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神秘学メンズラブシリーズ"nihil"  作者:
第二巻『[人間]の業は 人の傲慢で 贖われる。』(RoGD Ch.3)

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Verse 4-14

『えぇっイタリアにいるんですか!?』


 せめてムッソリーニが失脚するまで我慢して下さいよ、というアヴィセルラの文句が端末に向こうから聞こえ、零は思わず苦笑した。


「だってあと一年以上あるだろ?それにあの時期は忙しくなるから、出来るだけ暇なうちに、な。」


『はぁ。……まぁ仰る通りです。ですが、[核]の探知を妨害するのはやめてください。まだ本調子でいらっしゃらないんですから。』


 何度か参ったように、分かった、を連呼すると、零は通話を切った。アヴィセルラが念を押すのは、ドイツからイタリアに着くまでROSEAで零の位置情報が認識出来なかったからである。


「さて……と。」


 零の目の前に建っているのは、今も飽くなき信仰の対象にある巨大な大聖堂。いくら歩いても辿り着けないのではないかと思えるほど、遠近感を狂わせる建物を見て、零は圧巻のため息をついた。目にするのは、これが初めてである。


「お待ちしておりました。」


 だだっ広い正面広場を歩いて数分、中央にそびえるオベリスクの足元で、二人の聖職者が頭を下げた。


「久し振りだな、リリアム、エンマヌイル。」


 青混じりの銀髪をポニーテールにした青年は、零に呼びかけられて顔を上げた。


「[人間]の時間感覚でかれこれ八十年ほど。お久し振りです母上。」


 慣れない呼び方をされ、零は少し不器用に微笑んだ。


「もうそんなに経つか……。エンマヌイルは元気にしてたか。」


「はい。元より病気をする体ではないので。」


 そうだったな、と苦笑すると、エンマヌイル・グリゴリエヴィチ・ラスプーチンは幾分頭の低い零の後ろに立った。


「では、私の執務室へ。お菓子とお茶を用意してあります。」


 右手を前に差し出して、ヴァチカン市国国土リリアム・コルンバはカソックの裾を翻して零をヴァチカン宮殿へ案内した。


 世界を巻き込んだ戦争が起きているとは思えない程の静けさであった。きっちりと整えられた庭が見える一室で、イタリアの最高級品の茶菓子と、イギリスから直輸入した紅茶でもてなされ、零は久し振りの贅沢に寛いだ。


「えぇ。彼が、バスカヴィルが生まれたのは一八六六年六月六日、朝の七時六分。間違いないです。」


「実に不吉な数字です母上。六が死ぬほど並んでいます。召喚者も[ルシフェル]か[サタン]狙いで召喚を計ったものかと。」


 机に乗せられた大量のレポートを捲りながら、零は深々とため息をついた。どうやら、これを全部読まない事にはバスカヴィルの完全な調査は始められないようだ。


「ところで主よ。この召喚者、[ルシフェル]狙いであればかなりの手練れですが、[サタン]狙いであればミスを起こしているんです。」


「というと?」


 一八六六年、ROSEAから秘密回線を使って、幽閉されていた零に一つの報告がきた。それが、バスカヴィルの出現である。散らばったレポートの一枚を取り出して、リリアムは零に渡した。


「この世界に置いて[ルシフェル]と[サタン]の関係は、……生命体構成の三要素と同じようなものだと分かりました。」


 まだ一歩も外に出る事が叶わなかった零は、ヴァチカン市国で職務を行なっていたこの二人の聖職者に、秘密裏にバスカヴィルの調査を命じたのである。


「お願いだから神学者の卵にも分かるように言ってくれ。」


「[サタン]はつまるところ、[ルシフェル][サタナエル][サマエル]の三人が寄り合わさってできた複合体の[堕天使]です。地獄創造の折、限定的な創造の力を持つ[サタナエル]と[サマエル]が[ルシフェル]の堕とされた場所へ赴いたのです。」


 そんな事があったのか、と零は未だ失楽園事件に関して現状を把握出来ていない事を改めて知った。


「全体的にサタンと同一視されてる奴らだな……。というと、成る程。[ルシフェル]目当てならその三要素を意図的に崩壊させた、[サタン]目当てであれば意図せぬミスで崩壊させてしまった、というわけだ。雲泥の差だな。」


「まあ結局どちらかは分からずじまいですが……と、ここまでが前提知識です。ここからがロンドンでの詳細な活動報告になります。」


 エンマヌイルは慌てて飛んでいったレポートを捕まえて、ヴァチカン市国の紋章が乗った文鎮で抑えた。その足で庭園が一望出来るベランダへの扉を閉めると、再びリリアムの隣に座った。


「現地に入ったのは、ROSEAから報告が入った丁度一ヶ月後……ですから七月の上旬でした。先程バスカヴィルは、生まれた、と表現致しましたが、あれはどう考えても生まれてません。たかだか一ヶ月しか経っていないのに成人男性レベルに成長するわけがないので、登場した、と言ったほうが正しいかと。」


「接触したのはロンドン到着から三日後くらい。父上と合流したのはもう少し後です。」


 毎日の夜、一日の終わりに書かれた報告を読みながら、零は思い出したようにエンマヌイルに尋ねた。


「あぁ、グリゴーリーはどうだった?」


 顔色を変えずにエンマヌイルは答えた。


「認知して頂けませんでした。」


「だろうな。」


 当然の結果である。零でさえ、最初エンマヌイルが息子として現れた時は目玉が飛び出る思いであった。


「まあそんな事はどうでもいい。続けてくれ。」


「はい。バスカヴィルは黒魔術の研究会に入っておりまして——」


 箇条書きの日記に目を通していた零は、リリアムの言葉に頭を上げた。


「オカルト?」


「本物の方です。」


 神学者がそれを言っていいのか、と零は思わず渋い顔でリリアムに視線を向けた。


「えぇ、魔術を認めざるをえなくなりました。魔術師の言う魔術とは科学を用いた上で超自然的な事象を発揮させるものだそうです。黒魔術は対象を傷つけ、殺すもの、白魔術は対象を癒し、救うもの、と言うのが彼らの分け方で、バスカヴィルは黒魔術師の界隈では最上位に位置する研究会に所属していました。」


 手渡された魔術に関するメモに、零は思わず頭をかいた。


「一ヶ月で早すぎだろ。天才か?で、あいつはそこで何をやってたの?」


「真理学です、母上。」


 クッションと背もたれに挟まっていたのか、エンマヌイルは上体を捻って重たい本を取り出してきた。


「この本……!」


「必死で入手しました。魔術界隈の書店では出回っているのですが一般的な本屋には一切置いていません。私もその筋の枢機卿に必死にお願いしたものです。つい先日届きました。」


 硬い革の表紙に、見事に縁を覆い尽くす草葉の箔押しを見て、零は思い出した。ROZENでバスカヴィルに関して内密に調べていたジークフリートが見つけた本とそっくりそのまま、同じ大きさと同じ模様の本である。


「バスカヴィルは魔術師界隈ではかなり有名で評判の高い魔術師でした。近代十九世紀の黒魔術の体系化を一手に担った上、真理学でも新発見を多く行っています。」


 重たい本を膝に乗せ、零は革表紙を捲る。古ぼけたクリーム色の紙には、嫌という程見たフォント張りのバスカヴィルのサインが描かれている。


「ところでこの本は……黒魔術分野別概要?」


 表題を読んでいた零の目の前を失敬して、リリアムは目次のページまで紙を捲った。


「彼は一切整理されていなかった黒魔術を全てジャンル別に区分しました。無機物を操るのは操作学、生命体を操るのは催眠学、占いに関しては全て占学、など。魔術に触れたのは初めてですが私にも分かりやすかったですよ。」


「神学者が魔術をやるのは恥です、我が師よ。」


 辛辣な弟子の言葉に、リリアムの聖母のような柔和な微笑みが一気に強張る。興味だけはあるんですがね、と呟いて、彼は先を続けた。


「中でも真理学はかなり高度、と言うか実践ではなく頭でこねくり回すタイプのもので、おまけに神学や哲学と諸々被ります。この世界はいかに創造されたか、神はいかなる存在なのか……ここで神を否定すると科学に行きます。」


 目次で真理学らしき文字列を見つけると、零は必死で、本のようなページの重さをひっくり返した。


「あいつがそれをやってるのなら多分……答えの一つには辿り着いてるな。」


「我々も何度か言葉は交わしましたが、本もそれ以外は入手できず、彼がどこまでこの世界について知っているのかは分からずじまいです。後を追うも、パリ万博の後すっかり姿を消しました。死んだのではなく、忽然と。始末する命令は出ておりませんでしたが、本当によろしかったのですか?」


 本を閉じて、零はリリアムの言葉を受けて口を引き締めた。


「その内機会があったら俺が殺すさ。……ところでこの本、借りて行ってもいいか?」


 じっと本を見つめられたまま尋ねられ、リリアムは自分への質問だと理解するのに数秒を要した。


「へ?あ、えぇ構いませんよ。私もエンマヌイルも紙に穴が開くほど読みましたので。……国際宅配も致しますが。」


「いや流石に……持って帰れるぞ。」


 と言いながら、零はどうやって腰を浮かそうか思案した。


 ヴァチカン市国から出てすぐのホテルを取っていた零は、エンマヌイルの付き添いでリリアムの部屋を後にした。地中海沿いとはいえ、零の肌に寒さが刺さる。


「この間、グリゴーリーと会ったんだ。」


「そうですか。元気でいらっしゃいましたか?」


 鼻に乗せていたメガネを外して、エンマヌイルは相変わらず鉄面皮のままそう返した。


「ムカつくほどに元気だった。」


「ならば安心です。」


 初めてエンマヌイルが微笑むと、零も漸く安堵の息をついた。息子とはいえ、彼もまた零の腹から生まれたわけではないし、最初からこの姿であった。


「お前は、リリアムとはどうなんだ?」


「我が師とは仲良くやっています。最近では教わる事も少なくなってきましたが。」


 エンマヌイルとは、零が[現世界]を作った時に生まれた概念が人の形を取った姿である。つまるところ、彼は[現世界]そのものであり、零と最後まで神の座を争ったグリゴーリーを父と呼んでいる。


「ま、お前も元気そうなら当分はまだ安心できるな。」


「これからまた忙しいのでしょうが、連絡は定期的に願います。顔は見せずとも、手紙を下されば。」


 考えとくよ、と零は手をひらひらさせながらホテルに入っていった。


 * * *

毎日夜0時に次話更新です。

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