コンビニモンスター
百円ショップで購入したのに、一年間全くズレずに動き続けてくれているタフな腕時計に目をやると、指している時刻は六時三十七分だった。
本来なら六時半にはタイムカードを切らないといけない、悪足掻きに全力疾走してみたがやはり間に合わなかった。
意気消沈しながら、七色の光を放つネオン看板の下にある、自動ドアを潜る。
するとセンサーが反応し、聞き慣れたというよりも聞き飽きた音が店内に響き渡った。
あぁ、そういえばなんで名前や素性を知っているかのほうは結局聞きそびれたな。
俺はそんなことを思いながら、本日のバイト先である大手コンビニエンスストア。ドレミファマートへと足を踏み入れた。
「遅れるなんて珍しいね、ツクシ君。昼寝からの寝坊かな?」
店から店長に謝罪の電話をかけ、大急ぎで制服に袖を通した俺は本来の出勤時間より十五分遅く店頭に出た。
そんな様子を見てすぐさま声をかけてきたのは、同じアルバイト仲間の千鶴さん。二十一歳になるフリーターの女性で、髪を金髪にしていたり、派手なネイルをしていたりとやんちゃそうな風貌。ただ、そんな見た目と裏腹に仕事はしっかりとこなすタイプで頼りになる。
それに齢が近いこともあり話も弾むし、彼女とシフトの時はかなりやりやすい。
「はい、その通りです。ご迷惑おかけしてすみません」
本当は寝坊に関してはセーフで、神楽夜とかいうわけの分からん異世界人に絡まれてアウトになりましたと伝えたいが、さすがに信じて貰えるわけがない。遅刻したくせに言い訳がふざけていると株が下がるのは必至だろう。
「はは、十五分くらい気にしない気にしない。私もたまにやっちゃうしね。ただ半までシフトの安西さん、キミが店に到着するまで残ってくれてたから、そっちにはお礼言っときな」
そうだったのか。入った時レジにはお客さんが並んでいたので、千鶴さんには後で謝ろうとそのままバックヤードに直行してしまい安西さんに気が付かなかった。
俺はこくりと頷くと、レジ内をくるりと見回した。出勤したら必ず行う店内清掃の次に、率先してやるべき仕事を探す為だ。
すると、レジの端に目が留まった。
今日は昼間にかなり売れたんだろう。中身が寂しくなっているショーケース、ホットスナックの補充が最優先事項だな。
「んー」
仕事を始めて二時間少しが経過した辺りで、千鶴さんが大きく伸びをした。
「今日は本当暇だねー、ツクシ君あと二時間は寝てても大丈夫だったんじゃない?」
冗談交じりに言っているが、たしかに千鶴さんの言う通り今日は相当お客さんの入りが少ない。昼間が忙しかったような形跡が随所にあるし、そういう時は大体夜は暇になるパターンが多いからな。
「そうですね。焼き鳥五本も補充しなくてよかったかな?」
「焼き鳥は大丈夫でしょ、夜中まで残っても結構ビールと一緒に売れるから。まぁでも私達が居る間に一、二本は売らないと五本全部は少し難しいかもしれないね。しかしレジ打ちがないとこの時間、特にやることないよなー」
俺は持て余している千鶴さんに、話題を提供してみる。
「そういえば千鶴さん、怪談とかオカルト好きでしたよね?」
「え、なになに? うんうん、大好きだけどさ」
「蜂乃神社あたりって、なにか変な噂あったりします?」
ついでに、一応道中の出来事について他にも目撃者や被害者がいないのか確認してみよう。
「うーん……地元のそういう情報には結構詳しい自信あるんだけど、蜂乃神社に関しては聞いたことないかな。もしかして、自分か身内がなにかやばい体験でもしたの?」
さっきまでの退屈そうな表情とはうってかわって、嬉々とした表情で質問してくる千鶴さん。
それにしてもやっぱりか。あいつ、神楽夜は俺をピンポイントで狙ってきたんだ。心霊体験ではないけど、それよりタチが悪いかもしれない。
「いえ、なんとなく聞いてみただけです。通り道だしかなり古くからある神社なので」
「なーんだ。面白い話が聞けるのかとちょっと期待しちゃった。罰としてツクシ君、今度また肝試しに付き合っ――って、お客さんだ。いらっしゃいませ!」
話の途中だったのに見事な切り替えで、来店したお客さんにハキハキとした挨拶を送る千鶴さん。俺もそれを見習って同じ言葉をこだまさせる。
入ってきたのは、腰の曲がったお婆さんだ。設置されている買い物カゴを持たず、陳列されている商品棚に目もくれず一直線にレジへと向かって来ている。煙草か新聞、もしくは公共料金の支払いあたりだろうか。
俺は九時のレジ清算で手が埋まっているので、隣のレジに居る千鶴さんが対応する。
「いらっしゃいませ」
「あのー、ここから十世蜂駅へはどういったらいいんでしょうか?」
なんだ、道案内だったか。まぁでも、それも地域密着型コンビニでは立派な仕事の一つだ。
「えーっと、まずお店を出て左側に進むの。その後三つ目の信号を右折、そうするとすぐにパン屋さんが見えるから、その横の路地を通って行くと十分もかからずに着くよ」
俺が清算を終えるまでの間、さっきのお婆さん以降お客さんの来店はない。
しかし、お婆さんはいまだレジ前に居た。千鶴さんの説明はかなり分かりやすいと思うのだけど、この辺りは小さな路地や同じようなアパートが多くたしかに道としてはややこしい。
七十歳前後に見えるお婆さんにここから駅までの道を頭で理解しろと言っても、厳しいかもしれない。
頭上にクエスチョンマークが浮いているのが分かるし、千鶴さんからも上手く伝えられなくて申し訳ないといった雰囲気が見てとれる。
「うーん、難しいかな。……そうだ、ツクシ君清算終わりそう?」
「はい、丁度今終わりました」
「私ちょっとお婆ちゃんを駅まで送ってきてもいいかな? 規則上本当はダメだけど、三十分以内には戻ってくるからさ。ね?」
千鶴さんの言う通り、ドレミファマートの規則では店内に店員が一人になるのはご法度だ。
でもまぁ状況が状況だし、今日の暇さなら三十分くらい全然一人で回せるだろう。ここは千鶴さんの親切心を尊重する方向で動いて問題ないと思う。
なんなら夜も遅いし男の俺が代わりに行くことも考えたが、店内に残るのが千鶴さん一人というほうが危ないか。
「分かりました。遅い時間帯なので気を付けて下さい」
「うん、ごめんねありがとう。なにかあったらすぐ私のスマホに電話してね、こっちもなにかあったらお店に電話する。それじゃ、行ってきます!」
申し訳なさそうに何度もお礼を言うお婆さんの手を引きながら、千鶴さんは店外へと消えていった。
「こちらがレシートです、お確かめくださいませ。ありがとうございましたー」
千鶴さんが離れてから十分程度経ったが、現れたお客さんはたった今缶コーヒーと煙草を買っていった中年男性一人。
接客が少ない日は楽な反面、そんなに仕事をしていないのに普段通りの時給を貰っていいものかと、少し申し訳ない気持ちにもなる。九時半に上がりのシフトだが、もしかしたらもう今日はお客さんが来ない可能性もあるな。
そんな風に考えていると、俺の思考に合わせたかのように来店のあの音が響いた。
千鶴さんが戻ってくるにはいささか早い、お客さんで間違いないだろう。
「いらっしゃいま……せ……」
挨拶と同時に入り口に目線を向けた俺は、まともにそれを言い切る事が出来ずに硬直した。
どうやら人間というのは信じられないモノを直接目にした時、二度見するのではなくそのまま目線が動かせなくなるようだ。
俺の目線を釘付けにしているソレは、店内に入るとすぐに右へ曲がり、奥にあるドリンクの入った冷蔵庫へと向かった。
通った跡に、水のような液体を滴らせながら。
なんだ、こいつは?
外は雨なんかじゃない。天気予報が晴れだったから傘を持ってきていないのだし、通り雨ならさっきのお客さんも濡れているか傘をもっているはずだ。
体液や粘液の部類なんだろうか、不気味な濡れ跡が更に俺の恐怖心を膨張させるのに一役かっている。
店の奥へと向かうソレ。相対的に距離が空いたこのチャンスを逃すまいと、俺は急いで武器になりそうなものを探す。
しかし普通に考えてコンビニのレジ内にある武器になりそうなものなど限られており、ハサミやカッターなど文房具の類しか見当たらない。
いや。おそらくだがあいつを攻撃出来る物なんて、それこそファンタジーに出てくるような、ばかデカい剣や竜の力が宿った槍以外ないんじゃないだろうか。
せめてもの気休めに防犯用カラーボールと、工具箱からトンカチを取り出し足元に置いた俺は、もう一度ソレに視線を戻す。
見間違いであってくれないかと願いながらの行動だったが、そんな都合のいいことがあるはずもなく、俺の眼は再びその異形を認識した。
するとソレはどうやら飲み物を選び終えたらしく、缶を片手にゆっくりとレジへ向かって来ていた。
だめだ。まじまじ正面から見てみると、めちゃくちゃ怖ぇ。
異様に長い四肢に、前科三百六十犯で主食が人間なんですよと言われても、あぁそうなんですかと納得出来てしまうレベルの鋭い眼光。
そして濡れ跡を残しながらずるずると引きずっている、俺の二の腕以上の太さの尻尾。
極めつけはチロチロと舌を出し入れしている口元から覗く、電線すらも咬み千切れそうな大きさの牙。
そう。我がドレミファマート十世蜂東店には今、さっき神楽夜の姿を確認する時にそれだったら失神するだろうと宣言していた、人型で蛇のような頭をした化物がご来店なさっていた。
死を覚悟している俺の前に、遠慮なくのそのそと迫る化物。
なぜ、俺は宣言通り失神しないのだろうか。そのほうがよっぽど楽だろうに。
……あぁ、そうだリザードマン。
蛇か蜥蜴かまでは分からないが、ゲームや漫画なんかに出てくるリザードマンみたいな奴ってほうがしっくりくるのかもしれない。それがどういうわけかスーツを着て今、俺のバイト先に来店している。
まぁ、どうせもう喰われて死ぬであろう俺には呼び方や服装などどうでもいいことだけどな。
ちくしょう。俺の人生こんなところで終わりかよ。
って、駄目だ。弱気になるな。
たとえ命を失うことになろうと、俺は弟妹達の為に一分一秒金を稼ぐんだ!
「いらっしゃいませ! お会計でよろしいでしょうか!?」
わずか一メートルほどに迫ったリザードマンは開き直った俺の大声に反応し、まさに爬虫類の目の動きでぎょろりと俺を視界に捉える。テレビでカエルを捕食する蛇を見たことがある、その時の目の動きにそっくりだ。
向こうからはレジ台で見えないだろうが、開き直っているとはいえ恐怖で足の震えが止まらねぇ。
「あぁ、はい。元気が良くて実にいいですね、お願いします。このビールとあとそこの焼き鳥を二本貰えますか? レジ袋も欲しいです」
……ん?
「や、焼き鳥の温め直しはいかがなさいますか?」
「へぇ、そんなサービスもしてくれるんですね。是非お願いします」
震える手でショーケースから焼き鳥を取り出し、電子レンジに投入した。
あまりの衝撃だったため身体はまだ震えているが、予想の斜め上をいくリザードマンの紳士的対応に、俺は生への小さな希望を抱き始めていた。
いや本当に、普通に来店する人間のお客さんと比べても身振り手振り口振り、かなり丁寧な部類なんだ。
なによりも、言葉が通じたという安心感が大きい。
てっきり喋れたとしても、俺が今際に聞く「いただきまぁす!」だけだと思っていたから。
深呼吸をしながらビールのバーコードをスキャンし、レジ横から焼き鳥のバーコード表を取り出し打ち込む。
リザードマンの放つ圧倒的な威圧感でバーコード表を床に落とすなど、会計を出すのにいつもの倍近く時間がかかったが、リザードマンはそれを咎めるどころか、大丈夫ですか? などとこちらを気遣う姿勢を見せた。
――おかしい。
いや、全体的に突っ込みどころ満載のおかしな状況なのは分かっているんだが、そういうことじゃなくて。
待てよ、分かったぞ。
ヘンゼルとグレーテルパターンだな?
ものすごく優しくして殺意がないと思わせておいて、最後にガブリ!
そういう作戦なんだろう!?
「合計五百五十五円になります」
「おー、ゾロ目。なにかいいことがありそうで嬉しいです」
俺は騙されない、騙されないぞ。
「支払いはパイパイでお願いしたいのですが、可能でしょうか?」
「あ、あぁはい。では支払い画面をお見せくださいませ」
――って、いやいや。
なんでリザードマンが電子マネーを使ってくるんだよ!
まぁ普通に財布から小銭が出てきても違和感すげぇけどよ!
めちゃくちゃ声に出してツッコミたいが、こいつの機嫌を損ねたら即ゲームオーバーだ。
どうせヘンゼルとグレーテルパターンなんだろうが、一分一秒でも時間を。いや、時給を稼ぐ!
『パイパイっ』と緊迫したこの場の効果音には全く適していないコミカルな音が鳴ったと同時に、レンジもチン、と音を発する。焼き鳥の温め直しが終わった合図だ。
「焼き鳥は別でお渡ししますか?」
「いえいえ、一緒に袋へ入れて大丈夫ですよ」
しかしこのリザードマン、本当に対応が紳士的だな。
これはもしかしたら本当に紳士で、このまま会計を済ませて退店というパターンもありえるんじゃ?
「あぁ、店員さん。あと最後にもう一ついいでしょうか」
――終わった。
俺の儚い希望は完全に摘まれた。「あと、貴方の脳味噌もお願いします」かな?
「異世界転移をお願いしたいのですが」
「……はい?」
「異世界転移、お願い出来ないでしょうか?」
うん、本日二度目の異世界からのお誘いだ。
まぁ神楽夜はともかく、このリザードマンに至ってはどっからどう見てもこの世界の生物じゃないんだけど、そんな展開全く予想していなかった。
おそらく今俺は、豆鉄砲を食らった鳩よりも鳩なんだろう。
いや、すまん。混乱し過ぎて自分でも何を言っているのか分からない。
そんな俺を尻目に、リザードマンはビールと焼き鳥の入った袋を持ちながら、じっとこちらを見つめているだけだ。
意味不明な展開で完全にオーバーヒートしてしまった俺の脳内では、最早心に留めるべき言葉と口に出して良い言葉を選別するダムが、完全に崩壊していた。
「これ、断ったら喰われますか?」