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日常の崩壊は、うさぎ頭が合図です。

 地面に手をついたまま鳥居がある右側に目をやると、やはりさっきまで座っていたそれは消えていた。

 こうなったらもう強行突破は不可能だ。

 そして今の現象で、相手が人間だという可能性はほぼ潰えてしまった。

 ただもしかしたら、危害を加えられないように説得は出来るのかもしれない。一応向こうが発している言葉は理解出来ているし、内容からすると俺を驚かせて楽しんでいるだけともとれる。

 そうなると問題になるのは、やはり相手の容姿だ。

 正面を向いた時に苦手な蛇の頭をした怪物や、巨大日本人形なんかが立っていたら失神してしまうかもしれない。

 しかしここまでピンポイントで目をつけられた以上、正面を向くしかない。

 それなら覚悟を決める。

 鬼が出るか、文字通り蛇がでるか……。

 俺は嫌がる身体を無理矢理動かし、正面を向いた。


 ――は?


 その姿を目で捉えた瞬間、強張っていた全身の力が一気に抜けるのが分かった。


「ちっさ……いや、ちっさ! 怖がって損したわ! そんなに小さいなら、小さいですって最初に言えよ!」


 そう。俺の目の前に立っていたのは身長百五十センチにも満たない、白と赤が基調の和服姿の女の子だった。


「知らんわ! お主が勝手に怯えておっただけじゃろうが!」


 暗さと遠近感、加えて不安と恐怖で勝手にもっと大きなシルエットをイメージしちまってただけってことか。


「まぁいい、やっと会話をしてくれたんじゃ。さて、何から話そうかの」


 幼女みたいな容姿だが、喋り方は割と達観したイメージだ。加えて、腰までかかる長い髪の色は真っ白。おまけに頭には兎と酷似した耳が生えてやがる。

 と、いうことは。


「なんだ、コスプレドッキリか? すまないが付き合っている時間がない」

「違うわ! さっきの跳躍みたじゃろ!」


 頬を膨らませながら喋る兎女。よく見ると顔はかなり整っていて、愛嬌がある。


「もう一度やってやるから見ておれ。ほれほれ」


 そう言うと、兎女はドヤ顔で鳥居と同じくらいの高さまで跳躍してみせる。


「どうじゃ、これが人間に可能か?」


 そして上空から話しかけてきた。

 はっきり言って相当に非現実的な光景を見せられているんだが、不思議とさっきまでのような恐怖は完全に消えていた。

 いや、不思議と、というか完全に相手がこいつだからだろう。たしかに超常的な存在ではありそうだが、もっとおどろおどろしい容姿の怪物を想像していた俺にはインパクトがなさ過ぎる。

 俺は跳び上がっている兎女を尻目に、早足で歩き出した。


「あ、おい! 待て、三々波羅ツクシ!」


 無視してバイト先に向かおうとしたが唐突に名前を呼ばれたので、思わず足を止め振り向いてしまう。


「ん? ふふふ、そうかそうか。何故妾がお主の名前を知っているのか、興味が湧いたんじゃろう?」


 慌てふためいた顔からしたり顔へと変貌したそいつは、俺の真後ろまで跳ねて距離を詰めてきた。

 たしかにこいつが何故俺の素性や名前を知っているのか、気にはなっている。

 仕方ない、こいつが一番欲していそうな言葉をかけてやるか。


「お前、何者だ?」

「ふふふ……ふっふっふ、あーっはっはっは! 気になるのか? のうのう、気になるんじゃろう?」


 天を仰ぎながらその質問を待ってましたと言わんばかりに大笑いし、こちらに向きなおる。おまけに小ジャンプを繰り返し、俺の頭を何度も小突く。

 実にうざったいことこの上ない。


「そういう時間食う面倒くせぇくだりはいらねぇから、率直に答えてくれないか」

「なっ! やってみたかったんじゃ、このくらい許せ!」


 今度は一気に赤面した、俺と違って表情豊かな奴だ。周りでいえばスイカや猪瀬に近い性格っぽいな。


「仕方ない、そんなに知りたければ教えてやろう。妾は。そう妾こそ、お主を我々の世界へと誘う案内人にしてお主の妻となる女! 神楽夜(かぐや)じゃ!」


 最初からこんな口上で現れたら、相当なサイコ案件だな。

 だが、さっきの跳躍を見ちまってるし、こいつの耳。

 俺は神楽夜と名乗った女の頭に手をポンと乗せ、ついている兎耳を触った。


「んぁっ、あっ! ん……駄目じゃ、根本をクリクリするのはやめるのじゃ! ……いや、まぁ、主になら……んっ……!」


 いやいや、なんだその反応は!


「俺はただ本当にこの耳が生えているのか確かめただけだぞ、勘違いされるような反応はやめてくれ。ただでさえ今の世の中は世知辛いんだ、この年でロリコン扱いはされたくねぇ」

「んっ……そうじゃな、続きは妾の世界でたっぷり行えば良い。なんといっても妾達は一緒になるんじゃからの」


 触ってみた感覚、それに感度からこれは間違いなく造り物なんかじゃないことが分かった。つまりこいつの言っていることは全て本当。神楽夜は別世界の住人、今風に言えば異世界人だということになる。


「主が来る前にこの神社の奥の空間を少しいじっておいた。進むと本来の景色とは異なり五つの鳥居が現れる。その空間は無風なんじゃが、一つだけ紙垂が揺れているものがある。そこが妾達の世界、獣人界(じゅうじんかい)への入り口。決して他の鳥居を潜るなよ、どちらにも戻れなくなる可能性があるからの」


 現実離れした現実を咀嚼する間も与えず、ムスっと鼻息を鳴らし、俺の返答を待つことなく自慢げにファンタジー色全開の話を進める神楽夜。

 しかしどうして、俺の返答がイエス前提なんだ。


「あー、長々と説明してくれたところ悪いけどパス。他の奴を当たってくれ、俺はバイトで忙しいんだ」


 たしかに驚きはしたし、今も信じ切れない自分がいる。

 だが仮に完全にこいつを信用出来たとしても俺の選択は変わらない。

 ひらひらと手を振ると、俺はその場から離れようとする。


「ちょ、ちょっと待て! 異世界じゃぞ、異世界! 現代人の憧れ、異世界ライフ! 加えて妾という可愛い婚約者までついてくる、断る道理がどこにある?」


 相変わらず深夜のネットショッピングみたいな誘い方しやがって、どんな特典が付こうとお断りだ!

 全く、無駄な時間ばかり使わせやがる。おかげでこれはもうほぼ遅刻確定だな。

 それなら、言いたいことを言わせてもらおうか。


「たしかにこんな世の中だ、異世界やら転生やらを望んでいる奴は多いかもしれん。でもな、俺には養ってやらなきゃならない弟や妹がいるんだよ。だからわざわざ異世界でゼロから始める余裕なんてねぇ、むしろ異世界なんていいから少しでも稼がせろ! 同じ絵空事ならそんなものよりこっちが望むのは、高校生でも夜十時以降働けて尚且つアットホームな職場だっつうの!」

「おいおい、いくらなんでもそれは絵空事過ぎるじゃろ……」


 常識外れな存在が、まさかの常識的なツッコミを入れてきやがった。


「いや、だからお前の存在の方がよっぽど絵空事だろうが! それになんで今の日本の就労についてそんなに知識持ってんだよ、異世界人なうえ変な喋り方のくせに!」

「なっ! 喋り方は関係ないじゃろ!」


 意外にコンプレックスだったのか。って、そんなことはどうでもいいな。


「とにかく俺は異世界になんて行かねぇよ、じゃあな」

「あっ、待て! ツクシ、お主でなければ駄目なんじゃ!」


 そういえば、こいつがなんで俺の素性や名前を知っているのか聞きそびれてたな。まぁどのみちそれを聞いたところで、俺の意見が変わることはないが。

 ただ、一番気になる点は他にある。


「一つ聞きたいんだが、どうして俺を選んだんだ? 人間なら誰でもいいとかそういう話なら、ここまで俺に固執する必要もないだろう。俺より身体能力の高い奴や頭が回る奴なんてごまんといるだろうに」


 俺の問いに、神楽夜はきょろきょろと周囲に視線を動かしながら答える。

 俗に言う挙動不審というやつだ。


「あーっと……うーん……その。……あっ! 主がな、そのな、妾のな、超タイプだからじゃ!」


 いや、嘘吐くの下手かよ!

 まぁ濁し方的になにかしらの理由はあるんだろうが、結局こいつの世界に行く気もないし、こいつと一緒になる気もない俺にとってはただの好奇心でしかない。

 それなら当然バイト優先だ。


「まぁいいや、力になれなくてすまん。じゃあな」

「あっ、じゃから待てって! 妾は世界を繋ぐ結界を作っている間、そう遠くには離れられないのじゃ! 他の奴らは少数ながら過激なのもおる、絶対に今妾と行くのが得策じゃ! 考え直せ!」


 なんだか後半ひっかかるよく分からんことを宣ったが、ただでさえぎりぎりの金で家計を養っているうえに今日は遅刻確定なんだ。それを聞いて追って来られる心配もなくなった、なおさら絶対待たねぇよ。


「最後にもう一度だけ言うぞ、俺に金を稼がせろ!」


 俺は追ってこられない神楽夜に対して、遅刻の鬱憤を晴らすため勝ち誇ったように大声で吐き捨てる。


「くっ、三々波羅ツクシ! 耳の根本まで弄ったんじゃ、お主は絶対に獣人界で妾と一緒になってもらうからの!」

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