Verse 3-10
ボロい。零の第一声はそれであった。
「広さはある。我慢しろ。」
漸くルプレヒトの屋敷に帰れた頃には日付が変わっていた。布が擦り切れたソファーに浅く腰掛ける。
「コーヒーしかないが。」
「いいよ、砂糖三杯入れて貰えば。」
湯を沸かす音が聞こえると、零は殆ど灯りのないリビングルームで一度柏手を打った。壁に取りつけられた錆だらけのキャンドルスタンドに、一気に火が灯る。
「部屋はどこがいい。」
「日当たりが一番いいとこ。」
白いマグカップに入ったコーヒーを受け取り、零はほっと一息つく。
「ルプレヒト。寝る前に……一つ聞いていいか?」
殆ど傾いていたマグカップが、口元からゆっくりと胸元まで戻っていく。
「……なんだ。」
「お前は、このドイツの事どう思ってるんだ?」
[シシャ]達にとっては、二回目の第二次世界大戦、二回目の大量殺戮。[人間]達には、前に起きた正史の第二次世界大戦の記憶はない。それでも、起きた事を消す事は出来ないのだ。
「この身体に戻ってくるまで、俺は考える時間が沢山あった。だから……この二回目をそのまま見過ごすわけにはいかない。」
立ち続けて話を聞くルプレヒトを見上げた零の瞳は、揺るぎない決意に煌めいていた。
「俺は、歴史を変える。」
日中は一日、ルプレヒトからあてがわれた部屋の掃除に費やした。空っぽの本棚、空っぽの引き出し、なんの変哲もない机に囲まれた部屋である。
(もうちょっとこう、なあ。)
予定では後一人程、住人が増える。ルプレヒトにはまだ言ってないが、薄々勘付かれている気もしていた。
「ま、いっか。」
(来てから考えよ。)
机の埃を落として、零は考える事をやめた。
水色のワイシャツの上にベージュのトレンチコート。普段の親衛隊制服姿とは打って変わって、ジャンらしい爽やかなファッションである。
「おっそいなぁ二人とも……。」
「ルプレヒトのおっさんが遅上がりだから仕方ねぇな……。」
[人間]ならば右も左も分からない暗闇の中、ジャンとフィリップ二世の二人は滑走路の脇に立って零とルプレヒトを待っていた。背後には小さな航空機がある。
「そういや、これ誰が運転するの?」
「さぁ……聞いたところじゃリーズはもう到着してるからなぁ。ルプレヒトのおっさんじゃね?」
両腕を後頭部に回し、フィリップ二世は夜空を見上げる。
「……ルプレヒトのおっさんって長くない?愛称考えたら?」
「えー。あー……じゃあるっぷん。」
返答に困るような可愛らしい呼び名に、ジャンは、はぁ、とだけ相槌を打った。フィリップ二世は、煙草の吸い殻を箱に入れると目を細めた。
「おい、あいつ誰だ。」
二人に向かってくる制服姿の男が一人。月明かりに短い銀髪を輝かせている。
「あっ、たまにジークフリートと話してた人だ。」
特徴的な髪の毛を思い出し、ジャンは指を鳴らした。
「それで敵なのか?味方?」
「え……。あ、でも、国土殿、って呼ばれてたし……。」
話してるうちに男はすっかり二人との間を詰めていた。制帽を外したその顔にあったのは、リーズとよく似た朱色の双眸である。
「初めまして。プ……、ドイツ国土コールンブリューメ・アードラーだ。」
「おう、俺はフィリップだ。」
差し出された白手袋の手を握り、フィリップ二世もまた男に挨拶した。
「えっと……改めまして、ジャンです。」
「リーズから話は色々聞いてる。」
ジャンもまたフィリップ二世と同じように握手を交わした。ドイツ国土は辺りを見回す。
「ルプレヒトと零は?」
「さぁ、ルプレヒトの野郎が遅いからちょっと遅れてんじゃねぇのかと。」
時計を見ると、待ち合わせ時間の五分前である。
「いつもはもう少し早く来てると思ったんだが……。問題がないなら別に。」
「問題があってもおかしくないような言い方だな。」
朱色の瞳で辺りを見回す国土は頷く。
「あぁ。ルプレヒトから連絡があった。昨夜、零が敵勢力と接触した。怪我などは特になかった。」
「敵勢力!? っていうか、やっぱりルプレヒトさんは敵ではない……?」
理解がついていかずに焦り気味のジャンへ、フィリップ二世は呆れた視線を送る。
(今更なに言ってんだこいつ。)
「ただ、なにか問題が起きたらアナタが作ったこの携帯端末に連絡が入る筈だ。」
ポケットから取り出した携帯端末には、特になんのメッセージも入っていなかった。
「俺の携帯端末、大量生産されすぎ……?」
「とか喋ってるうちに姿が見えたぜ。あれだろ。」
足早に上着を翻して歩いてくる零とルプレヒトをフィリップ二世は指差した。
「ごめんごめん。ルプレヒトの私服がなくて……。」
「お、おう。……え、まじで?」
家に帰った後はジャケットを脱ぎ捨てるだけ、寝る時はバスローブだけのルプレヒトの屋敷には、私服というものが一切なかった。これから国を一時的に出るというのに、ナチスの制服を着るのは阿呆のする事だ。
「話は後だ。そろそろ乗ってくれ。それと……久し振りだな零。」
「あぁ、久し振りシュヴァルツ。でも話は後なんだろう?先を急ごう。」
足早に五人が機内に乗り込むと、程なくしてエンジンのかかる音がする。
「で、お二人は……零とシュヴァ……まずシュヴァルツってなんだ?」
「コールンブリューメの旧名だ。」
最前列に座ったルプレヒトは、操縦席の隣で様々なメーターを確認しながらボタンやスイッチを押す。
「という事は、コールンブリューメはドイツ帝国の頃からって事でいいのかな?」
ルプレヒトの後ろのシートに座って、零は少し前のめりになる。
「ドイツ帝国の前……っつー事は神聖ローマとか?」
「それはオーストリア国土だな……。オレがシュヴァルツ・アードラーと名乗ってたのはプロイセン国土の時代だ。」
フィリップ二世の隣に座ったジャンが、プロイセンって何、と聞いてきたが、フィリップ二世も名前くらいしか知らずに肩を竦めるだけだった。
「離陸するぞ。死にはしないだろうがベルトは締めておけ。」
「あいさっさー。」
次々にベルトを装着する音が聞こえると、シュヴァルツは後ろを向いた。
「よし、全員締めたな。それじゃ行くぞ。」
星と月の明かりだけが照らす空に向けて、五人が乗った航空機は離陸した。
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