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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。 』(RoGD Ch.4)

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Verse 1-10

 金の輪が一つ、男とも青年とも言えぬ顔と女性の顔の間に漂っていた。


「逸叡様。」


「なんやぁ。」


 上から降りかかってきた祝詞をあげる声が止むと、逸叡は伏せていた瞼を薄っすらと開ける。玉串に使われている榊の葉が黄金の輪から見受けられた。


「おどき下さいませ。」


「ええやろ、もう終わったんやろうし。」


 斎宮の厳かな装束から香る伽羅の香りに鼻腔をくすぐられながら、逸叡は女性の背中に垂れる墨汁のような髪の毛を梳いた。波うねるその髪はまるで波立つ夜の海原である。先の黒い着物の上に白い狩衣を被っただけの逸叡は、一度だけ大欠伸をした。


「葵のその顔やと、上手くは行かへんかったんやな。」


「先も申しました通り、やはり私だけでは力不足でしょう。」


 力なく玉串を置いて、葵は、疲労の滲み出る息を吐く。祝詞が消えた舞台は、耳に痛い程の静寂が通うだけだ。内側に向く黒い毛先を指先で弾きながら、逸叡は正座する葵の太腿の上で、ごろり、と葵の体がある方とは反対の方向へ寝返りを打った。視線の先には、ひび割れた鏡が写っている。


「その指環の力を貯める事も複製する事も、最早叶いますまい。あの鏡をまた作るのにも、骨が折れます故。」


「葵にそないな無理強いは出来へんなぁ。」


 胸を揺らしてけらけらと笑う逸叡に、静かな面持ちで佇んでいた葵も微笑んだ。香染色の髪の毛が、斎宮装束の色鮮やかな若草色の上で掠れる。


「……咲口はんらも、そろそろ来る頃やろうし歓迎せえへんと。式神は出来とるんやっけな。」


「奥の部屋にご用意があります。逸叡様……、くれぐれもお気を付けを。」


 よっこいしょ、と上半身をあげて、逸叡は鏡から首を巡らせた。小さく会釈をした葵の顎に骨ばった細い指を添えて、ゆるりと面を上げさせる。


「葵も無理したらあかんで。」


 笹色紅を差した唇を親指で撫で、逸叡は立ち上がった。


「ほんならまた後で。」


 ひらひらと手を振りながら、逸叡は愉快そうな軽い足取りで床を滑って去っていった。


 引き手金具の輪が鳴った所で、矢桐と歳三は顔を上げた。口笛を飄々と吹きながら、逸叡は[核]のあった部屋から姿を現す。


「いかがでしたか。」


 先刻に扉の向こうから聞こえた硝子の割れる音を案じて、矢桐は両膝をついたまま逸叡の方へ向き直る。


「鏡の修復は無理そうや。行くで。」


 は、と威勢のいい応答の後、左手側で矢桐が白鞘に入った刀を恭しく頭を下げて差し出した。


 * * *


「友を愛せよ。」


 白が囲む神殿のバルコニーにて一言、ソロモン王の言葉だった。


「何て?」


「友を愛せよ、と言ったのだ。」


 その日は、零の帰還パーティが細々と行われていた。パーティと言っても社交界でだれもが礼服やドレスを身にまとって行うような荘厳な物ではなく、身内だけを呼んだ飲み会のようなものであった。


「なに、今までの縁を大切にしろと言う話だ。友も増えたのだろう。」


 白銀のいかついゴブレットを頭に掲げ、ソロモンはにこりと零に微笑みかけた。ガラスの質素なゴブレットの中にある渋い紫色の液体を揺らしながら、零はため息をつく。


「友が増えたとは言うが、帝國の俺は俺じゃない。」


「つまり?」


 既に半分まで量を減らしていたワインを一気に飲み干すと、零はその薄紫色に染められたゴブレットに雪景色を透かす。


「リチャードやアルフレッド達はともかく、フィリップやジャンはこれから離れられてもおかしくないって話だ。」


 自分が友だと思っていても、相手が友だとは思っていないかもしれない。その前提を踏まえて、零は二人から距離を取ることにした。


「お前はそう思うのか。しかし、どんなに離れていても共に死地をくぐり抜けてきた仲だろう。」


「陛下にはそう見えるかもしれないけど。まあ二人と俺の仲が切れたって、あの二人はリチャードの配下だ。リチャードを通して色々相談すればいい。」


 よくよく日に焼けた腕に生える金のブレスレットをいじりながら、ソロモンは片眉を上げた。


「そうか、ではよくその身に覚えておけ。真の友とはいかなる時も愛し続けるものであり、苦難の時に生まれた兄弟である、とな。」


 * * *


 頭蓋にヒビが入るような殴打を食らい、背後からはぱらぱらと木屑の落ちる音がした。


「大丈夫か、零!」


 理恵とアルフレッドを護衛につけて史興達に先を急がせた。桜田門に入ってすぐの場所にいるのは、零とフィリップ二世の二人だけである。


「大、丈夫……だ。」


 念の為を思って清張と継子を悠樹邸に置いておいたのが一つの失策だったかもしれない。フィリップ二世は目を見張って零が吹き飛ばされるより前に立っていた場所を見る。


「私の手を煩わせて……。死に晒せ!」


 間一髪で斬撃による鎌鼬をよけ、零は呻きながら立ち上がる。堀に積まれた石が、ぼろぼろと水の中へ大きな破裂音と共に落ちていった。右手に握る刀を持ち直し、零は頭から流れかけた血を拭った。


「お前、血出てるじゃねぇか!」


「フィリップ、横だ!!」


 風圧を感じてフィリップ二世は横の木々から出てきた人影にナイフを放きつつ後退した。


「申し訳ありません、アーサー王陛下。」


「構わん、そいつの手を休めさえしなければ良い。それで、成程。私が感知出来なかったのはそう言うわけか零。そこまで身を削って潜伏するとは、感服だな。」


 口角を極限まで上げきった下卑た微笑みを浮かべながら、アーサー王はゆらりと零に歩み寄る。フィリップ二世は忙しそうに、現れた人影と零を交互に目視していた。


「ガウェイン卿、あんたいつの間に[堕天使]に身をやつしていたわけだな。」


「おっしゃる通りです、陛下。」


 静かに剣を構えられ、フィリップ二世もやれやれとばかりにナイフの剣先を相手に向けた。動かない月の光に刃が反射する。フィリップ二世の手を休めないとなれば、ガウェインの剣撃をかわすのは容易ではないだろう。


(多少は保ってくれよ、零。)


 しかしそれ以上に、血を流さない[シシャ]である零が、なぜあれほどまでに流血をし、かつ力を弱めているのかだけが気になった。本来なら、アーサーの攻撃を跳ね返しかわす程度は朝飯前の力量である筈だった。


「フィリップ、そっちに集中しろ!」


 血でぬめる手を払いながら、零は歩み寄って剣先を向けるアーサーに臨戦態勢を取る。片手で振り下ろされた剣を転げるようによけ、距離を取る。


「まるで獅子を前に逃げる手負いの兎だな。所望であれば、いやそうでなくとも嬲り殺しぐらいしてやろう。」


 剣先に僅かについた零の血を払いながら、アーサーは夜風にたなびく黒いマントを左手に絡みつけた。それだけの余裕が、今の彼にはあった。


「何故攻撃しない?……いや愚問か。その状態ならば、攻撃したところで私に刃を当てる事さえかなうまい。」


「分かってるなら手加減してくれよ……。」


 痛む頭をもたげながら、左胸に手を添える。本来[シシャ]はない筈の鼓動が、意識は失わまいと生暖かい血を送り続けている。攻撃をかわしながら頭の血にまで思考が回らず、右の眼球に赤い液体がにじり寄ってきた。


「手加減?だれがするか。」


 零の目に捉えきれない速さで目の前に立ちはだかり、アーサーは零の腹を一閃した。まともに食らって内臓にまで届きそうな切り口が浮かび上がる。煩わしそうにその脇腹を回し蹴りされて、零は松の木に叩きつけられた。意識が吹き飛ぶような痛みが背中に叩きつけられる。じくじくと熱い痛みが永遠と腹に植えついている。


(まずい!)


 背後の松の木が崩れる音を聞いて、フィリップ二世は振り返った。月夜に煌めくエクスカリバーが、零の前で高々と掲げられている。


「避けろ、零!」


 零の命と自らの負傷、天秤にかけたところで前者が勝ったのは言うまでもない。手を伸ばしても届かない、そのもどかしさを知りながらも、フィリップ二世はアーサーの背中に手を伸ばした。刹那。


「どけ。」


 視界を焼くような白い稲妻が、折れた松を電光石火の勢いで砕いた。ほんの瞬き一瞬、それが数秒にも思えるような麻痺を光は生み出す。同時に確かにフィリップ二世の耳に聞こえたのは、激しく金属がぶつかり、火花を散らす音だった。


「っ、お前は——」


「第二聖騎士ジークフリート・フォン・ヴェーラー。アヴィセルラの要請を受けて援護に参った。相手はお前だ、良いな?」


 記憶の焼きついたナチス親衛隊の黒い制服とは打って変わって、その身は青白い光沢を放つ白い装束に包まれていた。その胴体は孔雀青に煌めく龍鱗を纏っている。


(聖騎士?あぁ聖騎士な、はいはい……。)


 一瞬頭がこんがらがった。[聖騎士]はリチャードの配下にある階級、九人の[戦乙女]に選出された九人の男達の事である。フィリップ二世は振り返りざまにナイフを顔の位置に掲げる。ガウェインの剣の重みが腕にのしかかった。


「仕留め損ねたな、円卓の双璧。」


 そのまま腕を払ってガウェインを自らから引き離す。背後でとてつもない風圧が発した。ジークフリート・フォン・ヴェーラーが剣を薙いだのだ。


「ジーク、そっちは任せた!」


「言われなくとも!」


 安堵して地に倒れ伏しそうになった零を脇に抱え、ジークフリートは身を守るのと同じ龍鱗をなめして作られた剣の柄を、ぐるん、と回した。長めの刀身を支えきれるとは思えないほどの細く長い柄は、ジークフリートの白手袋をはめた手によく馴染んだ。


「さあ。全ての騎士が羨むその剣撃、この僕に見せてもらおうか!」


「小賢しい……[シシャ]になってたかが[人間]の単位で数十年、思い上がるなよ小僧!」


 地を蹴って脳天から存在を割ろうとしたところで、ジークフリートの振り上げた鋼にやすやすと阻まれた。到底[人間]の届かぬ程の腕力で振り上げられたロングソードは、アーサーの腕を鈍らせる。


「その剣、お前にしか鍛える事の出来なかったかの金属の!」


「だったら……どうする?」


 淡く青い光を放つ刃を振り下げて、ジークフリートは頭上に構えた。


「言っておくが、僕を倒すなら今の十倍……、いや百倍の腕力は必要だ。引くのが得策だと思うが、どうだ?」


「そいつを小脇に抱えながら私に勝てるとうそぶくとは大した度胸だ。が……まあいい、この世界も崩壊間近。私がここに永遠と構えていてもそれに巻き込まれるだけだ。そろそろお暇しよう。ガウェイン!」


 動けないようにフィリップ二世と鍔迫り合いを交わしていたガウェインは、飛んで向かって来たナイフを剣で叩き割る。


「御意。」


 すぐさまアーサーの脇にはべり、二人は塵芥残さずにその場から消え去った。上がった息と攻撃を受けすぎて感覚のなくなった手を振りながら、フィリップ二世はジークフリートの方を振り返る。踵まではある白いマントの一部が、零の血でどす黒い錆色に染まっている。


「零!」


「大丈夫だ、息はある。」


 剣を収め、ジークフリートはマントを地面に引いて零を横に寝かせた。


「そりゃ良かったが、そんな事よりおかしいだろ……。[シシャ]の体に血液は通ってない筈じゃ——」


「フィリップお前……話聞いてないのか?」


 ジークフリートが傷口の頭に手を当てると、仄明るい白い光とともに、零の肌が修復されていく。


「聞いてないって、何がだ……?」


「零はアーサー王に感知されない為に肉体を[人間]に偽造している状態だ。そこらの[人間]よりある程度頑丈とはいえ、心臓はあるし血も流れてる。」


 なにか抗議しようとして、喉まで出かかった言葉を飲み込む。アーサー王が最初に言った言葉を思い返す。


「先に行かせた組に追いつこう。零の傷が悪化しないよ——、おい馬鹿、何やってるんだ!?」


 治癒の手が離れた瞬間、フィリップ二世は意識が浮上しかけた零の胸ぐらを掴んで近くの樹木にその背中を叩きつけた。


「お前……。お前は、俺の事が信用出来ないってのか!?」


「馬鹿野郎離せ! 意識戻りたてじゃ何話してるか分からないだろ!?」


 驚いてむせる零を見て、フィリップ二世は手を緩めた。相手は[人間]と同じ体なのだ、加減を間違えると瀕死になりかねない。


「だって、俺、レイじゃないし……。」


 気弱げな声で、零はそう呟いた。ぎらついたアイスブルーの瞳が冷静な光を取り戻す。一度舌打ちして、フィリップ二世は胸倉を掴む手を離す。


「ちゃんとレイだろ、どう考えたって。」


 その記憶があるのなら、とフィリップ二世は血溜まりに浮いた月に呟いた。


 * * *

毎日夜0時に次話更新です。

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