Verse 1-12
以前のように、エデンの園から[冥界]へ、フィリップにそれぞれの場所と役割を、そして自分達が今遂行しているリチャード救出の任務を説明しながら渡った。
「おお、よく来たな。まあ座れ。」
玉座に尊大に座って、女性達に労られながら書類を眺める男は面倒臭そうにそう言った。一礼をしてニコライ二世とともに謁見室の椅子に座ると、フィリップは尋ねた。
「なぁ、あれ分家の当主だよな?あれも[シシャ]だったのか?」
「彼はソロモン王。体を乗っ取られて私達の敵方に回ってた。現在は見ての通り。」
やっぱりそうなんだ、というジャンのぼやきは端に置いて、フィリップは謁見室に続く古代風の絢爛な門を見やった。古代イスラエルの神殿を模しているとはいえ、様々な場所でローマやギリシアの技術が見られる。
「一体、俺達の周りの何人が[シシャ]だったんだ?……まさか全員——」
「いちいちそこまで説明している余地はない。」
ニコライ二世の返答に、フィリップはへの字に口を曲げた。しかし、それは今すぐ欲しい情報ではない。時が経つにつれ、自ずと分かってくるであろう事である。
「単刀直入に言おう、リチャードは今地獄にいる。」
「地獄!?」
間髪入れずにジャンが叫んだ。ニコライ二世は顔を険しくし、フィリップは表情を変えずに次の言葉を待つ。
「地獄、は俺が知ってるあの地獄だよね!? ヨハンは確かに前世で悪いことしてたかもしれないけど……!」
「おお聖女よ、そう気を急くな急くな。リチャードは別にそこで罰を受けているわけではない。」
殆ど立ち上がろうとしていたジャンは、ほっとしてへなへなと腰を落ち着けた。ソロモン王は一度三人の瞳を順々に見ると、咳払いをする。
「ROZENにロベルトという男がいただろう。覚えているか?」
「元帥補佐官の……ヨハンの兄だな。」
フィリップの言葉にソロモン王は頷く。
「今更驚かぬだろうが、あの男も[シシャ]でな……。」
一度手元の報告書をちらりと見ると、ソロモン王は三人に視線を戻した。
「所謂[堕天使]の一人である。地位は[シェムハザ]。[シシャ]の身分にして[人間]と子を成したことで地獄に堕とされた者の一人である。」
ジャンとフィリップは固唾を飲んだ。やはり彼も、という感情と、どう言う目的で、という疑問が混ざりある。
「リチャードはやはり彼と行動を共に……?」
「そのようだ。今は活動はしていないようだが。」
識者二人の問答を聴きながら、ジャンは遠くを見た。地獄は自分達にとって敵地だ。そうやすやすと忍び込める場所ではない。
「なあちょっと待ってくれ。俺とジャンは元々[シシャ]のはずが、戦争が勃発する前に存在を探しだせずに[人間]の転生に持ってかれたって話だったよな。」
問答が止まり、ニコライ二世とソロモン王の視線がフィリップに向く。
「聞いてた話じゃヨハン……リチャードか?あいつはもう[シシャ]だったんだろ。それがどうして今[人間]に?」
識者の二人は目配せする。ニコライ二世がゆっくりと口を開いた。
「リチャードは……あるものを探しに行くと言っっていた。」
あるもの、とフィリップは言葉を繰り返した。ニコライ二世は頷き、謁見室をぐるりと見渡した。
「それは——」
謁見室の扉が強く叩かれ、四人は口を閉した。古代ローマ風の甲冑が開かれた扉の前で派手に敬礼する。
「どうした、急務か?」
ジャンとフィリップは甲冑からなにも感じ取れなかったが、ソロモン王は甲冑の頭部を暫く見つめると、ひどく深刻な顔をした。
「お前達も呼ばれているようだ。急ぎ向かおう。」
「一体何が?」
「行けば分かる。」
視線を甲冑からフィリップに移し、聞いたこともない重い声でソロモン王は言った。
「行こう。」
まるで覚悟を決めたようなニコライ二世の声に、ジャンとフィリップは訝しげな顔でその背中についていった。
向かった先は、天界の中心部に位置する巨大な神殿であった。フィリップは先の帰りに外観だけは見知っていたが、その中に入るのは初めてであった。
「うわすげ。」
「早く、行くよ。」
立ち止まって柱や天井に施された彫刻を見る余裕もなく、急かすようなニコライ二世の口振りにただ歩みを進めるしかなかった。階段を登り、ジャンが天界に来て初めて連れてこられた会議室に案内される。
「入れ。」
くぐもった声とともに、扉がゆっくりと向こう側へ開いていく。ソロモン王を先頭に、四人はぞろぞろと会議室の中へ入っていった。中には既に司馬懿が席についており、扉の前でアルフレッドも立っていた。
「あれ誰……。」
「知らねぇ、俺に聞くなよ……。」
最後尾に立っていたジャンとフィリップは、見覚えのない影を捉えた。黒いローブに、顔の上半分を質素な仮面で覆った男である。
「救出任務の中、ご苦労である。後ろの二人も前に出よ。」
声の主がだれか分からず、ジャンとフィリップは言われるがままに前に出た。会議机のもっとも上座に座っていた男は、二人の顔を見て立ち上がった。
「ジャン、フィリップ、久し振りだな。若干外見が変わって分からないかと思うが、レイだ。」
「は?」
二人は同時に聞き返した。それもそのはず、二人の記憶しているレイは、短髪で、会議の場では文句しか言わず、リーダーシップはそこまで感じられないことが多かった。しかし、椅子に座っている男は、長髪で、尊大で、場を治める長のような気風があった。
「お、おう。」
「久、しぶり。」
突然の軽い再会と予想外の外見に、二人はたじろぎながらそう挨拶した。満足したようにレイは微笑んで、次は隣の二人に視線をやった。
「アルフレッドもニコライもよく頑張ってくれているようだな。リチャードが長い間不在の中申し訳ない。」
「それはレイも同じ事でしょ。」
白衣のポケットの手を突っ込んで、アルフレッドは珍しく悪態をついた。
「そうだった。いやでも、リチャードほど座を空けてはいなかったよ。」
今まで黙って来たニコライ二世の片眉が吊り上がった。一瞬にして湧き上がった殺意を感じ取って、フィリップは思わずニコライ二世へ視線をやったが、その頃には既にニコライ二世の刺すような雰囲気は収まっていた。
「そしてソロモン……報告の最中だったと聞いた。急の呼び立ててすまない。まあお前も[神]の一人だ。取り敢えず座ってくれ。」
言われるがままに、ソロモン王は目の前にあった最も下座の席に座った。ジャンとフィリップはピリついた雰囲気の中、居心地が悪そうに佇まいを直す。
「さて、急用というのは他でもない。リチャードの居場所について……。ソロモン、お前がなにか成果を上げたと聞いている。」
苦虫を潰したようなニコライ二世の顔はいざ知らず、ソロモン王はリチャードが地獄におり、ロベルト、こと[シェムハザ]の手中にある、とだけ伝えた。
「そうか、[堕天使]の手の中に……。」
レイの言葉の後、沈黙が続いた。フィリップは彼の姿をまじまじと見つめる。少なくとも、偽物の帝國で会った時とは風貌が違う。だが口調には覚えがある。あの時のありありと受けた殺意を思い出し、背筋に冷や汗が伝った。これは一体なんの茶番だろうか。
「そうすると一度[堕天使]共に奇襲をかける必要がありそうだな。……ジャンとフィリップは記憶がないと聞き及んでいるけど、聖戦については知ってるのか?」
「二人には神とその敵対勢力の戦争だと既に話してるよ。」
脇から差し出された書類を受け取って、レイは一人で頷く。
「我々の対抗勢力は[堕天使]達だ。元々は[天使]だった物が、[神]に仇なした結果のものだ。」
「あーそれには私が一つ付け加えさせて頂こうか。レイ、発言の許可を。」
よく日に焼けた手を挙げて、ソロモン王は机の足を乗せてふんぞり返った。レイが、どうぞ、と渋々呟くと、ソロモン王は声を上げた。
「[人間]ではどちらも同一視されることがあるが、[悪魔]と[堕天使]は厳密には違うものだ。双方とも元は[天使]。されど[悪魔]は私の元で義務を行使する者達だ。[人間]が死を得た事により[冥府]で働く役人が必要になったというわけだ。覚えておけ。」
「……終わりか? では私の話を続ける。」
ソロモン王が頷くとともに、レイは書類を見ながら続けた。
「リチャード救出の為に一週間後、私が直々に軍を率いて地獄へ赴く。」
場の空気が一瞬にして凍った。レイの決定を、頑として受け入れない雰囲気である。司馬懿は眉を寄せて囁くような声で言った。
「少々早計では?[ルシファー]の件もあります。まだ待っては——」
「私がやると言ったらやるんだ。いいな。」
返答は求めていない、と言わんばかりの語句に、司馬懿は押し黙った。
「その為に、[冥府]に私の軍を数時間駐在させるが構わないか?」
「構わんとも。だだっ広いのでな。」
快いというよりは投げやりのソロモン王の言葉に、レイは、よろしい、頷く。
「なぁ、不仲すぎねぇ?」
「え、そう?俺はなんとも思わないけど……。」
自分に関わらない事に対して、ジャンはとんと鈍感である事をフィリップは思い知った。彼の目から見て、レイと他の[神]は明らかに不仲である。理由は全く見当もつかないが、先程のニコライ二世の態度を見るにしても、レイは村八分にされている節があった。
(なんだ、なんだこの違和感……。)
柄にもなく貧乏揺すりを開始したところで、アルフレッドが一つ前に歩み出た。
「レイ、もう僕達に関係ない話みたいだし、そろそろ四人とも退出しても構わないよね。」
「あぁそうだった。すっかりいないものになってて。いいよ、四人とも退室してくれ、ご苦労様。」
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