Verse 4-23
ベルクホーフの周囲を覆う林の中に移動して幾分が経った頃、ルプレヒトは巨大な爆発音を聞いた。
「聞こえたか?」
『あぁ、聞こえた。』
程なくして首謀者二人を乗せてシュヴァルツが運転する車がベルクホーフを後にするのを確認すると、ルプレヒトは足元に伏せていたなにかに対して立ち上がるように言った。椅子を動かす音が聞こえて、再びジークフリートの声が携帯端末をすり抜けた。
『こっちで粛清するのはゲッベルスとカルテンブルンナーと?』
「必要があるならスコルツェニー部隊も壊滅させろ。お前なら一人で出来る。」
了解、と軽い返事が聞こえて、通話は切れた。もう着信が入ってこない事を確認すると、ルプレヒトは片膝をついて立ち上がった影を撫でた。
「行けブリッツ。あの屋敷の中にいる生き物は全員食い殺していい。」
犬とも狼ともつかない唸り声の後、血肉に飢えたシェパードとドーベルマンの形をした影達は一斉にベルクホーフへ駆け出した。
普段通りの貧しいパリを過ごしていた人々は、目を疑った。エトワール広場の中央、エトワール凱旋門の下にただ一人立つ女子とも男子ともつかぬ鎧姿の人が一人。星もぶちもない純白の白馬の手綱を握ってただエッフェル塔を望むイエナ通りの方角を見つめる。彼は金糸でかがられたロイヤルブルーのチュニックを身にまとい、白銀のプレートアーマーに上半身を覆われていた。その手には青に染め抜いたビロードの地に、無数のフルール・ド・リスが刺繍された旗を掲げていた。夕日も近い夏空の下、柔らかな風が彼の金髪を撫でた。子供達はあれはだれかと母親に尋ね、大人達もやがて立ち止まる。軍人達は、ド・ゴールのセンセーショナルなプロパガンダか、と嘲笑い、見かねた警備隊が彼に荒々しい足取りで近付いていく。しかし、その紺碧の瞳が見据える先に、やがて人々は目を向けた。一点たりとも乱れない金属の行進音が、イエナ通りを進んで聞こえ始めた。重厚で、確実で、果敢なその音は、人々の口に同じ言葉を登らせた。まさか、と。行進の音が向かう先を、彼らは確実に知っていた。そして再びそちらに視線を寄せる。青年は白馬に跨った。そう、いつぞやの乙女は、ただの旗手であった。だからあの人は、銃も、槍も、剣さえも持たぬのだ。
「祖国の民よ、武器を取れ! 私は今、力無き貴方がたを救う為にここにいる!!」
聖女の声は、エトワール広場を突き抜けてパリ中に響くようだった。神罰が具現化したような、雷の声である。やがて軍勢は姿を現した。磨き上げたフルプレートアーマーを一寸の乱れなく纏った兵士達が、白馬の後ろに到着する。嘲笑っていた軍人は顔を真っ青にし、警備隊達は唖然としてその足を止めた。そして、聖女の声に、どの国民もが答える。
「進撃せよ!」
どっと、民衆の咆哮が、軍勢が一瞬の乱れなく駆け出す音が地を揺るがす。陽に輝く白銀の鎧がエトワール広場から駆け出し、敵を押し流す勢いで放射線状の道を激流のように埋め尽くし始めた。
ナチス・ドイツの軍が駐留するノルマンディーに彼らが普段目にしない輝きが見えたのは、ちょうど太陽が傾いて来た頃であった。赤くなりかけの水平線の中に、彼らは一陣の輝きを見た。なんだあれは、と一人が口にした事によって、多くの兵士達が顔を上げて海を見やった。兵士達が見たのは、波打ち際に立つ騎乗姿の一人の男だ。時代遅れの鎖帷子、時代遅れのロングソード、時代遅れのスリーライオンズを掲げた真っ赤なチュニックを着た男だった。男の赤混じりの金髪は潮風にそよぎ、深い翡翠色の瞳は、ただ々兵士達の前線を見据えている。まるで彼らの注目を合図にするかのように、海が大きな音を立てながら潮を引いていく。兵士達は、無数の輝きを見た。それはヘルメットだった。近代の兵士達がつけるようなヘルメットではない。白銀の、顔を全て覆うフルプレートアーマーのヘルメットだ。海の潮は更に引いていく。いや、引いていくというよりはむしろ、蒸発するように減っていた。
「構え!」
兵士達は呆気に取られた。一体そんな時代遅れな軍勢が、それも水平線を埋め尽くすほどの鎧の軍勢がどのような経緯で彼らの目の前にあるのか理解し得なかった。軍勢の先頭に頭を連ねる騎馬兵達は、手に持つランスの剣先を前方に向けた。鞍に吊るしていた鞘から剣を抜き放ち、男はそれを目の前に振り下ろしす。
「突撃!」
その時の兵士達の顔は紛う事なき困惑と絶望だった。無数の騎兵が浜辺を一度駆け出せば、そこには地震ともつかない地響きが走り出す。兵士達は実感した、この軍勢は幻ではなく現実なのだと漸く脳が告げた。しかし、指揮官が罵倒混じりの指示を出しても、兵士の多くは畏怖のあまり自ら武器を捨て、また背を向けて叫びながら逃げ出す者も少なくなかった。
「やりすぎたか。」
「いや、大成功だろ。」
騎馬に続いて走り出す歩兵の海の中で、リチャード一世はただ悠然と白銀がノルマンディーの浜辺を飲み込んでいく様子を見ていた。
「これだけの軍勢がいればフランスの浜辺全部占領できるぜ?前線が伸びても固そうだ。指揮系統の少なさが問題だけどよ。」
青地に金ボタンのチュニックを纏ったフィリップ二世は馬上で腰に手を当てながら、フランス王にとってとてつもなく愉快な光景を眺めていた。苦渋の決断ではあったが、戦慣れしているリチャード一世に指揮を譲ったのは大正解である。
「我々はここで待機を?」
リチャード一世の要請を受けて参戦したユーサー王と[ウリエル]であるランスロットは、二人を挟むようにして斜め後ろで馬を並べていた。
「敵勢力が出てくればすぐに分かる。暫くは様子を——」
「伏せろ!」
軍勢に対して馬の尻を見せようとした瞬間、リチャード一世は腕に重い衝撃を感じて馬から転がり落ちた。ユーサー王とランスロットが騎乗していた馬が、落馬したリチャード一世に驚いて後退しながら嘶く。次の瞬間、激しく金属がぶつかり合う音が聞こえ、目の前で火花が散った。
「どっから湧いて出てきがやった、こいつ……!」
フィリップ二世のナイフが、すんでのところで刃を受け止めていた。
「ふん、いつまでも素早いやつめ。」
重いロングソードを漸く跳ね返し、フィリップ二世は無理な体勢を正す。受け止められていた剣を軽く手の中で弄び、敵は凛然と浜辺に立っている。
「アーサー……!」
「久方振りだ、フィリップ。いや、今はフィリップ二世とお呼びしたほうがいいか?」
レプリカの帝國以来の顔合わせに、フィリップ二世は奥歯を噛みしめる。姿は全く違った。長い黒髪を靡かせながら、アーサー王はその煌めく赤い瞳でフィリップ二世を見据えている。
「へっ、遅い再会じゃねぇか。」
ナイフを構えようとしたフィリップ二世は、その行為を手で制された。目の前に現れたヘーゼル色の髪の毛に、フィリップ二世は瞠目する。
「おいおい、いいのかよ。」
「お構いなく。」
アーサー王の持つ剣と酷く酷似するロングソードをすらりと抜いて下馬すると、ユーサー王はその剣の剣先を慣れたように息子に向ける。
「この世界に来て、叶う事ならいつか一度は息子と剣を交えたいと思っていた。いい機会だ……来い、アーサー。」
「今更父親面とは、ペンドラゴンの名が聞いて呆れる。だが……よろしい、余興の時間ならたっぷりある。」
剣先を向け合い続け、やがて一瞬波風も立たないほど風がなくなった。瞬間、二人は同時に剣を振りかぶる。ユーサー王は下から、アーサー王は上から。先程とは比にならないほど激しい火花が絶え間なく散っていく。二人の動きは視認できても、剣撃の速さは三人の[シシャ]の目で捉える事はなかなか出来なかった。ロングソードとは思えない身軽さで、二人は剣を打ち合っていく。一際強く火花が散ると、二人はお互いの動きを封じ、すぐに間を取った。
「父上……、まさかとは思いますがその剣は……。」
アーサー王が両手で剣を振るうのに対して、ユーサー王は終始左手をマントで覆ったまま片手でロングソードを扱っていた。力量差を感じて、アーサー王は歯を噛み締めながらそう呟く。
「その剣は——」
続いた言葉は突然の爆風によって掻き消された。浜辺の砂が舞い上がり、その場にいた全員がマントや腕で顔を覆う。
「なんだ!?」
驚くフィリップ二世の斜め前で、リチャード一世は剣をやすやすと薙いだ。剣撃を弾かれた爆風の元は、宙に放り出されたものの砂浜に静かに着地をした。
「成る程、フランス王を攻撃させてはくれませんか。」
物静かな声で、青年はリチャード一世を見据えた。砂浜とさして違わぬ薄い金髪と鮮やかな青い瞳を持つ青年を、アーサー王は叱咤した。
「遅いぞ三世。」
「ガウェイン卿ならもう暫しで整うと。」
三世、という言葉にリチャード一世とフィリップ二世は片眉を釣り上げる。ユーサー王の最後の剣撃を弾いて、アーサー王は青年の隣に立った。
「おう、お前の顔なんかいけすかねぇわ。」
「という事は私の縁者か?」
一歩前に進み出ようとしたリチャード一世を制して、フィリップ二世は舌舐めずりをしながら一番前に歩み出た。
「いいじゃねぇか。リチャードが仲間で相手にならねぇから退屈してたところだ。あんた、どのイングランド王だ?」
「貴方のような不躾なフランス王に名乗るのは気が引けますが、それでは騎士道精神に恥じると言うもの……。私はイングランド王リチャード三世、お見知り置きを。」
紹介が終わるや否や、リチャード三世はバスタードソードを目にも留まらぬ速さで抜き放つ。慌てて緩んでいた構えを引き締め、フィリップ二世は片手で重い攻撃を受け止めた。
「随分演技ぶったやつだな。シェイクスピア仕込みか?」
リチャード三世の金髪がぶわりと潮風を受けると、フィリップ二世はけらけらと笑った。
「おっと、シェイクスピアは敵の王朝だったな。」
続けざまに出る荒い剣撃を片手を交互に受け止めながら、フィリップ二世は哀れみを込めた瞳でリチャード三世の顔を見た。最後の最も強い剣撃をナイフをクロスさせて受け止めると、思い切り押し上げて跳ね返す。
「なんでしょうか……?」
呟いたのはランスロットだった。浜辺の表面の砂が流れ落ちるほどの地響きの先を、四人は一斉に見つめた。白銀の鎧が、幾人か宙に散っていくのが見えた。
「ユーサー、ランスロット! 軍勢の中へ急げ!」
「しかし……!」
ロングソードを構え直し、リチャード一世はにたりと笑ったアーサー王に向き直る。
「あちらを放っておく事はできない。二手に分かれる。アーサーの相手は……私がする!」
「はっ!」
気圧されるほど威圧のある声かけに、ユーサー王とランスロットは馬の首の向きを変えて地響きの原因へ向かった。
「大口を叩くなよ、獅子心王。貴様とて我がブリテンの王の端くれ。祖に勝てると思うか?」
リチャード一世は瞳を閉じた。フィリップ二世とリチャード三世の牽制の音は、もうどこか遠くに行ってしまった。声なきゴーレム達の気合の音、兵士達の悲鳴と怒声、金属のぶつかる音その全ても、潮風によって遠くへ運ばれていく。
「勝てるとは思っていない。だが……私はそろそろ現実に向き合わなくてはならない。」
目を開くと、凪いでいた風もまたやんだ。波と戦の音がリチャードの耳に再び蘇る。
「長き日々の中で憧れた貴方が……敵だと信じたくなかった。」
その呟きは風に攫われた。一度鞘に戻していたロングソードを、アーサー王はもう一度余裕たっぷりに抜きさる。刹那、二人は同時に砂浜を蹴った。
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