Verse 3-7
夜中に勝手に出歩いた、と言う事後報告を朝食の席で密かに聞いて、悠樹は危うくナイフとフォークを落としかけた。人は多いが静かなホテルのレストランで、大きな音を出すのは注目の的になる。
「気持ちが逸るのは分かる。だがもう少し隠密にだな……。」
場所もあるが、なにより随分と久しく会っていなかった息子に厳しく叱責するのは、流石の悠樹も気が引けたようだった。ある程度の忠言を施した上で、悠樹は再び朝食のジャガイモを口に入れ始めた。
「夜だから隠密でしょ?」
「そういうのはもっと平和な世の中になってから言え。……まあいい、今日はどうするつもりだ? 俺はこっちでの仕事があるから同行はできん。」
ああ言えばこう言う息子に、呆れのため息を吐く。継子がメインディッシュを食べ終えて口を拭っているのを見ながら、悠樹は尋ねた。
「今日? そこらへんをほっつき……じゃない。まあほっつきつつフィリップに会ってくるよ。親父覚えてる?真ん中分けで黒髪の。」
「アーサー=フィリップ中佐の事か? そうか、あれも同類だったか……他には?」
任務中も本気なのかおちゃらけてるのか一瞬掴みづらい青年の顔を思い出し、悠樹は頭の痛くなる思いであった。
「んー、運が良ければジャンともまた話をしたいけど。あ、昨日の金髪のセンター分けの方ね。」
「ハンス閣下か。ならここに戻るのは夕食後だな。気を付けろよ。」
運ばれたデザートをペロリと平らげた零は、へいへい、と聞いているのかいないのか分からない応答をする。ささっとナプキンで口元を拭くと、意気揚々とレストランを後にした。
事前にアルフレッドから仕入れていた情報の一つ、ジャンの自宅に、零は訪れた。既に出勤の時間を終えて数時間後、閑散とした住宅街に建つ一軒家である。良物件に少々羨ましそうな呟きをいくつか空に放ると、零はブザーを鳴らした。程なくして、聞き覚えのある声がドアの向こうから顔を出す。
「おうおう、こんな時間にだ——」
「お久し振り。まあ、お前の事なら昨日どっかから見てたんだろ?」
現れた零に、フィリップ二世は柄にもなく目を丸くした。
「お、前……。」
声はまさにレイのものだが、仕草や言葉遣いにはどこか楽天家なところがあった。白かった肌も程よく日焼けしている。しかし、彼はまさに、フィリップ二世が偽物の帝國であった青年そのものであった。
「お、おう。久し振り……。まあ入れよ。」
「お邪魔しまーす。」
するりとドアの隙間から家へ体を滑り込ませ、零は辺りを見回した。すっきりと整頓された三階建て。階段に面した廊下には、一輪挿しがいくつか置いてある。
「まあ来るのは聞いてたがまさか昨日の今日だとは思わなかったぜ。紅茶かコーヒー淹れるか? あ、コーヒーしかねえわ。」
「水でいいよ。」
リビングルームで冷えた水を出して貰うと、零は一息ついて三人掛けのソファーに座った。
「フィリップはここで何を?」
「優雅に暮らしつつレジスタンスへ情報提供。そんな事よりだな……あの時は、偽物の帝國の時はありがとな。」
なんの、とグラスを上げて、零は微笑んだ。
「むしろ助けに行くのが遅すぎた気もするんだ。まあ……あそこに行けるとも思ってはなかったんだが。」
「あの元帥……バスカヴィルは——」
右手の人差し指を立てて、零はフィリップ二世の言葉を制した。
「あれの話は今するものじゃないんだ。ところでジャンの休日が何時か知ってるか?」
「はあ……。え、ああ。ジャンなら明後日が休みらしい。でもお前、明後日は帰国の前日で忙しんじゃねえのか?」
別に、とあっけらかんに言った、零に、フィリップ二世は片眉を上げた。
「おいおいまさか——」
「無論、書面上は帰るとも。忘れたのか? 親父は諜報部隊の隊長だぞ? パスポート偽造なんてちょちょいのちょいだ。」
若干げっそりとした顔で、フィリップ二世は空になったグラスをテーブルの上に置いた。
「あーうん……。分かった。で、それを聞くだけじゃねえだろ?」
「勿の論。ルプレヒトについて知ってる情報を聞きに来たんだ。ジャンに聞くよりフィリップのほうが沢山知ってるだろうし。」
膝に置いていた手と脚を組み替えて、零は無邪気な微笑みで首を傾げた。
「はいはい知ってまーすよー。あいつは秘密警察に勤めてる。課は……どこだったかなあ。」
張り替えたての一人用ソファーから手を伸ばし、下にあったファイルボックスからいくつかの紙の束を取り出した。
「ちなみにあいつの休暇日はランダムすぎて当てにならねぇ。最近は夜勤も多いらしいって話だ。接触するには難しいぜ、どうするつもりだ?」
返答がなく、紙面から顔を上げると、零は気の抜けた返事をして両手で握ったコップをじっと見つめていた。なにか考えているのか、それとも全く頭が空っぽになっているのかフィリップ二世には分からない。
「……お前とルプレヒトの関係は?」
「恋人。」
気不味くなったフィリップ二世のその場しのぎの返事を、零はその一言で一蹴した。フィリップ二世は口に流し込んでいたアイスコーヒーで思わず咽せる。
「はい?」
「恋人だ。生前来からの。」
まじでかよ、とばかりのだらしなく口を開けたフィリップ二世は、頭の中でよぎった金髪碧眼の青年の名前を口にした。
「じ、ジークフリートは……? ってかあいつは[シシャ]?」
「あぁ、友達だ。」
勢いで否定的な感想を述べようとしたが、フィリップ二世は零とレイが全くの同一人物ではない事を思い出して別の質問をした。
「え、で元帥閣下は? バスカヴィルは?」
「あいつは……[シシャ]じゃない。」
一瞬の間とともに零の表情に差した影を、フィリップ二世は見逃さなかった。
「そ、そうか……。えっと、あー、ちなみにジークフリートとの接触は?」
「あぁ、その事なら今のところは問題ない、別に対策がある。」
手を打つのが早いな、と呟くと、零はまたにっこり微笑んだ。データベースをファイルボックスに乱雑に突っ込むと、フィリップ二世は踏ん反り返った。
「他になんか話す事あったか……。」
「そういえば、ジャンとジークは親しい?同僚にしてはよく喋ってるみたいだけど。」
色々と頭から抜けている気がして、太腿を叩きながら窓の向こうの空を眺めていると、今度は零が質問をした。
「いつだったかピクニックにヨハンと……、リチャードの野郎と一緒に行ってたな。」
「それなら良かった。」
前のめりになって、フィリップは両手を撫でる。
「あー……、俺もだけど、ジークフリートやらジャンやら、何で[シシャ]が[人間]に?」
微笑んでいた顔が一気に曇った。零はフィリップ二世から視線を逸らし、ダイニングテーブルのへりを視線で舐めた。フィリップ二世はリチャード一世から大まかな内容は聞いていたが、やはり本人から直接具体的な話を聞いておきたかった。
「……俺が、お前達を見つけられなかった。」
ぼそりと呟かれた言葉に、フィリップ二世は先を促す。
「この世界が出来て、俺はリチャード、ジャックと一緒に、この世界に来た[シシャ]達を探したんだ。大半は見つける事が出来たんだ。でも……俺の両親とか、お前達は……失楽園戦争が起きるまでに見つけられなかった。」
「その話だとやっぱりリチャードはもう[シシャ]だな。ヨハンは何だったんだ?」
今までのヨハンに対するジャンの献身が無駄だったという事か、とふと思い至ったフィリップ二世は零の説明に噛みついた。零は首を振る。それは、彼が判断出来る事ではない。
「ただ、ヨハンの構造は説明ができる。あれはリチャードがレイから逃れる為の唯一のやり方だったなんだ。全くの他人に化け、ア……レイの手が届かない所にいるのが一番安全だった。ヨハンはレイを欺く為の皮だ。」
辛そうに、すまない、と呟く零に、フィリップ二世も溜飲が下がった。今にも立ち上がりそうになっていた体をソファーに落ち着ける。
「レイの手が届かない場所……ロベルトの弟。」
「言い換えれば、[堕天使]の近く、だ。」
アイスブルーの瞳を細めて、フィリップ二世は、納得した。
「[堕天使]とはいえ俺達に協力してくれるのもいるわけだ。」
「この間戻って来た[ルシフェル]……ユーサー陛下と違って、ルプレヒトは反発で[堕天使]になったんじゃない。あいつは……、あいつは俺がこの世界からいなくなったのを知って自暴自棄になったんだ。」
そういう性格はしている、とフィリップ二世は再び、ため息とともに納得した。
「……でも、あんたはこの世界にはいたんだろ?」
「あぁ、体を奪われた。それがレイという青年の正体だ。外身は俺で、中身は別人。ルプレヒトもリチャードも、勿論ジャックも目敏く気付いていた。[シシャ]の捜索が遅れた……いや、邪魔されたのもそれが原因だ。」
今回の計画を伝えられる時のリチャード一世の言葉を、フィリップ二世は更に深く理解できた。声を出して頷くと、すかさず尋ねた。
「それで、中身は何だったんだ?」
今まで滑らかになっていた零の口が、突然閉ざされた。眉をひそめて、零は俯く。
「それは……。」
喉から声を絞り出し、零は名前を発した。
「アーサー王という。」
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