Verse 2-13
居間の卓袱台に書類の束を放り投げて、フィリップ二世は真面目な顔で湯呑みを持ち上げた。
「えっと、それでで――」
「咲口は元気なのか?」
紅茶を持っていく継子の後を興味津々で追う二人に取り残されて、史興は少し萎縮したように口火を切った。
「あ、はい。二週間もせずに完治するそうで。」
「そりゃあ良かった。さて、あいつらも戻って来た事だしいっちょ会議するか。」
継子に怒られたのか、グラスを持った博人と勇斗はすごすごと肩を落として戻ってきた。しかし、フィリップ二世の姿を見るや否や、二人は目を輝かせて机にかじりついて来た。
「フィリップさん!」
「帝國の現状について教えて下さい!」
書類の上半分を手前に向けていたフィリップ二世は、会議を早々に中断されて半眼になった。アイスブルーの瞳の鋭い輝きが失せて曇る。
「あのなぁ……。」
「だって気になるじゃんすか~!」
対して目を爛々と輝かせてまるで子犬のように机の上に乗り出した二人を見て、フィリップ二世はちらりと史興に視線をやった。
「どうぞ、えっと……お構いなく。」
手を二人の方に差し出して、史興は頭を少しだけ下げた。今から無理矢理会議に入っても、後で再三、二人に同じ事を繰り返さなければいけないだけである。
「はいよ。……んで? どっから話せばいいんだ。」
「帝國が復興したって聞いたんすけど、修復出来るものなんですか。」
いつの間にか空っぽになっていた湯呑みの中身を覗いて、フィリップ二世は急須の中にある淹れたてのこんぶ茶を注いだ。
「修復って、帝國の[核]を修復すりゃ大概どうにかなる。あとはデータでバックアップが逐一取られてるからそれをそこにぶち込めばいいんだよ。」
(そんな適当な……。)
拍子抜けとばかりに肩を落として、博人はため息を吐いた。
「修復といっても、それだけするなら簡単だ。崩壊と滅亡は違う。今回は崩壊だったから楽だっただけで、あれがもし滅亡だったら話は変わってただろうな。」
「と、言いますと?」
フィリップ二世は初めて飲むこんぶ茶に心の中で舌鼓を打った。
「崩壊っていうのは壊れるだけだ。破片はそこらへんに散ってる。いいか、この湯呑みが落ちたらそこらへんに飛び散ってくのが崩壊……もしくは破壊だ。」
対して、とフィリップ二世はお盆の上に置かれた久志用の湯呑みを人差し指で叩いた。
「これが形もなくなる、それが滅亡だ。なくなるんだよ、概念、もしくは物体そのものが。すると直しようがねぇ。崩壊したんなら破片をそこらじゅうから集めて直せばいいんだ。だがないもんは直せねえ。全部ゼロから始める事になる。……っつーのが最近の研究で漸く分かった事だ。」
「な、成程……。」
こんぶ茶の香りに誘われて、勇斗も手をわきわきとさせて急須の取っ手を求めた。
「まあ今回の崩壊は前代未聞な上に大規模だったおかげで復興までブランクがあった。俺達[シシャ]がもうROZENに戻る事もない。だから現在まで歴史を繋げなきゃいけねえ。零が、俺や島田達が送られたあのレプリカの帝國をサンプルにして、空白部分の歴史データを作って埋め込んだんだ。さぞや大変だったろうよ。」
博人は頭上を指した。ちょうど真上が、清張と薙のいる洋室である。
「じゃああの人はその監督役ということですか?」
「あぁ、零の姉妹な。」
そこで初めて、史興が話を聞いていた二人と揃って、へぇ、と声を上げた。
「大佐の娘さんだったんですか……。」
「第九セフィラの管理人[ガブリエル]らしい。清張がさして驚かないっつーことは、まあ手紙のやり取りでもしてたんだろうな……。」
こんぶ茶を、ぐい、と飲み干すと、フィリップ二世は目の前に放置されていた書類を二度ほど平手で叩いた。
「よし、与太話はここまでだ。本題はこっちだろ?」
束を持ち上げてふにゃふにゃとくねらせると、三人の背筋が伸びる。
「[使徒]候補、衣刀とマルシェ。この二人が現在銀承教にいると確認がされているわけだ。島田達の持ってきた資料に寄れば、部下の一人が入手した名簿に名前が載っていた。さらに島田も衣刀らしき姿を目視している。」
「衣刀が帰った方向を後日確認したんですが、捜査令状など持っていないので一軒家の表札を見るに留めました。結果衣刀という苗字は見当たりませんでしたね。」
やはり、とばかりに博人と勇斗は仰け反ったり肘をついたりして顔の緊張を緩ませる。
「実は戸籍を調べたところ、あいつは相変わらず神戸の出身で、大学からこっちに来たみたいです。現在は上智大学法学部に在籍しているらしいんですが、俺も久志もキャンパスに赴いたもののやはり見つからなくてですね……。」
「上智の在学生と留学生の名前は? 名簿ねぇのか?」
まとめられた書類をめくってみたが、大学在籍者一覧というような分厚さはなかった。
「流石に請求してませんよ。あの新興宗教が国民に有害な組織であると判断されない限りは隠密に捜査するしかないですから。……まあ咲口先輩のあの事件から少し動くといいんですが。まだ表沙汰に動くのは難しいかもしれませんね。」
「警察ってな、めんどくせえな。」
眉を下げて、そうですね、と史興は額を抱える。
「今のところ一番楽に二人を見つける方法は二つ……。一つは上智の名簿をもらう、もう一つは銀承教の名簿を手に入れる、ですか。」
「そういう事だ。」
史興の肯定に、ふむふむ、と頷きながら、博人は自分が言った事をスラスラとキャンパスノートに書き出した。
「勿論、上智より銀承教の名簿もらったほうが早いと思うがな。」
「俺もそう思っすね。」
畳の上で寝っ転がっていた竹伊は、昨日切った爪の様子を見ながら、夕暮れの生ぬるい風を感じた。
「そういえば、銀承教の幹部っていうのはどういう人が多いんすか?」
「流石にそこまで調べては……。だが新興宗教の幹部というのはやはり富裕層が多そうな気もするが。」
沈黙が流れる。台所から、継子が夕食の仕込みを始める音が聞こえてきた。
「あの行列に身なりのきったねぇ奴はいなかったしな。」
背後から数名の視線を感じながら、清張は一通の書類を手にしながら薙を見送った。郵便受けに入っていた夕刊と何通かの手紙を取り出して、代わる代わる宛先を見ながら屋内に戻った。
(この手紙は……。)
蜘蛛の子を散らすようにいなくなった野次馬達には見向きもせず、清張は下駄を脱いで上がると居間へ歩いていった。卓袱台の中央に置かれた四角い盆に零や継子宛の手紙を放ると、自らに宛てられたものを見ながら自身の書斎へ向かう。裏を返せば、成程、道理で見た事のある封筒だとため息を吐いた。
(少し忙しくなりそうだな。)
木製のオープナーで封筒の頭を広げて、清張は机に寄りかかりながら便箋を取り出した。
『悠樹清張君。本来ならば時節の挨拶を入れるのだが、まあ私的な手紙なのでそういう行儀はよそうじゃないか。最近はご機嫌如何かね。仕事が多忙そうで、あまり首相官邸に顔を出せないようだとこの間島田君から聞いてね。まあ大方、件の新興宗教の事だろう。あまり無理せずに頑張ってくれ給え。さて、今回手紙を寄越したのは、そんな悠樹君に是非羽根を伸ばしてもらいたいと思って、別荘がある軽井沢で、今度の夏、療養と言ってはなんだが、少しリラックスしてみてはどうかと。勿論、君の奥方の継子さんや、ご子息の零君も一緒にね。なに、ゴルフなんかしなくても観光するといい。では、良い返事を期待しているよ。』
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