Verse 4-21
昼の少し前から始まった会議は太陽が沈みきった頃に漸く終了した。シュタウフェンベルクもあまり別の場所を設けて会議を出来るような暇な身分ではなかった。ジャンとシュタウフェンベルクが顔と顔を突き合わせて計画を練る事が出来るのはこの一度きりと言っても過言ではない。これからは、面倒なもののシュヴァルツを介して伝言ゲームで微調整をしなければならない。
「オレが色々口出し出来ればいいんだが、なんせ国防軍はなーぜかオレの事も毛嫌ってるから介入出来なくてな。」
「仕方がない。貴方が毎日のように黒服を着込んでいれば我々も嫌厭するでしょう。」
眉を下げて残念そうに笑うシュタウフェンベルクは、玄関で仕事鞄の中身を確認していた。シュヴァルツにも、黒服を着る理由はある。無論、高官達の目を欺く為に他ならない。来るべき暗殺の日まで、シュヴァルツがナチズムに傾倒しているように見せかけなければいけないのだ。
「今日は実りのある話ができました。」
「いえ。こちらこそ。これからも綿密に連絡を取り合いましょう。」
シュタウフェンベルクが差し出した左手に、ジャンは少し感動しながら答えた。固く握り締められた握手はほんの数秒間とはいえ非常に価値のある時だった。
玄関先にあるシュヴァルツが用意した車に乗り込み、シュタウフェンベルクは屋敷を後にした。その車のライトが見えなくなると、二人は薄ら寒い外気から逃げるようにして屋敷の中に飛び込む。
「そういえば……、ルプレヒトさんは何で忠犬って?」
鍵を閉めたジャンが振り返りざまにそう尋ねると、シュヴァルツは気休め程度に来ていたジャケットを脱いで苦笑した。
「アイツは任務をどんどんこなすからいつの間にかレジスタンスとか……つまりアンチ・ナチズムの諸氏に怖がられて忠犬だのなんだの……まあそんな感じにあだ名を勝手につけられてたんだ。ジャンが気にする事じゃねえよ。」
肩を竦めて、シュヴァルツは玄関扉の小窓から外を見つめていたジャンの背中を叩く。
「そんな事より美味い夕食が待ってるぞ! リーズがこっちに来てから、ドイツ飯は御免だって毎食作ってくれてるんだ。」
「ほんと!? じゃあ久し振りにご馳走になろうかなぁ。」
フィリップ二世がドイツを去ってから孤独な夕食を極めていたジャンは、久し振りの賑やかな食卓に胸を膨らませた。
* * *
一九四四、六月七日。[シシャ]にとっても[人間]にとっても、これは記念すべき日の一つとなった。ベルリンの初夏、晴れやかな青空の下で、ジークフリートは見送りといった形でシュタウフェンベルクと初対面した。すでに第二次世界大戦のあらゆる人間の顛末を知っている[シシャ]達にとって、シュタウフェンベルクがこの時参謀大佐に昇格し、副官にはワルキューレ作戦に協力的なヴェルナー・フォン・ヘフテンがついた事は周知の事実であった。
「健闘を祈る、シュタウフェンベルク大佐。」
「ありがとうございます閣下。貴方も。」
白い軍手越しに硬く手を握り合って、シュタウフェンベルクはジークフリートの顔を制帽の鍔から覗き込んだ。
「……。……何か?」
「あ、いえ。閣下のお名前について考えていただけです。では。」
シュヴァルツは既に航空機に乗り込んで、最終調整を進めていた。意味深長な言葉を残して飛行機に乗り込んだシュタウフェンベルクとヘフテンの背中を見送ると、ジークフリートは最後にやってきたルプレヒトの顔を見上げる。
「頼んだぞ。」
「頼まれずともやる。」
ふいと顔を背けて、ルプレヒトはジークフリートの視線から逃げるようにして飛行機に乗り込む。搭乗口が閉められると、ジークフリートは飛行機が滑走路を走り出す音を背に名残惜しそうにその場から離れた。
水面の天井から差し込む日光も届かないくらいの深海だった。ローゼに案内されて、リチャード一世とフィリップ二世は海底を進んでいた。息苦しくもなく、歩みが遅くなる事もなく、フィリップ二世は海の中をまるで陸で活動するかのような快活さで移動できた事に感動を覚えていた。なぜ三人が海底で行動しているのかといえば、リチャード一世がリーズに請求していた多大な軍勢がこの海底に管理してあるのだという。しかし、ドーバー海峡の水深は最大で五十メートル、第二次世界大戦のドイツ潜水艦の最大深度は百メートル程である。
「おいおい本当にこんなとこに隠してんのか?」
「止まってください。」
その問いに答えるかのように、ローゼは片手を挙げる。海底から空中投影型のディスプレイが飛び出すとどこかで聞いたような文言が、調整された声によって発された。
『生体分類[シシャ]、階級[悪魔]、個人名ローゼ・ライオネル、様。どうぞお入りください。』
瞬時に、海底から三人の姿が消えたかと思えば、次に彼らが現れたのはどこかも分からない真っ白な壁達であった。SF映画の宇宙船の内装でよく見るようなその光景に、フィリップ二世は目を丸くする。しかし、彼らの前に立っていたのは、いたってアンティークなロングスカートをまとった金髪の女性だった。柔和かつどこか鋭さを覚える微笑みに、三人の視線が集中する。
「初めまして。ワタクシ、現世管理局ROSEAの局員、エトリーと申します。本日は局長アヴィセルラの代理でお三方の依頼を引き受けさせて頂いております。」
「早速だがレディ・エトリー、例のブツを。」
控えめなシャボタイに手を乗せて挨拶したエトリーに、ローゼは懐中時計の蓋を開けて言った。
「了解致しました。既にご用意してあります、後ろの扉からどうぞ。」
「物騒な言い方したなライオネル……。」
ポケットに両手を突っ込みながら、フィリップ二世は背後にあった扉に向き直った。
「それで?ここはどこなんだ?」
「こちらは第十セフィラ、つまり地球の内部。あらゆる海底の向こう側にある、セフィラの[核]を管理している施設です。当セフィラの管理者様はアルフレッド・オードリー様、今回はオードリー様と当施設の管理者ホレイショー・ネルソン様とアグラヴェイン様の許可を得て使用させて頂いております。」
言葉が切られるとともに、がこん、と機械が運動を止める音が聞こえた。やがて、扉がスライド式に開いていくと、そこにはかなりの大人数が入れるようなエレベーターがあった。
「アグラヴェイン?だれだそりゃ。……ネルソンなら知ってる。」
「この施設は海底の向こうにあります。つまるところ、我々[ベヒモス]ではなく[レヴィアタン]の管轄領域。ネルソン提督とアグラヴェイン卿はその地位にある[シシャ]です。ところで……本当にアグラヴェイン卿をご存知でない?」
ぐんぐんと地下に潜っていくエレベーターの中で、ローゼはモノクルを光らせながらフィリップ二世に顔を傾けた。
「卿をつけられるとなぁ、嫌でも分かるよなあ……。」
[人間]の中では地球にはマントルがあり、地中に潜れば潜るほど熱気が立ち込めるはずだが、実際そんな事はなかった。[シシャ]の体感温度調整をもってせずとも、生物が生存するのに問題のない気温である。
(つー事は、ジャンが言ってた話はマジだったのか……。)
地球の中にあるのはマントルではなく、あらゆる場所に大量の[燃料]を送る[回路]と、エネルギーを作り出す[核]がある、といつぞやの報告でジャンは力説していた。当初はヒムラーによってマイナーなオカルトに染められたのではないか、と心配していたフィリップ二世だったが、現実に直面してそこはかとない安堵のため息を吐いた。
「[核]は、[人間]達から見れば圧倒的なエネルギー源だ。マントルなどの見解はそこから来ている。我々の目に映っているものが、[人間]の目に同じように映るとは限らない。[燃料]が表面に出て来たのが、天然ガスや石油になる。」
「神秘ッスネ。」
どうでもいいわ、とリチャード一世の解説に呟きながら、フィリップ二世はどんどんとジクソーパズルが仕上がっていく様を実感した。
「まあ、ジャンが言っていた、マントルなんてない、というのはあながち嘘とはいえない。あれは解釈や見方が違うだけと——」
「着きましたよ。」
リチャード一世の言葉が遮られると、一般的なエレベーターと同じベルの音が鳴った。しかし、その先にあったものに、フィリップ二世は絶句し、そして感嘆の言葉を滑らせたのである。
「おいおい、嘘だろ。」
エレベーターの扉が開かれた時、眼下に広がったのは白銀のフルプレートアーマーを身につけた幾万のゴーレムである。整然と列をなし、ただ静かに命令を待って佇むその軍勢の圧倒的な物量と、これを用意した[全能神]ジャックに驚嘆の意を隠せなかった。
「こりゃ、こりゃすげぇわ……え?いやちょっと現実を受け入れられない。」
ここまで用意できれば、あとは指定の場所にテレポートさせるだけである。目を輝かせて吹き抜けの廊下に身を乗り出すフィリップ二世を一瞥して、リチャード一世はエトリーとローゼに向き直った。
「ランスロットとユーサーは。」
「既に現場で待機をしております。我が君……零の指示があれば早急に軍勢を転移させます。行動は、軍勢と一緒でよろしいですか?」
リチャード一世は、エトリーの言葉に小さく頷いた。
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