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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第二巻『[人間]の業は 人の傲慢で 贖われる。』(RoGD Ch.3)

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Verse 4-17

 悪夢か、と零は思った。いつもの黒に塗りつぶされた空間に、ぽつん、と一つと一人。赤黒いウィングバックチェアに、男は座っていた。すらりと長い脚を組み、両手の指を交わらせ、柔和な微笑みを浮かべている。


「お、前……。」


「こんばんは。」


 たちどころに零は数歩バスカヴィルから距離を置いた。


「ふ、ふざけんな! 気持ちは入れ替えたぞ! なんであんたがまだ出てくるんだ!!」


 引きつった声で、零は甲高くそう叫んだ。声はただ響いていくだけで、空間の圧倒的な広さを思い知らされる。


「なんで?それはね、零。私は、お前の意思で出たり入ったりしているのではなくて、私の意思で出たり入ったりしているからね。」


「で、出たり入ったり……!? 本当にお前は何を言ってるんだ!?」


 今にも発狂しそうな声だった。夢であるにも関わらず、全身から汗は吹き出し、悪寒と震えが止まらなかった。


「その様子だと本は全く読んでいないようだね。残念だ。」


「お前の頓珍漢な事を書いてある本なんてだれが読むか! さっさと消え失せろ、不愉快だ!! あんたは死んだんだ……、確かに死んだんだよ!」


 帝國の滅亡に巻き込まれた[人間]が死んでいないわけがない。[シシャ]であれば、崩壊を事前に察知して別の世界にいく事など容易いが、零の記憶の中ではバスカヴィルは確かに[人間]だった。


「死んだ?もしかしてこれの事かな。」


 ショッキングピンクのネクタイをするりと解いて、バスカヴィルは座ったまま自らの黒いワイシャツのボタンをゆっくりと外していった。そして、突きつけるようにその前を勢いよく開けると。露わになった色白の肌の上に、剣を突き刺したような生々しい傷跡が残っていた。


「確かに、これはとても痛かった。ラスプーチンにやられるとは思っていなかったよ。」


「う、嘘だ……。左胸にそんな傷受けて、生きていられるわけないだろ……!」


 最早悲鳴だった。助けを呼ぼうにも夢の中ではだれも呼べず、零はただ鹿のように震えてその場で立ち竦んだ。脚を解いて、バスカヴィルは音もなく立ち上がった。綺麗に磨かれた革靴を鳴らしながら、こつ、こつとゆっくり零を壁際に追い詰めていく。


「あ、や、……やだ、来ないで……。」


 ついに後ろが壁だと知って、零はズルズルと床に崩れ落ちていく。ついにバスカヴィルは、零の目の前で立ち止まると片膝をついた。零の頭の片側にそっと手をついて、バスカヴィルは零の耳元で囁いた。


「触れてみるかい?傷に。」


 身も心もどろどろに溶かされそうになりながら、零は必死に叫んだ。


 最初に覚えたのは喉の痛みだった。次に、目元がヒリヒリしている事を知って、最後に、手に残った大理石のような滑らかな感触に気づいた。


「あ……ぁ。」


「零、大丈夫か?」


 ドアを蹴破ってきたのか、震える零の顔をルプレヒトが覗き込んでいた。


「ぁ、ルプ……レヒト……。」


「叫び声が聞こえた。うなされてたのか?」


 酷く泣いた後のような頭の怠さを感じて、零はそっと頷いた。


「そうか……。もう大丈夫だ。俺がいる。」


 力の抜けた上体を起こそうとした零を助け、その体をそっと抱いた。干からびた声で必死に零は口を動かした。


「俺、何て、叫んでた?」


「……来ないで、だったな。」


 そっか、と言う声は最早出て来なかった。まともに動かない頭で、零は必死に夢の事を思い出した。出入りの事、本の事。


「ルプ、レヒト。親父の、最期は……。」


 グリゴーリーの名前、そして。


「……左胸を、突き刺された。」


 傷の事。


 * * *


 多くの人が、ハンカチを持って額を拭いながら行き交う八月。ニューヨークにて、アルフレッドは盛大にため息を吐いた。目の前には、夏にも関わらず仕立てのブリティッシュスーツを着込んだローゼが口下をいじりながら一枚の紙を握っていた。


「最も有効な手立ては?」


「ルーズベルトかオッペンハイマーの除去、かな。まあ暗殺の方向で行くなら他の……司令官や責任者でも構わないけど。もしくは計画書類を一気に破棄する事。でも後者は現実的じゃないよ。」


 舟を漕ぐように頷いてローゼは机に書類を投げ出した。


「まさかアルの下にも計画の参加に関する書類が来るとは思わなかった。」


「必死なんでしょ。特に国土が。」


 実際、零の度重なる改変によって、アルフレッドの大統領直属スパイとしての任務も変わってきていた。日米開戦の阻止が成功した事で、実際にあった日本への諜報任務がなくなったのである。


「零の計画を止めなかった報復とも受け取れるな。相当やりたかったんだろう、あの馬鹿は。」


「米ツ木さんにはご執心だからね。海兵隊兵士みたいに死ぬほど怒られたよ、別に怖くなかったけど。」


 紅茶がなくなった事に気付いて、アルフレツドは立ち上がった。執務机の上には大量の書類が盛り上がっているが、そんなものには目もくれず出窓にあったティーポットを手に取った。


「そういえば、国土のほうでの会議でマンハッタン計画への意向は纏まったんでしょ?どうなったんだい?」


「あぁ、ラマーシュカからの返答はまだだが、リーズとワタシ、シュヴァルツも全面的に反対の方向で決定した。イーグルは……案の定というところだ。問題は我が国が、計画を進めようとするアメリカの協力要請を承認するかしないか。」


 右手を差し出したアルフレッドの手に、ローゼは空になったティーカップを寄越した。このような暑い時期であろうとも、このイギリス国土はホットティーを所望するのである。


「イギリス内部では?」


「反対の数は少ない……。なんせ、チャーチルを含め議員達はアメリカに媚び売るのに必死だからな。あのブルドック面、一度左ストレートで殴ってやりたい。」


 カップを受け取る前に、ローゼはこれでもかと力強く拳を振った。その仕草にアルフレッドは少し心強さを感じて苦笑いしたが、後先の事を考えてすぐに口端を下げてしまった。


「御託はここまでにして……。アル、お前はこの書類にサインするのか?」


「するって言ったらどうする?」


 肩を竦めるローゼの横を通って、アルフレッドは先程まで座っていたソファーに戻った。そろそろ暑さが堪えてきたのか、上に来ていた長い白衣をもぞもぞと脱ぎだす。


「まあ君が思ってる通り、サインすると言ってもただでサインする気はないよ。研究チームに入ったほうが内情は分かりやすいし、いじりもしやすい。僕が大統領の直属スパイなら尚更ね。さっき僕が言った方法で行くなら確実にサインするべきだ。」


「まあそんな事だろうなとは思った。それで——」


 発砲音とともに、アルフレッドの髪の毛を鉛弾が掠った。目の前で、ローゼが煙を上げる銃口をアルフレッドの肩越しに突きつけていたのだ。


「いつから話を聞いていた。」


 木製のドアが被弾したのか、背後からは焼けた匂いが漂ってくる。ローゼの冷徹な表情から、アルフレッドは彼がだれに銃を向けているのか分かった。


「イーグル……。」


 呆れたように一言、ソファーの背もたれに腕を乗せて、アルフレッドは半眼になった。口をわなわなさせながら、オレンジに染めたスポーツ刈りの青年が突っ立っている。アメリカ国土イーグル・T・ピースは、すっかり怯えた顔だった。


「次にやったらドーヴァーに沈めるぞ。」


「ひでぇよダディ!」


 イギリスから独立した彼にとって、ローゼは父親のようなものであった。漸く銃を仕舞ったローゼは、相変わらずの呼び方に眉間に皺を寄せてため息を吐いた。


「これをアルフレッドに送ったのはオマエだな?」


 ぴらり、とマンハッタン計画の加入を勧める書類をつまんで、ライオネルは低く詰問した。


「な、なんか悪いかよ……。アルだって、研究チームに入ったら考えを変えてくれるかもしれないと思って。」


「甘いねぇ。変えないよ。」


 嘲笑するような返答を聞きながら、イーグルはアルフレッドの隣に胡座をかいた。


「アルフレッドの言う通りだ。ワレワレはオマエのように頭が柔らかくないのでね。」


「いーや、ダディには分からなくても、アルフレッドはアメリカ人だから絶対に分かってくれるって信じてるからなオレ。」


 若者のキラキラとした期待の瞳を向けられて、アルフレッドは口端を下げた。


「一体何時から僕が大量殺戮破壊兵器に関心を向けてると勘違いしてるんだい?君……。ていうか、今開発して一体何処に使うんだい?戦争してない日本に打ち込むわけでもあるまいし。」


「言っておくが、まず発明される前に戦争は終わる予定だ。お前の出る幕はないぞ。」


 若気の至りを諭すような親の気持ちで、二人は計画への金がいかほど無駄かを説明したが、イーグルは一切聞く耳を持たなかった。


「いーやあるね。絶対どっかで使える。持ってるだけでも価値はあるしな。」


 今にもティーカップを割りそうなローゼの様子を見て、アルフレッドはグラスを置いて部屋の外を親指で示した。


「あんまり適当な事言ってると……君のワイルドキャット壊すよ。」


「やめろよ!」


 悲鳴を上げるイーグルの口を塞ぎながら、アルフレッドは育児疲れのような疲労を感じた。


「いいかい。君は今後、僕がやる事に一切口を出さないように。アメリカ大統領と [神]様、どっちが偉いと思ってるんだ?」


「しゅ、しゅいまへん……。」


 両頬を掴み上げられて上手く話せない状態で、イーグルは取り敢えず謝罪を口にした。二人の諍いの終わりが見えると、ローゼは注意を促すように咳払いをした。


「アル。実は明日、ワタシはロンドンに帰らなければいけない。携帯端末で連絡は取れるが、直接会うのは戦時中、これが最後だろう。何か言い忘れた事などは特にないか?」


「随分と急だね。この間ワシントンに来たばっかりだったじゃないか。」


 机の上に置いていた小型拳銃をスーツの下のホルスターに仕舞いこんで、ローゼも苦々しく口をへの字に曲げた。


「十一月にナチスがヴィシー・フランスを占領する。現在その区画にいるリチャード陛下とフィリップ二世陛下とをこちらで匿わなくてはいけなくてな。その……、匿えるのはワタシくらいだ。リーズはイギリスに別荘を持ってないし、ホテルに長く泊めるよりワタシのカントリーハウスに止めたほうが絶対に安上がりだし安全だ。」


「もうそんな時期だったか。まあ事情が事情だし、君をアメリカに長く引き止める理由もないけど……。そうだね。最後に言うとすれば……まあ、チャーチルはよろしく、かな。」


 マンハッタン計画は任せて、と言わんばかりに、アルフレッドは軽くそう言った。


「お安い御用だ。」


 * * *

毎日夜0時に次話更新です。

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