Verse 3-14
窓から香る潮の香りに、初老の男性は瞳を開ける。秋の空を思わせる清々しい青い目だけを動かして辺りを見回すと、赤褐色の毛が目に入った。
「あぁ……、ルプレヒトか。」
「おはようございます陛下。」
労わりもなさそうな、無骨で無感情な声である。
「今日の天気はどうだね?」
「晴れていますが若干雲が多いかと。……起床召されますか。」
ゆっくりと体を起こした初老の男性は、辺りを見回した。見覚えのない部屋である。かつて使っていた自らの寝室ではない。
「フリードリヒ陛下、朝食はどうされますか?」
「うむ……。あまり沢山は入らなさそうだ。」
落ち着いた臙脂の絨毯に足を下ろすと、フリードリヒ二世は暗い木材で作られた本棚を眺めた。
「ここはどこだねルプレヒト。……いや意識がはっきりしてきたよ。」
「……朝食はお持ち致しますか?食堂にはジークフリートと零がいますが。」
二人の名前を聞いた途端、フリードリヒ二世はネグリジェ姿のまま掛け布団を吹っ飛ばした。予想出来ていたのか、ルプレヒトは多少げんなりとした顔で、掴みかかってくるかつての上司をやり過ごす。
「なんだと!? ならば食堂に行くぞ!」
「ご案内します……。」
起きれば二十世紀的なコンクリートの建物に囲まれていた事、突然巨大な音が鳴り始めたが全くなにをすればいいのか分からなかった事。その他自らの経験を熱く語るフリードリヒ二世を召し替えて、ルプレヒトはROSEAの内部を案内した。
「ここが食堂で——」
「ジークフリート! 零! 会いたかったぞ!」
ルプレヒトが言い終わる前に、両開きの扉を開け放つフリードリヒ二世の姿は、ジャンとフィリップ二世の瞳にどう映ったのだろうか。
「だ、だれ……。」
「陛下!」
戸惑うフランス人の二人とは裏腹に、零とジークフリートは椅子を蹴って立ち上がった。同時に駆け寄って抱きつく姿は、さながら父子の再会である。
「待って、これは何?」
「陛下、後ろが詰まっておりますので……。」
朝食を食べにやってきたアルフレッドは、食堂の前の集団にしどろもどろになる。ルプレヒトの言で漸く中に入っていった三人は、朝食の席につく。
「僕達が生前に仕えていたプロイセン王、フリードリヒ二世陛下だ。」
「陛下、こちらは俺達の友達、ジャンとフランス王フィリップ二世です。」
肩を狭めて首をカクカクさせる二人に、フリードリヒ二世は冷静さを取り戻した微笑みで応じた。
「国王と友達とは、零の人脈は素晴らしい。」
「いえ、成り行きですので……。」
成り行きね、と半眼でROZENを思い出すフィリップ二世は、白身魚のクリーム煮を口に頬張る。
「ここに来る前にルプレヒトには色々、今がどんな時代なのか説明して貰ったのだが、まぁ……酷な事になったものだな。」
哀愁の漂う物言いでウナギのパイを切るフリードリヒ二世を見て、ジークフリートはしょぼくれた表情を浮かべた。
「それと、零の計画についても大雑把に教えて貰ったのだが、私も協力出来るのならさせて欲しい。」
(献身的な王様だな……。)
自らともリチャード一世とも違う、また別のタイプの支配者を見て、フィリップ二世はジャンとアルフレッドに投げかけた。
(国王は国家第一の下僕、の発祥地だしね。)
(わあ。その言葉、俺の時代の王様にも教えたい。)
明るい声でそうのたまうジャンに、アルフレッドは腹の中で苦笑した。
「陛下にできる事……ですか。そうすると、フランツ陛下との接触でしょうか。」
「誰?」
すかさず口をついてフィリップ二世の言葉が会話を遮る。
「……帝國で皇帝やってた人。」
「すごい。演劇の役みたいだね、その言い方。」
金髪碧眼でどこか空気の薄い、バスカヴィルの弟の事である。思い出したように頷くフィリップ二世に、ジャンはあんぐりと口を開ける。
「ふむ、フランツがどうかしたのかね?」
「敵派閥の所属ですので、スパイに仕立て上げようかと。」
ルプレヒトの物言いは、どう考えても皇帝を扱うものではない。流石はプロイセンとオーストリアの溝、とアルフレッドは変な感心を胸に抱く。
「ルプレヒトらしい考え方だ。成る程、私に関して向こう方はノーマークであるところを利用するのだな。しかし、フランツが私の話を聞いてくれる気もしないが……。」
「そこは、既に手を打ってあります。」
* * *
ROSEAを去る日、イギリス国土のローゼに絞られてげっそりとした顔でやってきたシュヴァルツに爆笑しながら、リーズは航空機の前で待機していた。
「ロシア……じゃなくて、ソ連からの情報です。ラマーシュカの監禁場所が分かったと。」
「めでたいな……。」
魔法瓶に入れたホットコーヒーを注ぎながら、シュヴァルツは疲れた声でそう言った。
「いやまあ、めでたいんですけど。会議の内容覚えてます?ラマーシュカの救出もボクら国土のやらなきゃいけない事ですよ。」
「や、……そういやそうだった。で、その場所は?」
ロシア国土、ラマーシュカ・ドゥヴグラリアリョールは現在、ヨシフ・スターリンの命によって監禁されており、国土達の前に一切姿を見せていない。何度か抗議文言を送ったが改善する兆しは見られず、居場所も分からずじまいで万策尽きていた頃であった。
「モスクワのかなり郊外にある寂れた屋敷ですね。流石ニコライ陛下、写真の腕前は相変わらず達者でおられます。」
シュヴァルツに渡した紙には、さして修復も行われていなさそうなぼんやりとした屋敷の写真があった。
「わー。カラー写真なんて何年ぶりに見たんだオレ……。てかこのご時世にこの画質。何で撮ったんだ?」
「え、携帯端末じゃないですかね。」
即答されて口を噤んだシュヴァルツは、書類をざっと見直して裏面の白紙を確認した。
「うちの聖女がまさかシステム系プログラミングできるとは思ってませんでした。」
「携帯電話よりすげぇこの箱型機械な……。名前、まだ決まってないんだろ?」
タップして見せるシュヴァルツに、リーズはなんとなく頭に浮かんだ言葉を呟いた。
「……スマートフォンでいんじゃないですかね。」
「すげぇアメリカ的。」
話している間に、零達が地上に上がってくる。フリードリヒ二世の姿を認めて、飛ぶように喜ぶシュヴァルツを見て、リーズは微笑んだ。
「俺の時もあんな喜び方して欲しかったぜ。」
「ああいうタイプの偉大さじゃないんで無理ですね。」
航空機にもたれていたリーズは、フィリップ二世にそう返答しながら姿勢を正す。
「航空機、二機か……。そりゃ当たり前か。」
「えぇ。……ところで陛下、ドイツ経由で一度フランスに帰国して頂いてもよろしいですか?ドイツ帰国者が多いのでフランスに直で行くのが面倒でして。」
抱き合うフリードリヒ二世とシュヴァルツを眺めていたフィリップ二世は、視線をリーズに戻す。
「別に構やしねぇけど?何で?」
「あー、ちょっとフランス人が長居するときついものがありまして。」
つい先日に発行されたイギリスの新聞を尻ポケットから取り出してフィリップ二世に渡す。
「あ? なになに……強制収容所……収容所爆破ぁ!?」
「考えていたより派手ですが、僕達[シシャ]による攻撃の始まりという意味では大規模で素晴らしいかと。」
慌てて新聞を広げるフィリップ二世は、ドイツ語で書かれた記事をいとも容易く読み込んでいく。
「昨日未明……同時多発テロルとして捜索中……。……待てよ、まさかこれ俺が——」
「はい、ソロモン王とジャックさんに渡して頂いた情報の賜物です。これからも継続して参りますので、よろしくお願いしますね、陛下!」
風に煽られる新聞紙の乾いた音を耳にしながら、フィリップ二世の絶叫は崖下の海まで届いた。
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