Verse 2-1
※本節は現在、DATABASEの登録データが不足しており、大部分を脚色で補っております。ご了承ください。
「ジークフリート、そっちを頼む!」
同僚の声を聞いて、ジークフリートは純白のマントをはためかせながら山岳の雪を蹴った。いかなる動植物ともつかぬ、いや辛うじて手足らしき四本が出ているぶよぶよとしたゴーレムの攻撃をやすやすとよけ、慣れた肉体強化の後にその五メートルはある頭上へ飛び上がった。
「のろまが!」
ゴーレムは握り潰そうとしたようで、ジークフリートがつい数秒前までいた場所に握り拳を作ったが、その時は既にジークフリートの剣はゴーレムの頭に食い込んでいた。上から下まで、一ミリのズレもなく一直線に両断されたゴーレムは、叫び声も上げられずに地に倒れ伏した。
「完了した。」
「こちらもだ。」
ゴーレムは黒い滓となり、山岳地帯の強い風に吹き飛ばされていった。隣にいた内巻きのボブカットの青年は、ジークフリートの声に答える。
「そちらはどうだ、ローラン。」
「無論、終わりましたよハムレット。さあ、もうすぐそこです。」
グリゴーリー・イェフィモヴィチ・ラスプーチンと逸叡が所有していた指環を元にした調査が終わり、今第十セフィラの世界各地に同様の指環が散らばっている事が判明した。その指環の真意を探るため、一部のシシャはその指環の収集と輸送に携わっていた。その目的地である小さな山小屋が、三人の心に漸く安堵の息を吐かせた。
* * *
もう数時間を歩き続け、三人は山小屋に決まったリズムのノックを打ち鳴らした。内側から鍵が開けられ、金髪碧眼の男が一人顔を出す。
「お疲れ様ー!」
「あぁ、疲れた。ジャン、ココアをくれ。」
その場にいるだれもが見知った顔であった。ジークフリートの注文に、ジャンはうんうんと頷きながら三人を暖かな山小屋の中へ通した。
「ご苦労。道中は大変だったらしいな。」
日本からスイスの山中まで飛行機と徒歩で数日間。山の道中でゴーレムに送らせた手紙を読んでいたのか、リチャード一世は足音を聞いて漸く顔を上げた。
「やはり隠密行動は難しいですね。チャーター機を借り受けられないのは至極骨が折れます。」
「仕方があるまい、政治のどさくさに紛れられるならまだしも、昨今は特にスイスとの目立った国交は日本でなかったからな。それより、例の物は?」
茶色の革手袋をはめていたリチャードの手に、ハムレットは皮袋を手渡した。中には、久志が握っていた粉々の指環が入っている。
「ご苦労。ジークフリート、続けて任務を頼んでも構わないか?」
「あぁ、次はなんだ?」
マシュマロ入りのココアを受け取ってローランがリチャード一世に送った手紙を眺めていたジークフリートは顔を上げる。皮袋を手の中で玩びながら、書類を一枚ジークフリートに渡す。
「日本で再び[使徒]の存在が見受けられた。零達と共に調査してくれるか。開始は四月、三月の末日にドイツから発て。」
「了解した。他に同行者は?」
ぎしぎしと、窓際にあった木造の階段が音を立てて軋んだ。ジークフリートは書類から目を逸らして上を見る。
「よお。」
実に不機嫌なフィリップ二世が、手すりを撫でながらジークフリートにそう挨拶を交わした。
* * *
リチャード一世が事前に取っていた、ドイツのフランクフルト空港から日本の成田空港への直行便のチケットを携え、二人は小さなキャリーを転がしていた。
「零とはあれ以来――」
「話してねぇよ。」
搭乗口の待合席に座り、フィリップ二世はもう一度チケットを確かめた。ファーストクラスの文字列に口笛を吹く。ジークフリートは座席に背中を預け、一つ大きく深呼吸をした。
「しっかし、インターナショナルに入学とはなぁ。」
チケットをぺこぺこと揺らしながら、フィリップ二世は肘掛に肘をついた。ジークフリートは、少し行ってくる、と目の前にあったカフェへショコラータを買いにいく。
(新興宗教、か。)
ほかほかと湯気を立てていく紙コップを握るジークフリートは、なにやらもう一つ紙コップを持ってフィリップ二世の下に戻って来た。
「ほら、オレンジのだ。」
「オレンジカモミールティーか?」
フィリップ二世は感謝しつつ、ジークフリートの手からどことなく辛さの滲む甘酸っぱい香りを受け取った。どうやら蜂蜜も少量混ざっているようで、フィリップ二世はコップの上で鼻をひくつかせた。
「学生の中で爆発的な人気を誇る新興宗教、どう見る?」
「さあ、僕はそういうのとは無縁だったからな。だが、精神が気弱になっている時期程、そういうものに嵌まり込みやすいらしいな。」
とろりとしたチョコレートはいつの間にか上に膜を張って、ジークフリートの口に入るのを拒んだ。既に手の中にあった小さいスプーンで膜を破ると、ジークフリートはぶつくさ文句を言いながら掬って飲み始める。
「例えば?」
「例えば……思春期の盛りとか。」
* * *
それは実に清々しい、生暖かい風の吹く四月の事だった。庭の桜もさんざめく薄桃色の吹雪を降らし、池や川は一面の桜模様であった。
「零さーん!」
「ちょっと待って!」
庭での花見を終えた翌日。悠樹邸の前でわたわたとローファーを履いて、薄水色のブレザー姿の零は引き戸を開けた。
「行ってきまぁす!」
「行ってらっしゃい。」
挨拶と共に消えていく背中へ、継子からそう声をかけられる。扉脇にあるチャリンコを玄関前の庭園から出すと、既に博人と勇斗がそれぞれ買ってもらったママチャリを支えて立っていた。
「やっと来た!」
「入学早々遅刻とか目立つのやめて下さいね!」
サドルに跨って、三人は笑いながら通学路を走り始めた。住宅地を抜けてビジネスマンと学生の行き交う都心部に入ると、同じ制服を着た生徒達が同じ方向へ歩いていく。
(青春だなぁ。)
零とは無縁の言葉である。ぼんやりと、青春とはなにか、をこの間議論していた食卓を思い出す。
(程々にしないとな。)
いかに隠蔽工作で[人間]の肉体に変化しているとはいえ、零が[神]という存在である事に変わりはないのだ。[人間]に極度の入れ込みをする事は身を滅ぼしかねない。
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