鳴が地に轟いた。馬車の窓に打ち付ける大粒の雨を、バスカヴィルは無表情で見つめている。微笑めばどんな絶世の美女も絆されるその顔は今、氷のように冷たかった。馬車は彼の屋敷の前で止まる。屋敷の使用人が、タオルを持って玄関口から駆けてきた。
「お帰りなさいませ閣下。酷い土砂降りで——」
「先にこの子を拭きなさい。私は部屋でいい。」
馬車から降りたバスカヴィルは、全身を包む黒いマントの中にいる少年を使用人に渡した。黒い髪と陰鬱な瞳、見るからに暗い雰囲気を漂わせるその少年に、使用人は一瞬たじろいだ。
「分かりました。しかし閣下もそのまま衣装室まで歩いて行ってはお風邪を召されます。広間の暖炉の前で温まっては……閣下?」
一度馬車に戻ったバスカヴィルを、使用人は訝しげに呼び止めた。やがてバスカヴィルが馬車から出てきた時には、その腕にすっかりとやつれ果てた女性が抱かれていた。だれもが知っている艶のあった黒い髪は見る影もなく、瞼は泣き腫らして赤くなっていた。
「タオルは寝室へ、暖炉にも薪をくべておきなさい。」
使用人の顔は蒼白であった。口を金魚のように開閉し、目は女性の顔一点に注がれている。
「か、か、閣下、そのお方は……!」
バスカヴィルはなにも答えなかった。すっかり昏睡状態に入っているマリアを抱いたまま、その横をすり抜ける。地面に雨粒が叩きつけられる音を聞きながら、使用人は唖然としたままその姿を見送った。
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