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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。 』(RoGD Ch.4)

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Verse 2-16

 猫じゃらしを片手にのんびりと悠樹邸の広い庭園を眺めていた。身動き一つしないおもちゃに、黒猫が不満げにくしゃみをする。


「あー……。」


 見渡す限り一面の緑、緑、そして、緑。これが終われば、一面の黄色と赤。更にそれが終わると、一際美しい銀世界がやってくる。フィリップ二世は縁側で胡座をかいたまま大きく欠伸をする。隣の文珍の下にある資料がぴらぴらと暑い風に音を立てた。


「つまんねぇ。」


 悠樹一家と理恵が軽井沢に行ってから屋敷は随分と静かになった。午前中、博人と勇斗は一緒にショッピングに行っているらしく、フィリップ二世は猫と一匹一人きりで悠樹邸の留守番を任されていた。颯爽と移りゆく季節に想いを馳せたのも束の間、早速飽きた。風にたゆたう猫じゃらしに暴れる猫の相手もせず、うつらうつらと船を漕ぎ始める。


(もう少しこう、捻りのある日常を――)


 首がガクンと落ちると共に、古めかしい玄関ブザーの音が鳴った。フィリップ二世は慌てて猫じゃらしを放り出して立ち上がる。猫が仰け反って倒れた。


「今出ます!」


 らしくもない丁寧な口調で、あわあわと零の私室を突き抜けて玄関へ急ぐ。


「どちらさ……お前かよ。」


「僕で悪いか。」


 夏の暑さの一切を吹き飛ばすような涼しげな顔があった。ジークフリートは引き戸にもたれかかると、フィリップ二世の文句の揚げ足を取る。


「昼寝の邪魔しやがって。今は俺以外だれもいねぇぞ。」


「昼寝? 朝寝の間違いじゃないのか。まだ十一時だぞ。」


 フィリップ二世が体をどける間もなく、ジークフリートはズカズカと玄関へ踏み込んできた。


「で、用事は?」


「あぁ、悠樹さんが僕に受け取ってくるように言ってたのを忘れてたんだ。」


 夏であるにも関わらず律儀に履いていた革靴を脱いで上がると、ジークフリートは首元をパタパタと手で仰ぐ。


「受け取ってくるようにって何を? てか、受け取らずに来んでも、零がそっち行く時に持っていってもらやいいじゃねぇかよ。」


「そうしたいところは山々なんだが、零は軽井沢から直でこっちに来る予定になったから僕が直々に取りにきた。」


 不思議そうに障子から顔を覗かせる黒猫を放って、ジークフリートが階段を上がる背中についていく。


「書斎にあるって話なんだが。」


「はあ? 悠樹の野郎、居間にでも置いてけよ……。ほら書斎はそこだ、扉三つ目。」


 ジークフリートが通り過ぎようとした扉の真鍮のドアノブを回して、フィリップ二世は清張の書斎に案内した。


「あぁ、あれだ。」


 入るや否や、ジークフリートは机の上を指差した。クリーム色の封筒には、白銀の封蝋が押されている。見覚えのあるマークだった。


「……まさか神官庁から?」


「あぁ。なんでも復興してる際に僕が使ってたカメラとそのフィルムが出てきたらしい。現物を見て確認して欲しいからこれを持って神官庁に来いだと。」


 宛名に自分の名前が書かれているのを確認すると、ジークフリートは面倒臭そうに顔をしかめた。


「ところでそんなに暇なのか? [使徒]の調査はどうしたんだ。」


「調査はどうっつってもなあ、咲口は療養で軽井沢、島田も運転で軽井沢。博人と勇斗はお出かけときた。」


 置いてきぼりか、とジークフリートに鼻で笑われて、フィリップ二世の顔が露骨に機嫌の悪さを示す。


「それで? お出かけの二人は何時帰ってくるんだ?」


「午前中出かけるっつってたが昼食って帰ってくるだとよ。夕食の当番は博人だから今日は真面目に一日暇。」


 肩を竦めるフィリップ二世を青藍色の竜瞳が見下げた。


「ん、どうした? 何か俺に用事でもあんのか?」


「いや……、この手紙の話を聞いて久し振りに帝國での事を思い出して、少し引っかかる事があったんだ。」


 白銀の封蝋に視線を落とすジークフリートの顔を見上げて、フィリップ二世は顎に手を当てる。


「というと?」


「ルプレヒト。……あいつあそこで何やってたんだ?」


「なにって……、お前。レイがいたからいたんだろ?」


 それだ、とジークフリートは封筒の角でフィリップ二世の眉間を指した。


「レイの存在を知ってから帝國に行ったなら、元帥……バスカヴィルの隣にいるわけがない。」


 ジークフリートから視線をそらし、フィリップ二世は天井に泳がせた。それはそうだ、レイに接触するなら彼の同期になるのが最も手っ取り早い。


「じゃあリチャードもといヨハンだ。」


「それもおかしい。第一、リチャードが第十セフィラに来ている時点で、ルプレヒトはリチャードとの約束、彼を安全な場所で零が出てくるまで匿う約束をほぼ破ってるだろ。」


 ああ言えばこう言うとフィリップ二世は眉間に皺を寄せた。取り敢えず長話になりそうだから、とジークフリートを居間に案内する。


「じゃあ……え、何? お前は何だと思ってるの?」


「それが分からなくて少し最近悩んでたんだ。」


 卓袱台の上に置いてあった魔法瓶から急須にお湯を注ぐ。玄米茶の香ばしい香りがあたりに広がった。


「……でもまあ言われてみれば確かに、あいつが外に……地獄から出てくる理由がないな。」


「ヨハンが第十セフィラにいたのは、ルプレヒトが外に出てきたからだろ。考える順序が逆なんだ、ルプレヒトが先で、ルプレヒトが外に出たから近くに置いておく為にヨハンを連れて来たんだ。」


 急須から湯呑みに中身を注いで、フィリップ二世は納得したようにその焦げ茶色の液体を見た。よく色が出ている。


「それ原因お前じゃねぇの?」


 玄米茶が注がれた湯呑みの一つを引き寄せ、ジークフリートは卓袱台に肘をついた。


「ならもっと後に来るはずだ。」


「それもそうだ。」


 頷きながら玄米茶を喉に流し込む。そういえば昼食の事を考えていなかった。


「なあ、昼飯外に食べに行かね?」


 最近いいレストランを見つけた、とフィリップ二世はジークフリートとの話題を打ち切って外に誘い出した。外に出るなと甘える猫は玄関先に置いて、フィリップ二世はその道中、ジークフリートの話に関して色々と考えて無口になった。


「鮭のムニエルのお客様。」


「は~い。」


 フィリップ二世の目の前に置かれた鮭のムニエルには、たっぷりとタルタルソースがかかっている。


「牛ほほ肉の赤ワイン煮のお客様。」


「はい。」


 牛の肉汁とウスターソースの甘い香りを漂わせながら、ジークフリートの目の前にも昼食が置かれた。


「さっきの話なんだけどよ。」


「あぁ。」


 ナイフとフォークを持った二人は、料理に向き合いつつ会話を再開した。


「お前はつまりナチスかバスカヴィルが関係してって思ってる?」


「……そうか、バスカヴィルは少し失念してたな。」


 ふーん、とフィリップ二世は脂が乗った鮭を頬張る。


「僕はとてもじゃないがルプレヒトがナチスに興味があるとは思ってないんだ。少なくとも、歴史の授業や僕が体感した範囲での話だが。だが、もしルプレヒトがなにか他に、ナチスに縁があるとしたら。」


「まあ確かにな。ナチスに関係ある、は直接的過ぎるかもしれんが妥当だ。俺がバスカヴィルって言ったのは、ナチスとバスカヴィルが若干でも関係してるからで。」


 肉汁を舌で感じながら、ジークフリートは頷いた。ナイフを入れるたびに、じわり、と赤い液体が陶磁器の皿に広がる。


「ヒムラーが持ってたバスカヴィルの魔術本の事だな?」


「でもって[ルシファー]が召喚された話は地獄じゃ有名だったらしいじゃねぇか。」


 フォークを置いてお冷で舌を休ませる。ジークフリートは天井にぶら下がる白熱電球の穏やかな橙を眺めた。


「だがルプレヒトがそれに興味を持つかっていうとな……。」


「まあ言いたいこた分かる。あの人はリアリストだ。魔術とか興味なしだろ。」


 ナイフを上下に揺らしながら、ジークフリートはセットでついてきたシーザーサラダに目がけてフォークを動かす。


「というとやっぱり……。」


「正直、可能性がゼロとは言い難い。今回の咲口の件も思い出すとな。」


 鮭の残りを頬張って、フィリップ二世は切り身から溢れたタルタルソースを付け合わせに乗せていく。


「大川周明……東條英機のハゲ頭を叩いた件で色々と有名だな。悠樹への報告書で書くとは言っていた。療養後ならゴールデンウィークとやらが明けた後だろ?」


「待ってくれ、旧日本軍幹部が関わってるからといってナチが関わってると断言するのはまだ早いだろ。」


 セロリも含めて残った付け合わせをぺろりと平らげると、フィリップ二世は近くを通ったウェイトレスに食後の紅茶を頼んだ。


「調べてなんぼだ。」


「出てくると思うか?」


 皿が下げられるのには目もくれずに、フィリップ二世は肩を竦めた。ナチスの事ならレジスタンス支援の時に調べ尽くした。結果、今回の話題で言うなら白である事は、フィリップ二世にとって火を見るよりも明らかだ。


「……逆算してみるか。」


「あ? ……成程、おっさんの近辺から探ってみるか。」


 ジークフリートも付け合わせのジャーマンポテトを平らげ、食後のデザートと紅茶を申し付けた。下げられる陶磁器の皿に間を遮られながら、フィリップ二世は話を続ける。


「おっさんの近辺っていうと……プロイセンと、もう少し足を伸ばしてロシア帝国周り、あとは零の故郷の江戸とかか?」


「プロイセンが関わったというならオーストリアやフランスもだ。イギリスも入れないとな……丁度アメリカの独立戦争もぶつかってるな。まあ、その中で特筆すべきなら、あいつはプロイセン人唯一の生き残りなんて言われてたらしいが。」


 目の前に置かれたダージリンティーに角砂糖を沈めているとフィリップ二世は実に驚いたようにアイスブルーの瞳を煌めかせた。


「プロイセン人の生き残り? それってつまり……ドイツ騎士団が絶滅させたらしいとかいうあの民族のプロイセンか?」


「あぁ、よく知られてるプロイセン王国は彼らの民族の名をとって名付けられたという話もある。その元になってるプロイセンだ。」


 それは大層な血筋だ、とフィリップ二世は目を丸くした。言われていた、というからには確証はないのだろう。ルプレヒトも気にするような男ではなかった。


「……あんま核心的じゃないな。」


 ジークフリートの目の前に置かれた柑橘系のミニフルーツパフェに目を細めてフィリップ二世はぼやく。


「そうだな、あまり生前には関係ないのかもしれない……。すると、そうだな。こっちに来てからのルプレヒトが一番関わってる事柄といえばあれだろ。」


「エグリゴリ事件。」


 それだ、とばかりに細長いパフェスプーンでフィリップ二世を指す。


「そうだな、失楽園事件が解決した今、唯一解決してない堕天事件だ。……だがあの話はもう俺達[シシャ]の間だけの話で、[人間]には関係ないだろ。」


「あぁ、[ネフィリム]の事なら……今は堕天した[メタトロン]が掃討した筈だ。」


 宝石のように煌めくルビーグレープフルーツを頬張り、ジークフリートはレモンシャーベットの酸っぱさに舌を縮こませた。


「そうか……あの事件の唯一の問題はそこか。」


 もう溶けてなくなったティーカップの底の角砂糖を相変わらずスプーンでつつきながら、フィリップ二世は明後日の方向を見た。ジークフリートの眉が僅かに寄る。


「[メタトロン]ってガウェインだろ。つまりアーサーの直属の配下だった。アーサーが世界を潰す為にあの頃から動いてたんだとしたら――」


「[ネフィリム]の掃討に関しても何らかの仕掛けがあると?」


 フィリップ二世はティーカップを傾けて頷いた。


「そう考えてもおかしくないってことだ。そしておっさんは……そのなんらかの仕掛けを知ってた、とかな。」


 * * *

毎日夜0時に次話更新です。

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