Verse 4-13
猫にミルクをやって、フリードリヒ二世が出かけるのを見送ると、零はため息をついてラジオの前のソファーにどっかりと座った。
「コーヒーは?……お前は紅茶か。」
「砂糖とミルク多めで。」
自分の皿を片付けに行ったルプレヒトにそう注文すると、ミルクを飲み終えて膝によじ登ってきた猫を抱きかかえた。
(ハイドリヒ暗殺が五月末、八月のマンハッタンはアルフレッドに任せるとして、十一月のフランス本土占領は基本放置、か……。ワルキューレ作戦とコンタクトを取るまで暫く余裕があるな。)
ラジオの隣に置いてあった零宛ての手紙の束を取り、ガラス製のペーパーナイフで頭の封を切る。
「これは……ロマノフ邸から、か。」
『悠樹 零殿。新年明けましておめでとう。戻ってきてからまだ一度も会えていない気がするが、体は大丈夫だろうか。早速だが、本題に移る。先日、フランス国土リーズ・プーレからの申し出により、シベリアの一地方に幽閉されていたロシア国土ラマーシュカ・ドゥヴグラリアリョールを保護した。現在は我が屋敷に滞在している。ラマーシュカによると、この件が現在の書記長ヨシフ・スターリンの耳に入るのは時間の問題であり、自らがモスクワに帰還しても、再び、そして更に厳重な幽閉をされる事は間違いないと予想される。これを回避するには、スターリンの殺害は避けて通れぬ道だと考えている。ロマノフ邸の諸皇帝、ツァーリには既に話を通してあり、現在検討中である。貴殿の許可を得たく、この手紙を送った。良い返事を待っている。ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ。』
手紙を読み終えると、それを待っていたのかルプレヒトが目の前に立っていた。手にはマグカップが二つある。
「ありがとう。」
「ニコライからか。」
黒と白の縞々模様のマグカップを渡すと、ルプレヒトは筆跡だけを盗み見てそう言った。
「スターリン暗殺の許可が欲しいらしい。どうするべきかな?」
隣のソファーに座って、ルプレヒトもブラックコーヒーに口をつけた。太腿に乗っていた便箋を中指と人差し指で挟み、身を零の側へ寄せながらさっと目を通した。
「私怨かと思ったが……、それだけではないようだな。国土なら全員賛成するだろう。無論、アメリカ国土も含めてな。」
「でも、スターリンの死去は冷戦にも響くんじゃないか?」
草花のエンボスが押された便箋を撫でて、ルプレヒトは零の太腿にそれを戻した。
「どうせ、第二次世界大戦も早々に終わったら後に響く。冷戦に影響するのはドイツの東西分裂も同じ事だ。お前の作戦が全て成功すれば、ソヴィエトがドイツに入る余地はほぼなくなる。スターリン一人如き、この作戦内で殺したとて俺達に先の歴史が予想出来ないのは同じ事だ。」
「ワルキューレ作戦を四四年の六月七日に行うとして、ソヴィエトのパグラチオン作戦の開始は六月二十二日だったか……?確かに、言われてみればな……。」
便箋を封筒に収めると、零は暫く考え事をするように天井の細かなレリーフを視線でぼんやりと見つめていた。
「……そういえば法学部を卒業したジークから教えて貰った事がある。聞くか?」
自分宛ての手紙の差出人を確認しながら、ルプレヒトは上の空の零の視線を奪った。
「国家元首が暗殺、もしくは原因不明の急死を遂げた場合、この世界では国土が代理で国政の指揮をする事になるらしい。期間は国によってばらつきがある。選挙で決めたり、国土が独断で決める事もできる。世襲は知らないが……。」
「ヒトラーが死んだらシュヴァルツがドイツの政治を仕切るって事か?」
眉をひそめた零に、ルプレヒトは頷いた。
「この世界では国土の存在が公になっている。赤ん坊ならともかく、国土の存在を知らない国民は一人もいないからな。」
「そりゃいいな。」
目を閉じて、シュヴァルツやラマーシュカが政治に忙殺される姿を少し思い浮かべて、零は苦笑した。大変そうではあるが、彼らが政治の指揮棒を手にするなら悪い事にはならないだろう。
「まあ殺す方向で考えておこう。」
冷め始めた紅茶を入れると、零は抱えていた封筒を机に放り出した。暫くは目先の事について考える必要がなくなった解放感が少しばかりある。
「……話題を変えていいか?」
しかし、だからといって零の悩みは全て消え去ったわけではない。むしろ、もう一つの問題が今までの悩みを押しのけて増幅してきていた。
「なんだ。」
暗くなった零の声に、ルプレヒトはマグカップをサイドテーブルに置いた。
「ルプレヒトはその……結構長くバスカヴィルと一緒にいたよな。」
「……あれが、どうかしたか。」
ルプレヒトの饒舌もついに息を潜める。
「昨日、フランツ陛下にも同じ事を聞いたんだ。あの人を[人間]だと思うかって。そしたら悪魔召喚の話をされた。」
「だろうな。」
それで、とルプレヒトは先を促すように零の肩を引き寄せた。
「あれを召喚したのは、誰なんだろう……。」
ソファーを降りて、零はルプレヒトの膝に収まる事にした。横向きに座り、ルプレヒトの胸に顔を埋めると、そっと息をつく。
「……。さぁな。俺にも見当はつかない。」
甘い香りのする黒髪に鼻を埋めて、ルプレヒトは目を閉じた。
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